「人間の安全保障」を脅かす少子化問題一男女平等のジェンダー・イデオロギーを見直せ!

『ウェルカム人口減少社会』によれば、2095年には日本の人口は4千万人を割り込むという予想になっている。また、2900年には日本の人口は千人になると予測する人口学者もいる。
 私は内閣府の「少子化対策重点戦略会議」の「家族の絆」分科会委員、並びに男女共同参画会議の有識者議員を4期8年務めたが、男女共同参画社会基本法に基づいて女性活躍推進策等が推進されてきた、戦後日本の男女平等、ジェンダー平等という抜きがたいイデオロギーを根本的に見直さない限り、人口減少は食い止められない。
 昭和45年から平成17年にかけて、女性の未婚率は急カーブを描いて高くなっている。この急カーブは決して自然にできたものではない。昭和47年に「勤労婦人福祉法」が制定され、昭和61年に「雇用の分野における男女の均等な機会および待遇の確保等女子労働者の福祉の増進に関する法律」で改正され、現在の「男女雇用機会均等法」になった。
 要するに、雇用に関しては男女は完全に均等に機会を与えなければならないという法律である。そして、平成11年に前述した「男女共同参画社会基本法」が制定されたのである。
 この法律は市町村に至るまで、どれだけ忠実にこれを実施したかということの報告を義務付けられている。ちなみに、教育基本法は各市町村できちんと守られていっるかどうかを毎年チェックして報告書を出すなどということはない。
 「男女共同参画社会基本法」の基本精神は、あらゆる場面において男女の役割分担ということを明言してはならない、固定的役割分担の意識を徹底的に払拭しなければならない、というものである。
 この法律の制定に奔走したフェミニストたちは、制定当初は隠していたが、「あれは日本潰し、そして日本中をフェミニズムの思想で洗脳するために作った法律である」ことを告白している。人間の子孫を産み育てるその営みを支えてきた大切な子育ての伝統文化の破壊を目指していることは明白である。
 人間にとって本能の代わりになるような大切な慣習・文化によって支えられてきた人間の子育ての伝統が、ジェンダー・イデオロギーによって日本のみならず、世界的規模で突き崩されつつある。国連が制定した「女子差別撤廃条約」がその元凶と言える。

