新たな道徳教育学の樹立を目指して⑴

まず、「考え、議論する道徳」を中心とする学習指導要領改訂をめぐる根源的疑問、違和感について述べたい。

脳神経倫理学等の科学的知見に基づく道徳性

脳科学・脳神経倫理学・認知心理学等の科学的知見によれば、道徳的判断力は、他者の感情や表情をしぐさから推測したり、他者の立場に立って感情を理解する役割取得を含む、他者の感情を想像する「認知的共感」(メンタライジング)に近く、道徳的心情は、他者の感情を自分のことのように感じる「情動的(感情的)共感」(ミラーニューロン)に近い概念といえる。メンタライジングについては、J,G.アレン、P,フォギナー、A,W,ベイトマン『メンタライジングの理論と臨床:精神分析・愛着理論・発達精神病理学の統合』(北大路書房、平成26年)、ミラーニューロンについては、クリスチャン・キーザーズ『共感脳一ミラーニューロンの発見と人間本性理解の転換』(麗澤大学出版会、平成28年)を参照されたい。
神経生理学や神経科学の研究によって、他者理解はミラーニューロンシステムによるダイレクトマッチング(他者の行為と自身の運動表象をマッチさせる過程)によって行われることが分かり、乳児期初期における他者理解のメカニズムが、京都大学の板倉昭二教授らの研究によって検証された(明和政子『発達初期の他者理解一行為の理解から心的状態の理解へ』医学書院、平成27年)。
適切な向社会的行動を行うためには、発達初期に萌芽的に内在し、環境要因や生育要因等によって形成されるこの二つの共感(道徳性の芽生え)を家庭でいかに育み、道徳の授業でこの二つの共感性をいかにバランスよく育成するかが重要課題といえる。
先進国においては、既に教育の重点が就学前にシフトしてきており、この世界的な流れを受けて、就学前の子供たちの家庭内外の育ちを支えていくために、子供の「発達の保障」という視点に転換し、科学的証拠に基づく幼児教育・家庭教育を再構築していく必要がある。
乳幼児教育の重要性については、「ルーマニアの棄てられた子供たち」を対象にした研究プロジェクト(BEIP:The Bucharest Early Intervention Project)によって、アタッチメントを剥奪されることによって、社会性の発達に長期的なダメージを受けることが判明した(チャールズ・ネルソン、ネイサン・フォックス、チャールズ・ジ-ナー『ルーマニアの遺棄された子どもたちの発達への影響と回復への取り組み』福村出版、平成30年、参照)。
また、シカゴ大学のヘックマン教授が、幼稚園に行けないアフリカ系アメリカ人の貧困層の子供を3歳から2年間、幼稚園に通わせるという介入を行ったところ、給料、持ち家率、犯罪率等に大きな差が見られたことが長期追跡調査によって明らかになっている(ジェームズ・ヘックマン『幼児教育の経済学』東洋経済新報社、平成27年、参照)。

中教審道徳教育専門部会と日本学術会議分科会報告の指摘の問題点

このように剥奪研究と介入研究の長期追跡調査によって、乳幼児期に「非認知能力」「共感性」を育むことの重要性が世界的に注目されている中にあって、わが国の一部には、次のような指摘が見られる。
「考え、議論する道徳への転換に向けたワーキンググループ」(平成28年)の「審議のまとめ」には、「読み物教材の心情理解のみに終始する指導」と書かれ、中教審初等中等教育分科会教育課程部会の道徳教育専門部会でも次のように指摘されている。
「読み物教材の登場人物の心情理解に偏ったり、分かりきったことを言わせたり書かせたりする指導に終始しがちであった」「これまでの道徳教育では情意的側面を重視して登場人物の心情の理解を通して道徳的価値の自覚を深めることが多かったが、今後は、認知的側面も重視する必要がある。」
しかし、「心情理解に偏って」いるのではなく、道徳性の捉え方が認知中心に偏っており、「心情理解」が「認知的共感」に偏っているのではないか。これまでの道徳教育は「情意的側面を重視」して「登場人物の心情理解」をしようとしたのではなく、「認知的共感」という「認知的側面」を重視して「登場人物の心情理解」をしようとしたところに問題があり、感情や情動面と認知面の道徳性の調和的育成が求められているのではないか。このような偏見の根底には、感知の関係を根本的に問い直す近年の「情動学」の目覚ましい研究の成果を踏まえていないという背景があるように思われる。
昨年6月9日に公表された日本学術会議哲学委員会哲学・倫理宗教教育分科会報告「道徳科において『考え、議論する教育を推進するために』において、次のように指摘している点にも同様の問題点があると思われる。
「『お母さんへの請求書』は母親の無償労働という伝統的役割、自己犠牲を押し付ける『古い価値観』「道徳の問題を心の問題にしてしまう『心理主義化』(政治的・社会的・経済的な問題を個人の心の問題にすり替える操作)や『心情主義』が問題」「心理主義化した道徳教育には、各人の利益を対話により調整するという政治的過程が欠落している」
同報告の作成に関わった松下良平著『知ることの力一心情主義の道徳教育を超えて』は、「心情主義の(道徳)教育(つきつめれば<心の教育>)の幻想に取りつかれて、文部科学省のかけ声に合わせながら皆が一斉に同じ方向につきすすみ、誰も責任を自覚しないままに空虚で危険な試み(傍線は筆者、以下同様)が続けられている」と述べ、「知行不一致現象の拡大再生産」を行い、「『心』という空虚な実態一人々を魅了し肯かせるが、実際にはどこにも存在しないもの一に寄りかかりつつ繰り広げられてきた」「心情主義的道徳教育論の誤り」を指摘している。
これらの「心情主義的道徳教育論」批判に対する最も鋭い反論がジョナサン・ハイトが『しあわせ仮説』で指摘した、直観や情動ではなく、「考え、議論する」等の思考に働きかけてきた「道徳教育の深刻なあやまり」という指摘である。
詳しくは、拙稿「脳科学から道徳教育を問い直す一新たな道徳教育学の樹立を目指して⑴」(『モラロジー研究』84号所収論文、令和元年)、並びに同「道徳性の芽生えを育む道徳教育の今日的課題一『臨床の知』と『科学の知』の融合」(同87号所収論文)を参照されたい。

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