イエス 誕生・幼少時代
イエスの誕生についてのストーリーが記されているのはマタイによる福音書〔マタイの福音書〕とルカによる福音書〔ルカの福音書〕の2つになります。
マタイでは占星術の学者たちが、ルカでは羊飼いたちが登場します。
聖書にヘロデ大王が子供を皆殺しを命じた際に2歳以下であること、男児であることから、先にルカによる福音書の場面から書こうと思います。
イエスの誕生が
羊飼いに最初に知らされた意味
当時の羊飼いは、罪人のように使われていました。それは生き物を飼っていたため、安息日を守るなど、ユダヤ教の様々な律法を守ることが出来ませんでした。
そんな彼らは人々から見下され、軽蔑され、社会的に差別されていました。「羊飼いたち」の言うことは信用されず、裁判の証言も許されませんでした。
しかし神様は最初に、彼ら羊飼いたちに知らされたのです。
この「羊飼いたち」こそが私達「罪人(つみびと)」の代表であり、無学な者であり、無力の者であり、身分も卑しく見下される者〔Ⅰコリ1:26-28〕を神は選ばれました。
キリストの誕生が最初に「羊飼いたち」に知らされたのは、キリストが「罪人」を救うために来られた〔マタ9:12-13 他〕ことを示すためです。
東の方から来た占星術の学者たち
この占星術の学者たちについては人数は愚か、正確な職業もわかっていません。マゴスというギリシャ語が「東方の国から来た占星術の学者たち」を指すと思われているだけなのです。
ただこの「マゴス」という言葉は色々な意味を持っていることは分かっています。
ゾロアスター教の司祭、天文学者、魔術師、その中の天文学者が占星術つまり星をみて様々な事を占っていたそうです。
この時代のイスラエルの東側にあるパルティ
ア(後のササン朝ペルシャ)やバビロニア地方といったところでは占星術の学者は大活躍でした。国家の運命までも占うのですから国の重要なポストです。
ユダヤ人の王を拝みに来た。
学者たちは星に導かれエルサレムに来ました。当時の占星術学者は偉大な指導者が現れるとき、新しい星が現れると信じていたそうです。
起動も整備されていません、当時はローマ帝国とパルティアは休戦と再開戦を繰り返していた時期でもあります。盗賊なども多く旅には多くの犠牲が伴います。
莫大な費用と時間そして犠牲。イエス様は、それ程のことをしてでも礼拝するに相応しいお方なのです。
その後占星術の学者たちはヘロデ大王に呼び出され、話を聞きベツレヘムへ向かいます。すると東方で見た星が先導するように進み、ついには幼子のいる場所の上で止まります。
イエス様の前に出て「ひれ伏して」拝みました。「ひれ伏して拝んだ」という言葉は、ギリシヤ語で「プロスクネオ」といい、「頭を低く下げ、または跪いて、相手を誉め称える」という意味だそうです。
礼拝とは、主の前にひれ伏し、主を高く上げるということでもあります。
つまり学者たちは、単に儀礼的な挨拶をしたのではなくて、「幼子」のイエス様に礼拝したのです。
イエス様の前に「黄金、乳香、没薬を贈り物としてささげ」ました。「博士たち」は、何のみかえりも求めずに、イエス様に「贈り物」をささげました。
学者たちの贈り物は、イエス様がどのようなお方であるかを示すものです。
「黄金」は王にささげられるもので、イエス様が「王」であることを示しています。
「乳香」は、神にさげられるもので、イエス様が「神」であることを示しています。
「没薬」は、埋葬の時に死体に塗るもので、イエスが十字架の死によって、私たちを贖って下さる「贖い主」であることを示しています。
同時にそれらは非常に高価なもので、占星術の学者たちの仕事道具だったとも考えられます。「マゴス」の言葉の中にはゾロアスター教の司祭も含まれています。
つまり学者たちは幼子であるイエス様に全てをゆだね、伏して、イエス様を高め、褒め称えたのです。
それは、イエス様が私たちの最高の礼拝を受けるに相応しい方で、「ユダヤ人の王」であるキリストであるからです。
私たちも「東方の学者たち」のように、王なるキリストを礼拝できれば幸いですね。
※ 私が主日礼拝や聖書勉強会で学び、メモをとり、ノートにまとめた内容を清書しています。そのため間違っていることもあるかと存じますのでご了承ください。
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