 「マルクス主義フェミニズム」に関する著書を2冊出版している「ジェンダー学」研究の先駆者・上野千鶴子東大教授によれば、「なぜこんな新しい概念が生まれたかといえば、生まれつき決定されていると考えられるセックスに対して、ジェンダー(社会的性差)の多様性や変化の可能性を示すため」であり、「社会的に作られたものだから、社会的に変更することができる」ことを明確にするために、あえて「ジェンダー」という外来語を訳さずにそのまま使っている」という。
 ここに、男女の性差は常に男性が支配し、女性が抑圧されるという構造を持つというマルクス主義の理論が加わり、家族を含む人間社会の至る所にあるすべての現象に内在している「男女の定型」イコール「ジェンダー」をすべてを解体すべしという「ジェンダー・フリー」理論が出来上がり、全国に広がったのである。
 つまり、「ジェンダー」という言葉を戦略的武器にして「男女平等」「男女共同参画」を主張すると、社会全体を変革する大きな破壊力を発揮することができるという訳である。「ジェンダー」という耳なれない用語がにわかに登場し、頻発されるようになってきた背景には、このような狙いや思惑が潜んでいたのである。
 しかし、「ジェンダー」という言葉を武器にして「男女平等」を主張し、「差別の撤廃」を強調するが、「平等」も「差別」も仏教用語であり、仏教用語である「平等無差(しゃ)別」の意味、そもそも「平等」とは何か、「差別」とは何かを根本的に問い直さなければならない。
仏教経典によれば、「平等」の原語の語幹であるsamaが「寂・静・平静」を意味することは示唆的である。すべての存在は時空的相互依存関係がある「諸行無常」「諸法無我」という「縁起」の「理法」に目覚めた「涅槃寂静」の境位が「平等」を意味しているからである。釈尊とその弟子たちが探求した「独立自由」は、「世界人権宣言」にうたわれている「所有の自由」ではなく、権利追求の自由から自由であることを意味している。
その意味で、煩悩から解脱した「涅槃(ニルヴァーナ)」を「自由」と捉えた視点は重要である。「平等」や「自由」の根源的な意味をこうした仏教経典に遡って探求すれば、「マルクス主義フェミニズム」がいかに表層的な偏見であるかがわかるであろう。「差別」についても同様である。人間存在の仕組み自体が「差別」で成り立っており、人間が生き延びるための基本認識が「差別」に他ならない。
 早稲田大学の長谷川真理子教授は『生き物をめぐる4つの「なぜ」』(集英社新書)において、「ジェンダーを作り上げてきた人間社会の歴史が仮に一万年あったとしても、有性生殖の歴史はそれよりずっと長く、30億年の歴史を背負っている」と指摘しているが、生き物の歴史にさかのぼって『性差』の問題を考える必要がある。「生命誌」を提唱する中村桂子氏にも共通した問題意識が見られる。
 家族を異性愛との関係でとらえ、異性愛も社会的に構築されたものであり、家族はこの異性愛のもとに成り立っているから、家族の解体化、性規範の解体化を目指すというのが「構築主義ジェンダー論」である。これを批判する長谷川真理子教授は、「ジェンダー論は男が偉いという価値体系を引きずっている」と批判し、子供には母親が絶対に必要であり、母性を否定するジェンダー論はおかしいと主張している。
 一方、埼玉大学の長谷川三千子名誉教授は、「ジェンダーなんか怖くない」「ジェンダーという言葉をフェミニストから奪い返せ」と主張し、「逆転の発想」で「ジェンダー」なしに人間は生きていけない積極的意義を明らかにして、むしろ、フェミニズムの「男女平等原理主義」の歪みを正すのに有効な概念として活用すべきだという。
 結果「平等」を男女間に当てはめたのが「女子差別撤廃条約」第1条の「『女子に対する差別』とは、性に基づく区別、排除又は制限であって」という規定であるが、仏教用語や日本文化の感性という根源的な視点から、同条約が土台としている、国連が金科玉条にしている「ジェンダー」論そのものの問題点を明らかにし、国際発信していく必要があろう。その理論武装のための研究会を早急に立ち上げたい。

 女子差別撤廃条約は男女の区別をも差別と見做し、「男女の差をつけるような文化・慣習は壊せ」という趣旨が明記されており、それが世界中に蔓延している。
 いま世界の人口は60億人に達し、むしろ人口増加が問題になっている。しかし、人口学者によれば、もうじき頭打ちになり、途上国の文化が発展してゆくにつれて先進国の人口減少パターンをたどって、世界人口のカーブはやがて日本の人口減少のカーブのようになっていくという。
 これから半世紀もたたないうちに我が国の子供を産める女性の数は現在の半分になる。そうなれば仮に出生率が倍加しても、生まれてくる子供の数は増えない。人口が減り始めた今の段階で食い止めなければ、この急カーブを食い止めることは出来ないのである。
 人口減少という日本の危機は、遠い将来の危機に見えるが、今すぐ取り組まねば取り返しのつかない国家的危機を招来することは火を見るよりも明らかである。
 ところが日本には、その国家的危機に拍車をかける法律が制定されており、軍事的危機とは異なる「人間の安全保障」が脅かされているのである。軍事的危機に対していくら国防を強化しても、少子化によって日本が滅びてしまっては意味がなくなってしまう。
 ウェルビーイングの向上を目指すとともに、「人間の安全保障」を守るために、人間の子育ての伝統を見直し、男女共同参画社会基本法に基づく「男女平等」「女性活躍推進」策を根本的に見直す必要がある。詳しくは、拙著『これで子供は本当に育つのか』(MOKU出版)を参照されたい。


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