谷口正和「生命が宿る『私本主義』社会の到来」

  昨日紹介した『生命文明の時代』所収の葦津論文に多くのコメントが寄せられた。同書に「常若甲子園」が企図する将来に関連する新しい視点に立った「常若」基本論文が掲載されているので紹介したい。「生命が宿る『私本主義』社会の到来」と題する、以下の論文である。著者は立命館大学大学院の谷口正和元教授で、方法論や合理性を超えた個人の情熱こそが21世紀の経営の要であると指摘した『文化と芸術の経済学』(ジャパンライフデザインシステムズ、2016)は必読書である。

<人類は約700万年前の地球に生を受け、地球上で最も繁栄する哺乳類となった。しかし、人口爆発が起こっている昨今、地球社会経営を担うべき存在である人類は、その栄華に楔が打たれてしまっている。少なくとも今後、永続的に人類が繁栄を続けていくことは地球社会においてマイナスにしかならない。この課題解決なしには我々は自ら滅ばざるを得ないだろう。今、全人類が直面する課題に対して解決の糸口を見出すことは、未来へのシナリオを構築していくことを意味しているのだ。
 その中で、人類が解決すべき至上命題としてあげられるのが環境問題だ。食糧問題や水不足の問題など人類が生き延びるための環境構築は全て環境問題と密接に関わってくる。地球環境の存続という意味では、人々の生き方や暮らし方全てに影響をもたらす。こうした表面化してきた課題に対して、我々はどのように対処していけばいいのか。高度情報社会となった今、これから求められる社会変革に向けた問題意識の変革と行動力、そしてあらゆる環境から学び集約する拠点をファイナリストとして引き受けているかは、あなた自身、つまり、個人である。一人ひとりが価値のターミナルであり、学習という自己投資は自分の育て方であり、深め方である。その視点を持って最も高い可能性を個人単位で邁進していくことが、地球上に生を受けた者の使命である。
 今後、人類は、地球社会において生命力を宿した細胞となり、無限の可能性を秘めた存在として、これからの行く末を案じる。
 
●サスティナビリティーからサバイバル社会へ
 世界の動向は、磁力のプラスとマイナスのように対極にある対抗概念でありながらも互いに惹かれあうことで、両者を取り込み合いながら活力を活性化させていく。昨今、持続可能な社会の実現に向けたSDGsの取り組みも、サスティナビリティーからサバイバルの様相を呈しながら、静止した思想から脱却し、変化速度を高めながら進化し続けている。地球規模で従来の発想が覆されるようなことが起こる一方で、我々は生き抜く生命力を発芽させることで、地球社会の変化に対応し続ける必要がある。この変化対応力を研ぎ澄ましていくことが、人類の進化となる。
 人生100年時代が到来し、ロングリビングというビジョンで一人ひとりが生涯を俯瞰した時、日々、我々は生命対応力を持って新しい変化に順応しているように見えてくるのではないだろうか。
 ところが、日常ではなく、それがビジネスという視点に立った時、その柔軟性がなくなり、自己と他者を分けて認識してしまっている。他業界や異分野における変化を他人事のように傍観する。これは、サスティナビリティーかもしれないが、決してサバイバルではない。変化と変化をつなぐ着想が必要とされている。区分けされた安息の地に身を置くことができていれば、外側の変化に関与することはない。しかし、普段の暮らしを思い出して欲しい。昨今の激甚化する自然災害を前にして、外側の変化も当事者意識を持って対応してきたのではないだろうか。
 行政は、自然災害から市民を守るため、自然災害に対する備えを拡充してきた。そして、市民は防災都市の中で守られていると安心する。しかし、自然災害が予定調和の対処法で賄えなくなっている今、これまでの成功体験に基づく判断は大きな過ちをもたらしてしまう危険性がある。その意識が住民の中に芽生えてきた時、変化に対して柔軟に対応する新たな行動となって現れてきている。こうした一人ひとりの意識の変化が、本当の意味での防災都市を実現させていく。これは企業経営においても同様に言えることだ。区分けされた業界区分という殻に閉じこもっていると、いつの間にか取り返しのつかない状態に陥ってしまう。日常の備えと経営の備えは相対するものではなく、表裏一体の相関関係の中にある。
 時代は、自己の領域だけではなく、社会全体の変化を強く意識する必要のあると言っても過言ではないだろう。まさにサスティナビリティーからサバイバル社会への到来を意味している。
 
