世界史は化学でできている 2


 昨日の続きです。

ノーベルの軍用火薬についての思いは今一つ腑に落ちない中で、読み進めるとドイツの化学兵器研究者、フリッツ・ハーバーは「毒ガス兵器で戦争を早く終わられば、無数の人命を救うことができる。」と言って開発に勤しんでいたそうです。ハーバーの妻は、ハーバーを諫めたそうですが、本人は聞く耳を持たず、妻は自殺してしまったとうことですが、なんとも悲しい話ですね。このハーバーの言葉、どこかで聞いたと思ったら原爆投下に対する「原爆投下が100万人(50万人とも言われる)のアメリカ人の命を救った」というアメリカ側の言い分と同じでした。救われるのは自国民の命だけというところに身勝手さがあふれていますね。

 こうなってくると、麻薬のところに戻ってしまうのですが、アヘン戦争について解説してくれていました。アヘンの歴史は古く紀元前1500年までさかのぼるのだそうです。アヘン戦争は敗戦で財政が厳しくなったイギリスが、清にアヘンを密輸して収益を確保するようになったところから始まりました。清の国民にアヘン吸引の習慣が広まり、アヘン購入のために大量の銀が海外に流出、清がアヘンを没収しの輸入を禁止すると、イギリスは反発して1840年にアヘン戦争を開始、清が敗北して、五つの港の解放、戦争費用と没収したアヘンの費用600万ドル、それに香港を割譲させるという結果になりました。なんとも滅茶苦茶な話ですが、言うこと聞かないなら暴力に訴えるなんていうのは、白人が有色人種を下に見ていた証拠なのでしょう。ノーベルの言葉はなんとも言えませんが、アメリカ側の原爆に対する主張もこうした差別感情からくるものなのではないかと思います。

 化学兵器のところでは、日本が化学兵器を熱心に開発していた話もあり、日本軍はイベリットという化学兵器を中国国民党及び共産党の軍に対して使用したのだそうです。残念な話ではありますが、この辺りはもう少し深入りしてみたいところです。

 諸々順番が前後しましたが、大変興味深く読ませて頂きました。ふと思い出したときに、気なった章を読み返してみたい本です。

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