悲願へ 第二部

 第二部の内容に移ります。

 松下幸之助の「新し人間観の提唱」は、日本の戦後復興と共に失われていったものに対する松下幸之助の悲痛が生み出したとありました。当時の人々の生き方と、現在の我々の生き方が大きく違っていて、その差が「失われていったもの」なのでしょう。そして、その中心になるのが「宇宙使命から生まれる『崇高』だ」と著者は言っています。しかし、その「崇高」は「道徳」、「美しさ」、「優しさ」、「正しさ」、「豊かさ」、「幸福」、「平和」ではなく、もっと人間にとって根源的な「何ものか」であり、「高貴性を求める人間の持つ魂の震撼だ」とありました。さらに「教育によって築けるものではない」、「我々一人ひとりの生命の本源からくるものである。」、「生命の本源の尊さを知って、初めて崇高な生き方は生まれる」とありました。正直、かつてに比べて人は死ななくなり、生命を軽んじるような事象も大きく減少し、人が人の死を悼む気持ちは強くなっているように思えます。いや、そうは言っても、お葬式は簡略化され、焼香は一回、繰り上げ初七日、七回忌はやらないなんていうことも多くなっています。そうしたことは枝葉なのかもしれませんが、分かりやすい部分なのかなと思います。いずれにしても「崇高」を理解するためには「新しい人間観の提唱」が必要で、著者は読むことで松下幸之助の魂と交流できると言っています。

 講演に入り、松下幸之助について「日本国の将来を憂えるというか、そういう深みを持った人物としては、すべての実業家の中で一番強い」、「実業家としても最高の方」と評しています。そこで、比肩する人物として出光佐三を挙げてくれたのが嬉しかったです。その松下幸之助の全思想の集約が「新しい人間観の提唱」であり、そこには「宇宙的使命」が語られているということでした。また、松下幸之助は宇宙の実在と人間の生命から日本国を憂いており、著者は「真の憂国の士」と言っています。

 昔の日本人は真面目だったが現世に縛られ、現世で名声を得たい、お金を得たいという気持ちが強すぎたとありました。一方、今の日本では、善い人ばかりで何ものも為せないのだそうです。これは自分に思いきり当てはまってしまったような気がして、ちょっと落ち込みました。現代で失われたものについての解釈が少し変化してきたところで、「現代と言うのは松下幸之助の夢であった、宇宙的使命の実現が近づいてるときなのではないかと思っているのです。」とありました。まだ、きちんと理解できておりませんが、第一部を読んだ時よりも希望が持てるように感じられました。

 まだまだ続きます。

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