●所有経済と使用経済
 現代社会、日進月歩の技術革新によって、AIやIoTなど科学オリエンテッドの先に見えてきたメガデータが作り出す暮らし方から、様々なサービスを生み出してきた。そして、生活者は快適な暮らしという価値を享受している。一方で提供者は、最先端の科学技術を駆使して、集約したターゲット情報を従来型の仕組みと照らし合わせながら、最善の暮らし方を提案している。
 ビジネスの世界に目を移すと、経営者の判断は暮らし方よりも過去の成功体験を踏まえた経験から判断している。確かに科学技術は判断の精度をあげ、過去の延長線上にある未来の暮らし方をベースに最善の判断を私たちに与えてくれている。しかし、未来へのシナリオとなるアルゴリズムは過去から芽生えるものではない。未来を紡ぎ出すためには、過去と未来の中間に存在している。想像力を超えた妄想力が新たな価値を作り出している。つまり、未体験の世界が、未来へのシナリオとなっているのだ。経験したこともないことを先行して行う。その感受性を元にアイデアを膨らませ、誰よりも早くテストトライアルしていく。その仮説検証の連続が変化の激しい現代社会における真の競争力となり、あらゆる提供者論理から脱却し、働くことから遊ぶ、学ぶという垣根を外し、オンリーワンのクロスした未来像が紡ぎ出されていくのだ。こうして遊びから派生したものが、ファッションであり、食であり、住まい方という文化を育んでいった。
 その中、高度情報社会では、情報が地球資源と同等の価値を有し、それらを中心として機能している。すると、社会を構成する経済が今後、どのように機能していくことが求められてくるのだろうか。
 従来の発想では、科学の発展こそ、人類の進化とされ、合理化の元にあらゆる機能が細分化されて、その都度、未来の扉が開かれてきた。まさに科学の進歩が、人類の進歩だったのだ。その結果、我々は数々の便利な暮らしを享受し、豊かな生活を送ることができるようになった。人類は多くの所有こそ富の象徴として、物質的な裕福さを探求していった。まさに文明の利器による目覚ましい発展だったと言える。
 一方で、科学の進歩は高度情報化という社会変革を同時にもたらし、豊かさも次の段階へと移行する。情報は我々に多様性という新たな価値観を芽生えさせた。これまでに区分けされた価値観だけでは収拾がつかない膨大な価値軸が、我々に無限の可能性の扉を開いてくれた。しかしながら、日本社会は時代の変化速度に遅れをとってしまった。従来通りの整理箱で分類しようとしてしまい、いわゆる過去の成功体験がネックとなり、せっかく芽生えた新しい着想も従来の価値観の範疇で捉えてしまい、可能性の芽を潰してしまっている。この情報の整理箱を再構築できなかったことが、失われた30年と言われている所以だ。
 ここで重要となるのが、情報を発信するメディアを道具と見ることができているかどうかだ。情報を単なる知識としてしか見えていないようであれば、新たなイノベーションはいつまでたっても生まれない。メディアを道具として見切り、日々、詳らかにされていく情報の数々を知恵へと転換させ、どのようにアプローチしていくのかという視点を持つことがイノベーションには不可欠な要素となる。情報の整理箱は、その知恵を活性させていくためのタイムリーな道具箱として常に最新の状態にアップデートしておく必要がある。
 
