対立・分断を繋ぐ「動的平衡」一法隆寺・伊勢神宮・坂本龍一に学ぶ

 2年後の大阪・関西万博のテーマ事業「いのちを知る」プロデューサーで、京都大学助教授を経て青山学院大学教授・米国ロックフェラー大学客員教授の福岡伸一氏は、”生命とは何か”を”動的平衡論”から問い直した著作が多数あり、88万部を超えるベストセラーとなった『生物と無生物の間』(講談社現代新書)、『新ドリトル先生物語 ドリトル先生ガラパゴスを救う』(朝日新聞出版)、『音楽と生命』(共著、集英社)など注目すべき本を出版している。
 また、ヒューマンルネッサンス研究所の創設者で「SINIC理論」を活かした未来社会について研究している中間真一氏は、『SINIC理論一過去半世紀を言い当て、来たる半世紀を予測するオムロンの未来学一』(日本能率協会マネジメントセンター)という興味深い本を出版している。この二人の知見の示唆的な内容について紹介しつつ、私見を加えたい。

生命を内側から見ることで生まれた「動的平衡」

 10月5日のnote拙稿で紹介した未来予測理論「SINIC理論」によれば、2023年は人類が本当の変容を遂げねばならないとされる「自律社会」への突入間近であり、人類の文明社会が「自然」と共に生きる「自然社会」まで10年という時期である。
 ”SINIC”というのは、”Seed-Innovation to Need-Impetus Cyclic Evolution”の略であり、「イノベーション(技術革新)の円環論的展開」という意味である。SINIC理論の基本的な考え方は、科学、技術、社会の間に円環的な相互関係が存在するということである。
 円環的とはどのような意味か?科学・技術がそれぞれ作用し合いながら発展し、社会のニーズや価値観に影響を与える一方で、社会の変化が新たな科学・技術の需要を生み出すといった、互いが原因でもあり結果でもあるという関係性を指す。
 このように、科学と技術と社会、この三者間の円環的な相互作用のプロセスを基盤としていることがSINIC理論の一つの特徴である。また、100万年前の人類の始原から歴史をたどり、人類社会の変化を俯瞰しながら未来を展望していることも大きな特徴である。
 「原始社会」から始まる人類社会は、直前の「情報化社会」を経て、現在の「最適化社会」、さらには「自律社会」へと発展し、2033年に「自然社会」を迎えると予測している。
 人間は生まれた時は自然(ギリシャ語で「ピュシス」)そのものとして生まれる。そして徐々に知恵をつけることで「ロゴス(ギリシャ語で「言葉」を意味し、論理やロジックの語源)を身に付けていく。
 ピュシスからロゴスへ、という変遷は、ひとりの人間の人生から社会の成り立ちそのものにまで当てはまる。動的平衡、すなわち合成と分解を繰り返し、エントロピーを排除しながらバランスを保っているのが生命と言える。

●ロゴスからピュシスへ帰還した坂本龍一

 福岡氏は『音楽と生命』で坂本龍一と対談しているが、坂本はまさにピュシスからロゴスへと変遷した音楽家であった。西洋音楽の理論やピアノを学び、YMOを結成し、デジタルで楽譜を完全に自動演奏することを試みた。しかし、人生の後半になって、それが音楽の本質ではないかもしれないと思い、不協和音、自然音、雑音、あるいは循環する音などを取り入れた『async』等の作品を制作した。
 それは「ピュシスへの帰還」だったといえる。調和と同時性で再現できる”sync”に否定の接頭辞”a”をつけたものが『async』である。坂本龍一氏は音楽をサウンドとノイズで捉えている。サウンドがロゴス、ノイズがピュシスにあたる。
 ノイズの海の中から意味のあるシグナルをいかに見出していくか、その営みがテクノロジーであり科学である。私たちが実験を繰り返すのは、ノイズだらけの生命現象から、できるだけ再現性の高いシグナルを抽出しようとするからである。
 私たちは欲望を実現するためにテクノロジーや科学を発展させ、世界を構造化し、論理的に考えるようになった。それが近代科学であるが、自然から遠ざかってしまったのである。

