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大学生日記 #17 吸殻

ソメイヨシノの桜並木の中をゆっくりとベンチに戻りながら、このあと広司は結衣に対してどう接していけば良いのか、どんな言葉を掛けたら良いのか思案していた。しかし、広司の脳裏に浮かんでくるのは彼女の肉体的な生々しい唇の感触だけで、それ以外は何も浮かんでこなかった。このままいけば結衣との関係が終わる可能性は充分考えられるのに、理性的に頭ではそれを理解しても、現実の結衣の唇の感触は、本能的に広司にそんな杞憂などを忘れさせて淫らな妄想をさせるだけの衝撃を与えていたのだった。実際に広司の股間は、素直な反応として激しく勃起した。
しかし結衣が待っている筈のベンチに広司が戻って来た時、そこにいるべき筈の結衣はなぜか何処にも見当たらなかった。広司は結衣がトイレにでも行ったのだと思い、ひとまずベンチに座り彼女の帰りを待つことにした。広司はひとりベンチに座っていると急に煙草が吸いたくなって、背負っていたリュックの中から無造作に入れていたマルボロライトの箱と百円ライターを取り出し、そのまま一本を箱から出して火をつけた。
いつもより長く味わうようにゆっくりと煙草の煙を吐き出すと、その煙はゆらゆと不規則に動きながら中空に昇り、音もなく静かに消えていった。広司は自分が吐き出した煙をぼんやりと眺めながら、ふと結衣の前では煙草を吸ったことがなかったことを思い出した。煙草に関して結衣から特に何かを言われた訳ではないけれど、彼女が煙草を吸わないので、何となく広司が気遣って結衣の前では吸わないようにしていたのだ。ただそんな淡い思い出も、いずれ遠い過去の記憶として忘却されてしまうだろうことが、殊更に広司に寂しさを感じさせた。手元で燻っている煙草はまだ半分程残っていたが、広司はそんな自分の気持ちを押し殺すように地面で煙草を消すと、近くのペットボトルに吸殻を押し込んだ。

#小説 #ソメイヨシノ #感触 #本能 #ベンチ #煙草 #吸殻

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