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人生の転機に旅をすることの価値

普段のポエムとは違い、思いつきで色々考察したくなりました。

旅することの価値は、色んな人が言っていると思いますが、自分なりに整理したくなったので書きます。

長野と京都・奈良で行った旅の経験から要素を棚卸ししようと思います。

セレンディピティ

セレンディピティは、「素敵な偶然に出会ったり、予想外のものを発見すること。」みたいな意味合いの言葉。(wikiより)

流れに身を任せて動いていると、偶然の出来事が、ばんばん起こります。


旅先で好きな出版社のフェアに出会ったり

友人に勧められてタロット占いを受けたら、予期せぬ結果になったり

友人が突然唐揚げをあげてくれたり


身体感覚の変化

言語化しにくい内容なのですが、東京にいる時と、明らかに身体感覚が違います。東京では重い胴着でも着てるのか?という気分になります。実際、奈良では山を歩いたりして、身体感覚の違いを明らかに感じました。

未知の環境に飛び込むことの価値

前に恩師が言っていた言葉ですが、印象的なのでシェア。

「自分のことをよく知ってる人とばかり話すと、あなたってこんな人だよねという呪いをかけられる。知らない場所に行って無意識で行動して出てきたものが、あなたの才能です。」

そう考えると、「未知の環境に飛び込むことの価値」、みたいなものもある気がするなと。

「水先案内人」の重要性

ただ、正直、「たた、無暗に旅をすれば、自己変容できるのか?」というと、そうだと思いません。

長野の旅も、京都・奈良の旅も、「水先案内人」というような、自分自身のありたい姿を伝えて、導いてくれるような存在がいました。

なので、そのような人の存在はマストだと思うし、「何人かが同じようなプログラムに参加する形式(ツアーのような形式)」も、どうなのかな?という風に見ています。

過去にツアー、プログラム的な形にも参加したことがあり、「横のつながりができる」という意味では良いのかもしれません。が、個人としては、「ふらっと行ける」「その人に必要な場所に行ける」というのが大事なのかなとも思います。


最後に、長くなりましたが、「自己変容のための旅」で、好きな本を2冊紹介。

旅することによって自己変容するプログラムを、京都でつくりたいなあと思ってきたので、ここで宣言しておきます。笑



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