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トウキョーガール

今年の2月が終わる2日前のその日は、とても良く晴れていた。

羽毛布団をしっかり被っていたせいか、心なしかじっとりとする身をよじらせながら、枕元に放り出したままだったはずの眼鏡を手探る。
目覚ましをかけなかったにもかかわらず、思っていたよりも早く目覚める事が出来たものだから、すっぽり空いたその1日の午前中に、せっせと洗濯機を回す。
キッチンに立って、大した量でもない洗い物をして、シャワーを浴び、ぼーっとしながら歯を磨いて、脱水の終わった洗濯物を干す。

ちょうど去年の今頃、2019年の3月の或る日に、やっぱり同じようにすっぽり空いた1日を、僕は新宿から渋谷へと歩く事で過ごした。
数年ぶりに、“せつない”を嗅ぎに行きたくなったのだ。それもなかなか強い気持ちで。

この新宿・渋谷間での僕の想いのピークは、代々木第一体育館を囲むように通る、石畳の歩道にある。
この石畳の歩道には、僕にとっての思い出や思い入れがあって、ついでに“無かったけれど有ったら良かった事”なんてモノも、僕の中にこっそり存在したりする。

去年、そこに足を運ぼうと思って、新宿から渋谷方面までじっくりと歩いて行った時には、何と代々木第一体育館周辺は、オリンピック準備の影響で、まさかの工事中に伴い通行禁止。

※この3枚は去年のもの。
鼻の奥でツンと染みるように感じたかった“せつない”は、思い出せないまま、僕は代々木公園のベンチに腰を下ろして、急に重くなったように感じる足元を見つめるだけだった。

今シーズン買ったばかりのダウンに袖を通し、マスクをしっかり付け、ウィルス対策。
リベンジをしたいという気持ちと、また工事中だったとしても、それならそれでもういいや、という気持ちと交互に向き合いながら、新宿の地上に上がった僕は、そのまま明治通りをトコトコと歩く。
途中、生まれて初めてレコーディングを経験したスタジオを思い出して道を逸れてみたけれど、そこにはもうそのスタジオは無かった。

明治通りを歩きながら、イヤホンから流す音楽は、迷う事無く、大江千里「六甲おろしふいた」。
僕の中での「原宿感」はこのアルバムがしっかりと演出をしてくれる。
千里さんのアルバムは、アルバムごとに、僕の記憶と場所と、そこにある風景なんかとしっかり紐付いているのだけれど、その個人的感覚を語り出すと随分と長いので、またいつか改めて書くとして、この「原宿感」を両耳でズビズビ聴きながら、もう直ぐ取り壊されるという原宿駅の駅舎の前なんかを闊歩する。

当時、一生懸命背伸びをしながら聴いたアルバムをバックに流しながら、これまた当時背伸びをしながら何度も足を運んだ街の景色を見渡してみる。
そう、何だかやっぱり随分と変わっていた。
去年来た時は、あまりにも久しぶり過ぎて、冷静に街の風景を見ていられなかった部分もあるものの、何となく、もう僕の知ってる原宿ではないのだという事だけは感じていた。
だがそれを、今年はズブーっ!とハートの奥まで思い切り刺された感じ。思い知らされた。
当時無かった店ばかりになったし、神宮橋の手前にあった歩道橋も無くなっていた。
歩道橋に関してはショッキング過ぎて、その場でネットで調べた所、おやおや、どうも数年前に撤去されたそうで…って事は去年来た時には、既に無かったのだ。それほど、去年の原宿の人混みに身を埋めた僕は冷静でなかった訳だ。

僕の記憶の中にある街並みはもう無いのだと、改めて感じながら、ダメ元で代々木第一体育館方面へ足を伸ばす。
この辺りでちょうど「六甲おろしふいた」が終わり、次に流すのは大江千里「Giant Steps」。
僕の中の渋谷像と、ギチギチに結びついついるアルバムだ。
すると、去年バッチリかまされていたオリンピックに向けた工事は既に終わっているようで(さすがにこの時期ならそうか)、逆まさかの「通行可能」状態。

「はあぁぁぁぁぁ〜」と喜びの溜め息を盛大に声にする。それくらいホクホクな気分になる。
そうだ、この景色を見たかったのだ。ほぼ独り占め状態。別に何をするでも無い、この石畳の歩道をただ歩くだけなのだ。
整備された影響か、綺麗に舗装された石畳が一部あったけれど、それでも、あまりにも久しぶりに訪れる事の出来たこの景色を目の前にして、今年の僕はようやく“せつない”をバッチリ嗅いだ。
大満足のまま代々木公園へ抜け、公園通りへと進む。
渋谷だって、僕の中にあった風景とはしっかり様子を変えている。
足を運んだカフェは無くなり、緊張しながら踏み込んだ洋服屋も無くなった。
ミスタードーナツも無くなり、タバコと塩の博物館も無くなり、知らない建物が増えた。
それ程渋谷に足繁く通った訳ではないから、余計にそう思うのだろうけど。
リニューアルしたPARCOをぐるりと巡り、来た道をトコトコと歩く。

昼間と違った表情の、「暮れかかる街に鼻の奥ツンと染みるくらいに」、その日2度目の“せつない”を嗅ぐ。
今年の2月が終わる2日前のその日が、とても良く晴れていたせいか、そのニオイは、とてもクリアに感じた。

ちょっと気持ちが向いた時に、サポートしてもらえたら、ちょっと嬉しい。 でも本当は、すごく嬉しい。