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Memories of

「高校生の頃の記憶って、友達いなかったこともあって、殆ど無いんだよね〜」と、事ある毎に嘯いていた僕だが、ついこの間、Googleマップで自身が通っていた高校のあたりを何の気なしに調べていた時にふと思い立ち、いざ真剣に高校生の頃の記憶を手繰り寄せようと試みたところ、本当に殆どの事を思い出せない事実に気づき、愕然としてしまった。

窓際の席から見えていた風景がどうだったか、学園祭や体育祭などのイベントで何をやったのか、授業の内容は勿論、あの頃3年間を過ごした高校での風景や出来事の思い出は、殆どごっそりと僕の中からこそげ落ちてしまってしまっているようだった。
初めて僕とバンドを組んでくれた同級生たちとの高校当時の思い出も、やはり殆どない。

断片的に記憶に残っているいくつかのシーンを掻き集めれば、何とか10分くらいの尺はあるかもしれないが、それにしてもあまりにも少ないではないか。
僕の記憶よいずこへ…というか、あの頃の僕に何があったのか。

そのまま、恐る恐る小中学生の頃の記憶も思い出そうとするが、こいつらもやはり殆ど僕の中に残っていない。どういうことだ。

何かの拍子に「ただいま!」なんて帰ってきてくれる記憶や思い出も勿論数多あるが、入り口のドアを開け放って「お〜い!思い出すよ!帰っておいで!」と大声で手を振っても、返事もしやしない。思い出たちは薄情者だ。

今パッと思い出せる事も、どれくらい前のものが一番古い思い出なのか。とても恐ろしくて考えたくない。

人間は忘れてゆく生き物だとよく言うが、月日を超えて自分自身を生きる中で、これからも僕はきっとこうやって、知らず知らずのうちに過去の自分や記憶や思い出と決別しながら、捨てながら、進んでいく。
「やぁ、久しぶりだね」なんて、ノックも無しに不意に僕の元に戻ってくる思い出たちに、「薄情者!」と怒る事も忘れて、何だかとっても感激してしまうような再会を繰り返しながら。

こないだ原宿の街をふらりとひとり歩いた時にも、
急に色々思い出しちゃって、
何だか感激しちゃったんだよね。

ちょっと気持ちが向いた時に、サポートしてもらえたら、ちょっと嬉しい。 でも本当は、すごく嬉しい。