悲願へ 22


 続きです。

 「どこまで広げられるか」とありましたが、「世界」なんていうところまで行くと、広げ過ぎで「欺瞞というか、もう無責任」と言っています。「民族主義とか、世界主義とか、そういうことを話す人は、自分の家庭すら固まっていない人が多い。」とありました。仕事で大きな目標に向かって邁進して、業容が拡大できたとしても、家庭が上手く行っていないのでは片手落ち、ましてや青年会議所活動などで「まちづくり」を大義にして忙しく活動していても、家庭がおろそかではよろしくないのかなと思います。

 この辺りから移民の話にもどり、ヨーロッパはヒューマニズムの神罰だから移民を止められないけど、日本はまだ国籍を与えてないから大丈夫とありました。ちょっと安心したのですが、本書が刊行されたのは5年前、この5年間で、、、あまり考えたくありません。

 日本が復活するために必要なこととして「哲学的にも思想的にも武士道しかない。哲学と思想は、です。それで、歴史的な形としては大家族主義しかない。」としていました。大家族主義は縄文時代から続く日本の基底文化だそうです。また血筋などにこだわらず「家族だと認識した者が家族」とありました。このあたり、どこまで家族と理解するのか非常に難しかったのですが、それを広げていける人は広げて、家長だけでなく、会社の社長なり、行政区の首長、天皇陛下なんて言うところになるということなのかもしれません。しかし、天皇陛下に関しては血筋にこだわらなければいけないでしょうから、この辺りをどう解釈したらよいのか聴いてみたいです。この辺りの話は「家制度は文化なんだ。だから、それにはやり方がある。」とかいてあり、その話はそこで終わってしまいました。

 そこから武士道に話が戻りますが、過去、日本には武士道があったから、他国の文化に侵されることなく、それを取り込むことが出来たとありました。逆に、昨今では武士道を無くしてしまったから、他国に流されるようになったとのことでした。今、「武士道」を読んでいるところですが、この辺りはまだまだ理解が及びません。

 この後、再度大家族主義について言及されており、「大家族主義というのは、家族の持っているいい点は、分からない。本来はだから、家族と言うんだ。日本は永遠に自分の国とか、自分が持っている良さは認識できない。認識できるということは、家族主義を捨てたということになるんだ。」とありました。昨今、日本の良さを再認識しようみたいな話を聞くことが多いような気がしますが、それは大家族主義を捨ててしまった日本人が多いからなのかなんて考えてしまいました。

 まだまだ続きます。

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