小林秀雄「学生との対話」の衝撃

●「切実な問い」を求める威厳に満ちた逆質問

 学生時代の忘れられない衝撃的な体験は、昭和45年と49年に開催された国民文化研究会の全国学生青年合宿教室での作家の小林秀雄氏の講演後の質疑応答のやり取りであった。この2回の講演と質疑応答は『小林秀雄 学生との対話』(新潮社)に収められ、CDとしても販売されている。このCDには私の感想文も収められており、一生忘れられない思い出となった。
 強い衝撃を受けたのは、大学生の質問に対して、「君は自分の質問の意味がわかっているのか!」「そんな質問には答えない!」などと厳しく突き放された小林秀雄氏の威厳に満ちた態度であった。質問に答えないばかりか、逆に詰問する存在感に圧倒された。
 小林氏は問うこと自体の意味を学生自身に厳しく問い直し、「切実な問い」を求めた。「本当にうまく質問することができたら、もう答えはいらないのです。この難しい人生に向かって、答えを出すこと、解決を与えることはおそらくできない。ただ正しく訊くことはできる」と語りかけ、答ばかり出そうと焦る姿勢をたしなめ、「私は私がわからない」という質問に対しては、「歴史を勉強しなさい」と一喝した。
 自分の人生を溌溂と独創的に生きていくために必要なことは、答えを手にすることではない。問いを発明することだ。自分自身で人生に上手に質問することだ。上手な質問か下手な質問かは、その質問が自分にとって切実か否かだと説き、右か左か、賛成か反対かなどという世論調査のような質問を最も嫌った。

●「考えること」は「他者と繋がること

 答えを求めるのではなく、自分で考えることが大切であり、何かを知りたければ、よく「考える」ことだと言い、本居宣長の次の説を引用された。

<「考える」ことを、昔は「かむかふ」と言った。宣長さんによれば、最初の「か」に意味はなく、ただ「むかふ」ということだ、と。この「む」というのは「身」であり、「かふ」とは「交ふ」です。つまり、考えるとは、「自分が身をもって相手と交わる」ことであり、人間を考えるときには、その人の身になってみるだけの想像力が要る。>

 この観点から「考え議論する道徳」とは何かを捉え直すと、「自分が身をもって相手と交わる」中で「対話」する道徳であり、「主体的・対話的で深い学び」につながる。また、「その人の身になってみるだけの想像力」は、自他を切り離して頭で想像する「認知的共感」にとどまらず、自他一体となって心で解る「情動的共感」もともに育む「深い学び」と言える。

●「歴史の急所」に歴史教育の重点を定めよ

 歴史と自分との関係を重視した小林秀雄は、「歴史と文学」と題する一文において、次のように述べている。

<学生諸君が、歴史というものに対して、まことに冷たい心を持っている。…明治維新の歴史は、普通の人間なら涙なくして読む事は決して出来ないていのものだ。これを無味乾燥なものと教えて来たからには、そこによっぽど余計な工夫が凝らされて来たと見る可きではないか。歴史は人間の興味ある性格や尊敬すべき生活の事実談に満ち満ちている。そういうものを歴史教育から締出して了って、何故、相も変らず、年代とか事件の因果とかを中心に歴史を教えているか。それは、ともかくも歴史は歴史の体裁をきちんと整えて教えなばならぬという陳腐な偏見が根本にあるからであろう。…残された道は、一つだと思います。それは、建武中興なら建武中興、明治維新なら明治維新という様な歴史の急所に、はっきりと重点を定めて、其処を出来るだけ精しく、日本の伝統の機微、日本人の生活の機微に渉って教える、思い切ってそういう事をやるがよい。…人生の機微に触れて感動しようと待ち構えている学生の若々しい心を出来るだけ尊重しようと努める事だ。…歴史に関する情操が陶冶されぬところに、国体観念というものを吹き込み様がありますまい。国体観念というものは、かくかくのものと聞いて、成る程そういうものと合点する様な観念ではない。僕等の自国の歴史への愛情の裡にだけ生きている観念です。>

学級のスローガンになった「西郷遺訓」

 8月5日に開催された全日本教職員連盟の第40回教育研究大会の第一分科会で、「西郷遺訓を朗唱する朝のホームルーム」について実践発表した福岡県福津市立津屋崎小学の副嶋海斗教諭は、毎朝小学校6年生のホームルームで『西郷南洲翁遺訓』を朗唱させたが、特に「反響がある遺訓」は、「天下後世までも信仰悦服せらるるものは、只是一箇の真誠也」であったという。
 「よっしゃー!今日は『真誠也』の言葉だ」というリアクションがあり、「自分たちが卒業した後も、下級生が真似したくなるくらいの誠を示したい」という思いで、子供たちの話し合いによって、この言葉が学級のスローガンになり、教室には、「いつまでも真誠を一熱く全力で未来へはばたけ一」と書かれた学級旗が掲揚されるようになった。

勝海舟『氷川清話』に「すごい」と驚嘆の声

 西郷の「真誠」を象徴する歴史的名場面である「江戸無血開城」について、勝海舟は『氷川清話』で次のように述べている。

<このとき、おれがことに感心したのは、西郷がおれに対して幕府の重臣たるだけの敬礼を失はず、談判のときも、終始座を正して手を膝の上にのせ、少しも戦勝の威光でもって、敗軍の将を軽べつするような風が見えなかった事だ。(中略)西郷におよぶことのできないのは、その大胆識大誠意とにあるのだ。おれの一言を信じて、たった一人で江戸城に乗り込む。おれだってことに処して、多少の権謀を用いないこともないが、ただこの西郷の至誠は、おれをしてあい欺くことができなかった。>

 この勝の文章を原文のまま子供たちに伝えたところ、「すごい」と声を漏らし、驚嘆したという。「事大小となく、正道を踏み至誠を推し、一事の詐謀を用うべからず」という南洲遺訓の言葉で授業を締めくくったところ、「西郷さんのように『いろいろ難しい議論もありましょうが、私が一身にかけてお引き受けしと答えるような人になりたいです」「小さいことでも正しい道を進んで、『真誠』を貫いていこうと思いました」などの感想文が寄せられた。
 この授業実践に対して、当初、管理職の先生方は「一人の人物だけではなく、他にもいろんな人物の言葉を朗唱したした方が良い」と指摘されたようであるが、この授業は前述した「歴史の急所に、はっきり重点を定めて、日本の伝統の機微…に触れて感動しようと待ち構えている」小学生の心、魂を揺り動かした素晴らしい実践として高く評価できる。

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