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食事学とは

『食事学(Dietetics、食養学)とは、生きる知恵』で『食事学を実践することは、生きる力そのもの』です。
これ人生そのものです。
『嗜好を追うと健康を損ない、理想(理想論)を追うと食の幸福感を損ないます』
『嗜好に溺れず、理想を追わず』これが食事実践の極意です。

『食べ物は、未来への自己投資』であり、『食べ物を粗末にすることは、自分自身を粗末に扱うこと』で『カラダに良いものは、ココロにもいいもの』です。
美味しい食べ物を一緒に食べれば、仲良くなれるし、『同じ釜の飯を食う』ことは、『同じ成分の物質(人・脳)になる』ことです。
同じ食事・同じ素材を食べていれば、自然と思考が近くなります。

20世紀に入ると、医と食は食薬区分行政のために全く別々になってしまい、ナチュロパシーとしての治療法は衰退の一途をたどりました。

食をめぐる状況の変化という、社会的な背景を考え、一刻も早い食育の普及が必要であると判断されたことから、2005年(平成17年)に食育基本法が制定されました。

食育基本法では、食育を
「食とは、生きるための基本であって、知育・徳育および体育の基礎となるもの」
「心身の成長および人格の形成に大きな影響をおよぼし、生涯にわたって健全な心と身体を培い、豊かな人間性をはぐくんで行く基礎となるもの」
と位置づけ、国民の健全な心身を培い、人間性を育むための食育を総合的・計画的に推進を行なうことになりました。

2008年の総務省の発表によれば、食の情報量は12年前の637倍あるとのことですが、その中には相反する示唆も多く含まれており、これらを一般消費者が正しく取捨選択することは困難です。

2017年現在、日本では悪性新生物に国民の約50%が罹患し、毎年37万人が死に、続いて心疾患20万人、肺炎、脳疾患が12万人づつという順序になっています。

脂質代謝異常症206万人(男性60万人、女性147万人)、高血圧は3,000万人、糖尿病は1,600万人を超えている状態です。(厚生労働省「患者調査」平成26年)
医療費は個人と国の負担を合計すると30兆円に上り、介護を含めると50兆円を超え、これは国家の税収に迫る数字です。

こうなってしまった原因の大きな一因が、食生活の変化です。日本古来の伝統食から、肉・小麦・乳中心の欧米化があげられます。
本来、日本人の伝統食は玄米菜食が中心として、味噌や漬物など発酵食品と大豆などの植物性たんぱく質を摂るのが基本とした粗食でした。

過食による肥満は、様々ながんの危険因子の1つです。肉食、パン・パスタ・うどんの小麦軟色、レトルト食品、ハム・ベーコン・ソーセージなどの加工食『品』を『山』のように食べると、癌という『病』になります。
それでは満遍なく食事量が増えたのかというとそうではありません。
昭和30年の摂取量と比較すると、動物性食品の肉は15倍、卵は12倍、牛乳は25倍です。
それに対して、米は0.5倍、じゃがいも0.3倍、サツマイモは0.03倍・・・植物性食品は激減しています。
これらの食習慣は、五臓六腑でいうところの『府』に大きな影響を与えました。府に肉を付けると、「腐」になります。
肉の過食は、腸内での腐敗を誘発します。
エネルギー摂取に占める脂質エネルギー比は、1960年には10.6%だったものが、2015年には25.9%と50年間で2.5倍も増加しました。

歴史
西欧人から見れば粗食と見える日本の伝統食が、実は身体壮健な日本人を育てる源泉だったという証左は枚挙に暇がありません。
開国の頃、日本人は西欧人が、そして現代の私たちが驚くほどに健康で頑強な体をしていました。
なりは小さいながらも、実力では西欧先進国の水準を遥かに超えていました。
これがやがては日清・日露、そして2度に亙る世界大戦で、人的能力では実質『世界最強』を示したわが国軍事力の礎ともなるのでした。
それは白人優越主義時代の真っ只中にあって、生の日本人の姿を見た欧米人にとっては信じがたくとも、歴然とした事実でした。

