岡潔『情緒と日本人』(PHP文庫)一「常若」思想の必読文献

 「常若産業甲子園」の提唱者である岸本吉生氏に、「常若」思想に関する必読文献について質問したところ、岡潔の著書『情緒と日本人』(PHP文庫)の次の文章が送られてきたので、紹介したい。
 
第一章 情緒と日本人
人と人との間にはよく情が通じ、人と自然との間にもよく情が通じます。これが日本人です。(p13)
情緒という言葉は人の心を表します。人は情緒を形にして生きています。情緒は形に現れます。人は情緒が形に現れるときに喜びを感じます。真善美みなそうです。(p13)
◯すみれの花をすみれの花と見るのは理性や知性の働きです。紫色と見るのは理性の感覚です。すみれの花を「佳い」と見るのが情緒の働きです。芭蕉や漱石はそのようにものごとを見て文字を書いていました。(p14)
 ※佳いとは「利便性や実用性という観点はありません。なんとも佳いのです」
◯「諸悪莫作、衆善奉行、自浄其意」という仏教の言葉があります。諸悪莫作というのは悪いことをしないことです。人は善行を行えばよいのです。これを続けると心が浄化されて善行が自ずとできます。(p14)
※善行とは「人のためにする行為。自分のためではない行為」
◯明治以前の日本人は、情緒の通りに行動しそれを繰り返していた。(p18)
人はその人の過去の全部です。情緒がその中心です。(p18)
情緒は喜怒哀楽によって濁ってしまいます。欲情によっても濁ってしまいます。人を恨んではいけません。(p20)
◯情緒は小学生までの間に育まれる。夕暮れ咲く撫子を見て夕陽の名残を惜しみます。試験当日の朝、慌ただしい時にあっても寄宿舎の花壇の黒々とした土に咲く草花が佳いと思うのです。(p24)
中学校から高校の期間は、知性と意志を育む時期である。(p25)
◯時間には過去、現在、未来がある。未来には希望があるが不安もある。現在は厳然と存在する。過去は記憶に過ぎない。(p26)
◯情緒の中心が損なわれると人の心は腐敗し、文化も腐敗する。(p26)
情と愛は異なる。愛は自他が対立した状態。情は自他が通じ合う状態。(p27)
◯物質しか見なければ、その彩りや輝きは見えない。冬枯れの畑の大根にいのちの輝きが見えるのは情緒の働きである。(p28)
時間と空間の枠の中で自然を捉えるといのちが見えない。情緒は知性、感情、意思、感覚とともに存在する。情緒は大自然とともにある。(p28)
他人の悲しみがわかることが一番大切である。釈迦もキリストもそう言っている。(p34)
一人ひとりにそれぞれの基調となる彩りがある。(p36)
他人の悲しみは知性でわかるだけではいけない。体取する。他人の話を聞いているうちに同じような心になる。その人の悲しみがわかる。(0p39)
立ち上がる時に全身が統制されて立ち上がる。その前に立ちあがろうという気持ちが働く。その気持ちが情緒である。(p40)
◯情緒の上に意思がある。意思の上に知性がある。情緒から始めないと上滑りになる。(p40)
◯外部から何かを取り入れる時に四つの水準がある。意味がわからないが取り入れておく。意味はわかって取り入れる。取り入れたものが自分の感情に届く。取り入れたものが自分の情緒に届く。情緒まで届くのは一部だけであるが、それが情緒として育まれたると「教養」になる。(p46)
 ※教養とは「経験は知識を身につけることで養われる心の豊かさ」
恥ずかしいという気持ちは、心を照らす太陽の光である。思いやりは、心を照らす月の光である。この二つを忘れなければいい仕事ができる。(p50)
ギリシア哲学や西洋近代思想は、情緒が肉体を動かすということを忘れている。羞恥心と慈悲心が人間を動かしている。(p58)
赤ちゃんは母に抱かれているとき、自他の区別はない。時間を感じていない。やがて時間を感じ自他を区別して外界を感じていく。のどかという感覚は自他の区別なく時間を感じないという状態。情緒は、時間と空間がなくても心の中にある。情緒を深く、豊かに清らかに育むのが生きるということ。(p60)
 