●「内なる自然」=自分の心と身体に耳を傾けよ一「動的平衡」とは何か

 実は最も近い自然は海や山ではなく、「内なる自然」即ち自分自身の心身である。自らの身体に耳を傾けると、様々なノイズがあることが分かる。ノイズは一見価値のないものに思えるが、そのノイズの中から自分自身にとって大切な音を探すという行為こそが人間に求められているのである。
 興味深いことに生命はまず破壊が先行する。例えば、蝶の蛹の中では、すべてのものがドロドロに溶けるような破壊が起きている。これによって、ひらひらと空を舞う蝶という新しい生命の営みを生む。
 私たちはこうした生命のあり方を子供の頃に学んだはずなのに、大人になると遠ざかってしまった生命の深い営みについて忘却してしまっていることについて再考する必要があるのではないか。
 合成と分解の比較にこそ、人間変容の契機がある。自然界では相反するものが同時に存在する中で新しいものが生まれているのである。生命は合成と分解という相矛盾する要素を持っており、これは自然界では当たり前のことである。
 生命は非常に不思議な存在で、合成と分解が同量であると定常状態(時間が経過しても変化しない、一定に状態)になる。しかし、分解が少し上回っていると仮定すると、定常ではなく徐々に壊れていく過程が生じる。
 生命が合成と分解を行っているということは、絶えず何かを他の生命から受け取りながら、同時に、何かを渡している、ということである。それは利他主義によるバトンタッチである。その繰り返しが中村桂子が提唱する「生命誌」の38億年の生命系全体の営みに他ならないのである。
 その中で個体の生命は一瞬の活動でしかない。作り出しつつ、すぐに壊しながら、他者に手渡していく。このダイナミズムを「動的平衡」という。

法隆寺に学ぶ、新たなロゴスを生み出す方法

 「絶対矛盾の自己同一」を説いた哲学者の西田幾多郎、生態学者の今西錦司らの「京都学派」の知識人たちには、循環、同時性に基づく考え方によって世界が成り立っているという思想が共有されていた。
 近代科学作り出してきた、ルネッサンス以降のロゴスは”制度疲労”を起こしており、パラダイム転換が求められている。人間本来の生命の在り方に即したテクノロジーと、人間性を回復する”人間ルネッサンス”が必要である。

 余談であるが、かつて小田全宏氏が主宰した「地球・人間ルネッサンス会議」(於・幕張メッセ)は、地球ルネッサンスと人間ルネッサンスの2つのテーマについて激論を交わしたが、前者は加藤登紀子の夫、左派の学生運動指導者で鴨川自然王国設立者の藤本敏夫氏が仕切り、後者の人間ルネッサンスについては右派の学生運動の指導者であった私が仕切った。
 中曾根政権下の臨時教育審議会第一部会をリードした元全学連委員長の香山健一学習院大学教授とフジテレビの人気キャスターの俵孝太郎元東大全学連委員長と私は意気投合し、毎月赤坂の社会工学研究所で臨教審の審議をいかにリードするかについて戦略会議を行ってきた。
 左派と右派の垣根を超えた熱い思いを共有し連帯したが、藤本敏夫氏と連帯したのも志に共通点があったからである。初対面の際に「鴨川自然王国国王」と書かれた名刺を手渡されて驚いた。同会議の運営会議は鴨川自然王国で農業を全員でしつつ行われたユニークな会議であった。
 松下政経塾の入塾審査員・講師をさせていただいた関係で出会い、仲人もさせていただいた小田全宏氏から、「地球ルネッサンス会議」を開催したいという相談があった折に、人間のルネッサンスなしに地球ルネッサンスは実現できないのではないかと提案し、「地球・人間ルネッサンス会議」となった次第である。

 話を本来のテーマに戻そう。ロゴスは世界を構造化したが、同時に、世界を分断化、分節化しすぎてしまった。或いは見えない境界線や壁を作り出した。テクノロジーには、このような境界線や壁を溶かし、分断を繋ぎ直す役割が求められている。時間や空間によって遠ざけられている点を連結することなどが期待される。

 伊勢神宮と法隆寺はどちらが生命的かという興味深い議論がある。伊勢神宮は20年に一度の式年遷宮によって全てが取り換えられる。ある意味でこれはロゴス的な発想である。
 一方、日本最古と言われる法隆寺は、建築当時の部材はほとんどない。少しずつ取り替えていくことで、現在にその姿をとどめている。つまり、組み合わせの仕組みと相補性を保存しながら新しいものに変えていっているわけである。これは、ピュシス、すなわち生命的なアプローチと言える。
 法隆寺は、ピュシスにとって大切な変わり方を教えてくれる。それは、急に大きく変えるのではなく、大きく変わらないために小さく変わり続けるということである。
 変わらないことを保存しつつ、変えることを大切にしていく。そんな相克の関係が、生命らしさをつくるのである。ロゴスとピュシスが共進化し、収斂していく、対立・分断を乗り越える新たな「動的平衡」が求められている。
 伊勢神宮に代表される日本の「常若思想」と法隆寺の伝統建築の根底にある生命的アプローチには深い文明的価値があり、地球・人間ルネッサンスのカギを握る、日本発のメッセージを世界に発信していく必要があろう。


   
 

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