1539(天文18年)年フランシスコ・ザビエルは、『彼らは時々魚を食膳に供し、米や麦も食べるが少量である。
ただし野菜や山菜は豊富だ。
それでいてこの国の人達は不思議なほど達者であり、稀に高齢に達するものも多数いる』と書き残しています。

L・ド・ボーヴォワール(仏)は、世界一周の途中1867年に日本に立ち寄り35日間滞在し、『ジャポン1867年』(慶応3年)を書き記しました。
彼は日本国内を馬で旅をし、初日に63kmの道のりをギャロップで走った際の馬に付き添った別当(馬丁)について、こう書き記しています。
『その間中私は別当を見て飽きることがなかった。
彼はその友である私の馬に、困難な箇所のたびごとに、咳き込んだ小さな掛け声で予告しながら、私の前をまるでカモシカのように敏捷に走った。
日本では馬に乗る者は、馬の好敵手となるこの筋骨たくましくも優雅な肢体の、忠実で疲れを知らぬ走者が絶対に必要であり、これらなくしては決して冒険を冒さないようである。
『アラマド』(これが私の新しい従者の名前である)は、実際この長い一日の間、四六時中我々の速い走行の伴をした。
ある茶屋で馬からおりると、彼は直ちにその場にいて馬の世話をし、冷たい水を鼻面にかけ、いんげん豆の飼料を少し与える。
この男の軽い足が地面にほとんど触れるか触れないかといった様をどんなにお見せしたいことか。』

1877年(明治3年)、ダーウィンの『進化論』の紹介や、大森貝塚の発見者として有名なエドワード・S・モース(1837~1925)も1877年(明治10年)から都合3度来日しており、『日本その日その日』を執筆し、そこからの引用です。
『ホテルに所属する日本風の小舟が我々の乗船に横づけにされ、これに乗客の数名が乗り移った。この舟というのは、細長い、不細工な代物で、褌だけを身につけた三人の日本人・・・小さな、背の低い人たちだが、おそろしく強く、重いトランクその他の荷物を赤裸の背中にのせて、やすやすと小舟に下し、その側面から櫓を操るのであった。』『七台の人力車を一列につらねて景気よく出立した。車夫の半数は裸体で、半数はペラペラした上衣を背中にひっかけただけである。
確かに寒い日であったが、彼等は湯気を出して走った。
時々、雨が止むと幌をおろさせる。車夫たちは長休みもしないで、三十哩(約50km)を殆ど継続的に走った。』
モースはこの他に、利根川を船でおよそ100km下った時に一人がずっと櫓を操っていたことなどを記しています。

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体格と文明で遥かに勝る西洋人が、日本の文化・食文化と日本人の体力に驚嘆するさまが描かれている書籍は、数え切れないほど多く存在します。
日本古来の素晴らしい食文化が多くの文化・芸能・運動(スポーツ)の礎になっていることは、疑いのないところです。
昭和のそば屋の出前は日常の風景でしたが、今では常軌を逸した筋力・バランス・テクニックとして、欧米で絶賛されています。

今では西洋思考に溺れ、洋食を嗜好し、欧米志向一辺倒です。
日本人のがんといえば、ひと時代前は胃癌でした。
ところが、胃癌による死亡は1960年頃から減少傾向を示し、現在、男性では肺がんに1位の座を奪われるほどになっています。
この原因には医療技術の進歩もありますが、食生活をはじめとする日本人の生活様式の変化が考えられます。
とりわけ、冷蔵庫が普及し、塩蔵品や干物などの塩辛い食品を食べなくなったことが大きな原因の一つとして挙げられます。
一方、胃癌による死亡が減ってきたとはいえ、日本人のがん全体の死亡数、死亡率は増加の一途をたどっています。
中でも、膵臓・乳房・大腸・前立腺がんなどの増加が目立ちます。
これらのがんは食事の急速な欧米化に伴い増加傾向にあるため、欧米型がんとよんでいます。欧米型がんの原因としては、肉、乳製品の摂取による動物性たんぱく質や脂肪の摂取量の増加、米離れによるでんぷん性食品の摂取量の減少などが挙げられます。

特に、脂肪摂取量は1950年にはわずか18gであったのが、1998年には約60gにも増加していますが、このような脂肪の摂取量の増加と欧米型がんとの間には深い関係があると考えられています。

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