見出し画像

田舎で猫と散歩をする男性に話しかけてみた話

5月の安曇野、 とある日一匹の猫と一人の男性と出会った。

ちょうど棚田状に農地が並ぶこの道で

田植えが済んだ翌日、田んぼに水を入れに行く朝6時前、猫を散歩させている男性をみかけた。 実は同じ光景を昨日の朝も見かけていたので、猫を散歩させるという珍しい行動が気になって、僕は声をかけた。

「おはようございます。昨日も散歩してましたよね?猫の散歩ですか?」

すると40代ほどの男性は優しい声で答えた。

「この子もうすぐ息を引き取りそうなんだ。一週間前から何も食べていなくてね。医者に見せたけど、どうも病気で...寿命らしい。それでも外へ出たがるから、こうして一緒に散歩に来ているんだ。」

よく見ると、散歩と言うより畦道に一緒に座っていると言った方が正確だ。男性は手に籠を持っていて、歩くことすらできない猫は飼い主に運んでもらっている状態。更に聞くと、その猫はもともと野良猫で、ひょんなことから男性の家に住み着いたことや、男性は夜も付きっ切りで猫の最後の時を見守っていることも話してくれた。

わぁ。なんて愛のある人なんだろう。
わぁ。なんて幸せな猫なんだろう。

僕はそう思った。
そしてふと、「命の終わりって尊いな」なんてことが頭に浮かぶ。
その日は偶然幼い息子も連れて来ていて、横に居た息子に目をやると、息子が産まれた時のことを思い出した。 「あの時も尊い瞬間だったな」そんなことも頭に浮かんだ。

あれ?
命の始まりと終わりが尊いなら、今この瞬間の僕はどうなんだろう?
猫と一緒の男性はどうなんだろう?

あぁそうか。きっと僕たちが生きているこの瞬間も等しく尊いんだ。

なんだかひらめいてしまったかの様に僕はそんなことを確信した。

死期が迫った人に寄り添うのも、今後何十年も一緒に生きていくであろう家族に寄り添うのも、実は等しく愛おしい時間なんだ。
そんなことを猫が教えてくれたようなできごとだった。

明日からは、目の前に現れた人をもっと愛してみよう。
始めましての人、友人、家族、仕事仲間と一緒に過ごせる時間をもっと愛してみよう。

∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

読んで頂いてありがとうございます。

「人生死ぬまで勉強だね。」と言う年配の方に出会うことがあるけど、本当にその通りだと思います。気づきや学びは死ぬときまで何度も何度も訪れるのでしょう。

無数の緑と命が広がっていくこの季節は、野良仕事をしながら自然観察をするのがかなり楽しいです。その様子もまた記事にしていけたらと思っています。

∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

#猫

#死

#生と死

#安曇野

#寿命

#松川村

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?