第二章 日本民族
人という水滴を集めた水槽が社会である。水が絶えず流れ入り流れ出る。流れ入る水は澄んでいるか濁っているか。赤ちゃんをどう育てるかが何よりも重要である。(p65)
◯物質主義という水槽にいると時間と空間から発想する。死ねばそれきり。(p68)
情緒が濁ると見るものの佳さがわからなくなる。実用性で判断してしまう。それを功利主義という。その一つがローマ時代。滅亡する。(p73)
日本列島は豊かな自然があり清冽な情緒を育む。日本人の情緒は、勤勉、自我を辛抱する元となっている。(p76)
◯古代ギリシアの人々は、制約を受けない自主性という概念を生み出した。理想という概念に気づいたのも古代ギリシャ人である。プラトンの哲学とユークリッドの幾何学である。(p81)
◯日本人の心を知る二つの読み物がある。松尾芭蕉の俳句。道元禅師の正法眼蔵。(p81)
日本民族の意志は霊化している。生きる目的が常に善い方向を指す。(p84)
犠牲的行為を躊躇なくできる人。そのことを人生の指針にしてきたのが日本の文化。この方位磁石を使わなければ複雑極まりない人生は渡れない。利己的な行為を正しいと考えるようになったのは戦争が終わってからのこの数十年だけ。(p86)
奈良、京都、東京。街には個性がある。人の個性が出るようにするにはどうすれば良いか。学校教育の大切なところ。(p90)
初めて出会ったものを受け止めるのは情緒の働きである。受け取る時に感情が先走ると情緒が働きにくくなる。感情を尊重しすぎると受け取るものが歪んでしまう。感情は理性すら歪めてしまう。(p92)
 
第三章 数学と芸術と文学
◯数学の喜びは発見する喜びである。美しい蝶を野山で見つけた時の喜びと同じである。暮らしの喜びは生きがいである。いのちの充実感である。(p101)
◯美しいと感じるのは、そこに悠久の影を見るからである。(p102)
独創性は、知っていることと知らないことの境界線で発揮される。容易に起こることではない。(p104)
◯数学の研究は情緒を形にする作業である。大自然に任せて表現する。研究が壁に当たった時は、文学を読んで英気を養う。(p107)
16から17歳に心に蒔いた種はその人の一生に関わることが多い。(p110)
◯真に調和を見出すのが数学。美に調和を見出すのが芸術。共に情緒の働きを形にする。違うところは、数学は情緒を未来に向けて表現する。芸術は過去を振り返りながら表現する。(p110)
わからない状態が続く状態は、発見にとって大切なことである。種子が発芽するのに時間がかかるのと同じで準備してしばらく経って成熟する。わかるまで、意識の下で徐々に成熟するのを待てばよい。(p112)
◯感情を形作るのは情緒であって逆ではない。知性には情緒を説得する力はない。(p115)
◯抽象的な概念には二つある。抽象的と感じない超自然界の抽象がある。内容の感じられない抽象もある。(p117)
 ※抽象とは「ものごとから特定の性質や状態だけを抜き出すこと」
思索を進めたいのであれば文章を書かなければならない。言葉で書いて言い表さないと長く思索できない。(p118)
個性は一人ひとり違うのになぜ誰もが共感する普遍的なものがあるのか。個人の尊厳とは、一人ひとり違うものをそのまま加減なく出すことをいう。個性をそのまま出せば出すほど共感されやすい。(p119)
◯文学でおすすめするのは、ドストエフスキーの「白痴」と「カラマーゾフの兄弟」の二冊。泥から咲く白い蓮の花のような生き方である。(p120)
◯理想、あるいは真善美は、理性の世界にあるのではない。それらは情緒が形になったものである。(p124)
◯話す相手の心がわかる人がいる。相手が話しやすいように仕向けてくれる。そういう直観が働く人がいる。(p124)
◯子どもの頃は、ものそのもの、ことそのことの世界で暮らしている。「星の王子さま」はその世界のことを物語にしている。(p125)
◯「秋深きとなりは何をする人ぞ」という俳句は、隣のひとがわからないという寂しさと、ただただ温かい懐かし位という情緒の両方を表現している。情緒の働きを表している。。(p130)
◯佳い映像を表現する方法があるだろうか。俳句とはその苦心の産物である。(p132)
人の表情が心に映像を結ぶことがある。その人の感情や意欲が働いていれば印象となって映像を結ぶ。(P132)
◯「生死去来」は道元禅師の正法眼蔵にある言葉。この言葉がわかってから自然のことや科学のことがすらすらわかるようになった。(p135)
 
