日本の私立大学の運営と経営を考える ④(深掘りLIVE #11 文字起こし記事)
深堀ライブの11回目ですね。 今日は「日本の私立大学の運営と経営を考える」の(その4)を話したいと思います。 これまで(その1)(その2)(その3)とお話をしてきました。
日本の私立大学はガバナンスが問われる時代になってきた。その一番大きな理由は少子化の進行です。
日本は私学の割合が異常に高い
が、その前段の話として、実は日本というのは他の先進国に比べて、先進国だけじゃないですね、他の国と比べて私学の割合が異様に高いんですね。
私学の割合が異様に高い。 これは理由がありまして、急激に高等教育が拡大した。 もっと分かりやすく言うと、大学入学者数が高度成長期に一気に増えたということと関係しています。
高等教育を国公立、国や地方自治体で賄うことができずに、つまり公教育に国が責任を負い切れない分を、全て私学が引き受けることになったという事情があるわけです。 だから日本は私立大学、私学の比率が異常に高い。
これは日本の国としての公教育に、国がどこまで十分に責任を負っているのかという問題とも実は関連しているんですが、その話はまた別の話ということで、いずれにしても日本は私立大学の割合が非常に高い。
少子化のなか断末魔の苦しみに喘ぐ私学
しかもこの急激に膨らんだ大学進学者が今、少子化の中で縮小していると。 縮小すると何が起きるかというと、大学全体の定員は未だに増えているわけですから、定員が埋まらない大学が出てくると。 弱小私学はどんどん定員割れを起こして募集停止、あるいは統廃合に追い込まれていくという状況が今生まれてきている。
これが2040年ぐらいまでさらに急激に進むわけですね。 だからその意味では日本の戦後、膨らみ切った私学が縮小の局面に入ってきていて、そんな中で今いろんな断末魔が生まれているということなんですね。 そうすると個々の私学には経営能力が求められてくる。
これ別の言い方をすると、西暦2000年ぐらいまではまだ高等教育への進学者が増えていましたので、私学は経営しなくても成り立った。 ところが21世紀に入ってから私学は経営しないと成り立たなくなってきた。 単純に言えばそういう問題なんですね。
拡張期には経営しなくてもお客さんが来たと。今はお客さんが減ったので経営しないとお客さんが来ない。つぶれてしまう。お店はね。 そういう単純な話なんですね。
そもそも経営能力に欠ける日本の私学
ところが日本の私学はその拡張期に経営をまともにして来なかったけれども経営が成り立っていたから、いざお客さん来なくなったから経営を始めましょうと言っても経営能力がないわけですね。あるいは経営能力に欠けているわけです。あるいは不足しているわけです。 すべての私学が経営能力を持っているわけではない。 だから今の状況が非常に深刻な状況になっているわけです。
大学のガバナンス、私学のガバナンスということが言われてきているわけですが、そのガバナンスの担い手が一つは不足している。
もう一つはそのガバナンスの仕組みを今いろいろいじっているんですけども、それがいろんな意味で失敗に終わっているというふうに私は思っているわけです。
そんな中、実は私学というのは非営利組織であって、学校法人というのは、非営利組織は経営を優先すると失敗するという話を2回目でしています。 むしろ運営が大事なんだという話を。組織運営が上手じゃないと、というかちゃんとできないと、経営だけを考えている私学は失敗するという話をしました。
3回目では、そもそもじゃあその学校法人、私学の使命、目的は何なのかという話をしたわけです。 そんな中で学長、理事などの役割ということ、さらには資金計画とマーケティングの話もしたのが、これが3回目です。
ガバナンスが問われる時代に求められる運営体制とは
今日は、4回目として何の話をするかということなんですが、前回ですね、大学の学長はプロ野球の監督と似ているという話をしたので、ガバナンスが問われる時代に、実際の担い手がどういう仕組みの中で、どういう運営体制の中で役割を果たす必要があるのかと、こんな話をしていこうと思います。
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