第四章 教育
◯大事なのは情緒です。情緒をわかるには国語です。(p139)
教育で大切なことは意欲が興ることです。生きる目的のための意欲です。(p139)
◯目標を遂げる情熱はどんな時にわかないだろうか。目標が遠い時。目標が正しくない時。目標に責任を感じていない時。目標が易しすぎる時。(p140)
祖父が五歳の時に教えてくれたこと。「他人を先にして自分はあとにせよ」この言葉のおかげで今の自分がある。(p140)
◯人は大自然から生まれるものである。育てるのも大自然である。他人に教育ができるわけではない。ものの佳さがわかるように本人が育つのを手伝うのが教育の役割である。(p141,144)
悪いことをしないことは他人が教えることができる。親不幸をしないことは教えられるが親孝行は教えられない。(p145)
情緒を育むと自分の心の彩がわかる。嫌なことがあった時にそれを捨てる術が身につく。(p146)
人間は動物という木から芽吹く。情緒を育まないまま育つと獣になる。(p148)
理性が土台の知性は、意識している時にしか働かない。無意識の時に働く智力というものがある。一瞬でわかる。これを「無差別智」という。(p149)
◯悠久の悠という時は時間を超越するという趣のある漢字である。実用性を優先して、趣のある漢字を軽んじてはいけない。(p153)
二十歳前後になっても自分の衝動を抑えられないことがある。それは情緒が濁っているからである。(p155,158)
◯だれ一人として踏み躙られないようにしたい。心を大切にする学校教育であってほしい。先生の数を二倍以上に増やしてほしい。(p160)
◯アメリカの教育は、学問、技術、能力を育む。普通教育では「道義教育」に一番力を入れている。(p163)
アメリカのデューイの学説は、快か不快かを判断材料にして教育する内容を組み立てる。これでは自我が強くなりすぎる。辛抱が効かなくなる。他人の短所に嫌悪感を抱く。自我の働きを抑制してから判断するのが良い。快か不快かではない。心の悦びを感じるかどうかを判断材料にするのである。これが教育の組み立て方である。(p166)
一歳から三歳までは、母親が愛と信頼を教える。純粋直観が働き母親から情緒を受け取る。母親は子供の信頼を裏切らないようにする。(p167)
情緒のある家庭は憩いの場所になる。不幸が来てもびくともしない。情緒のある家庭では、情熱と忍耐心を使って自我を抑えなければならない。自我を抑えると自他の区別がなくなる。(p169)
恋愛は家庭と同じ。自己主張ではない。自己犠牲である。(p170)
他人を喜ばせることは五歳から教えれば良い。五歳になれば他人の喜びがわかる。(p170)
小学校三、四年生になると可哀想なことをする行為を憎む正義感と羞恥心が生まれる。正義感と羞恥心がないと社会は腐敗する。(p170)
学習の基本は精神統一である。暗記は精神統一である。続ければ力がつく。(p173)
算数と数学の要諦は、答えを出すという一点に集中して答えが出るまでやめないこと。集中しているときは、時間や空間の制約がなくなり、自他の区別がなくなる。(p175)
 

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