●情報とは変化である
 情報を発信するメディアが道具であることの理解が遅れてしまったため、新規プロジェクトの提案に「前例がない」というだけの理由で却下され、どれほどの可能性が潰えてしまっただろうか。
 情報とは、変化である。どのような変化であっても、ネガティブに捉えれば、マイナスに働き、ポジティブに捉えることができれば、プラスに転じさせることができる。つまり、受信する側の意識によって、どのような情報にも価値が存在してくる。しかし、時代の変化から遅れをとってしまった情報の整理箱で判断していては、無限の可能性を秘めた情報も、結局、ただ情報の海を漂う「藻屑」にすぎなくなっている。
 情報とは、どちら側にも属さない中間にあるものとして見据える必要がある。それは男性、女性という性別ではなく個性という認識を持ち、老若ではなく生涯を問いかける。そして、日本人、外国人を区分けせず、地球人という理解で故郷の地球社会のために尽力する。
 情報は、一側面だけで語られるものではない。見え方によっては鮮度が違ってくる。情報社会はディスクローズの概念、公開されないと使用することすらできない。まさに情報社会はユーザビリティという概念のもとに全てが成り立っているのだ。例えば、シェアリングエコノミーの台頭がその代表と言える。所有者にとっては、不要なデッドストックかもしれないが、どこかの誰かにとっては、とても価値のあるものとなる。それは所有価値ではない、使用価値によって新たに見出された価値となる。車や空き部屋、個人の特性ですら使用価値へと転換させることで、新しい経済循環を生み出していくのだ。
 
●バックキャスト思考の「私本主義経済」
 住まい方としての家もまた居住のためではなくなるかもしれない。そんな妄想力を働かせてみて欲しい。すると、人が移動するためかもしれないし、人が食事をするため、人が集まるため、人が生きるために活用されることで、ストックをフロー化させる軸足となる。それが、相互に関連し合うことで新しい認識が芽生える。ここに生命文明という尺度が生まれてくるのではないだろうか。
 家という所有物を使用物として捉えると、どのように生かし合うべきかという思想が芽生え、想像的創造というこれまでにはなかった認識が生まれる。所有という範疇で理解してしまっていては決して芽生えない着想と言えるだろう。人が住まう家は、終の住処として生涯を過ごす場所かもしれない。しかし、生きるために使用するには、所有ではなく使用する方向性へと認識転換することが求められる。
 この所有しない発想は、顧客の要望や生活者の新たな課題に対して、解決策を提示していく未来志向の人間力を高めていくことにつながる。世界に向けた革新的なクリエイションを実現するのであれば、こうした生命の本質から学んでいく必要ある。
 地球上に生を受けた我々は常に回転し続ける惑星で、無限のループの中に存在している。全てが循環する中、それに抗う形で固定的に区分けしてしまうことがどれほど滑稽なことなのかを認識することが大切だ。こうした新しい価値の循環が行われている中、将来を見据えた時、バックキャスト思考という概念が重要となってくる。バックキャスト思考では、先にある未来をイメージして、今を再構築していく。すると、変化は未来を予測する素材となる。こうして価値は循環する。全ての垣根を外し、新しい自分らしさを切り開いていくことが重要なのだ。
 機能性や合理性を追求することを、否定的に見ているのではない。ただ、固定化させてしまうことがどれほど非合理的な方法であるかを我々は意識しなければならない。使われること、生かされることで可能性は無限大に広がっていく。所有経済から使用経済への転換は、情報社会における資本主義の基本的な考え方となっている。
 その中、これからの資本主義も、「私本主義」という新たな視点という意識が問われている。資本に価値があるのではなく、私自身に価値があることを意味している。それを如実に表したものは、クラウドファンディングだ。これは、自ら掲げた夢や希望をインターネット上に情報発信し、それに共感した人たちが出資する。まさに私の目的を達成するために出資を得る、「夢のオークション会場」だ。この手法であれば、初期コストは圧縮され、流動性のある事業プランが立てられる。これからの時代は、どれほど資金を持っているかという着想ではなく、どれほどのアイデアと知恵を持っているかが問われてくるのだ。まさに資本が個人に転化した「私本」化した社会の到来を意味している。これが、これからの地球社会における、経済活力の根幹を担うものとなっていくだろう。
 この自らに投資し、自己価値の最適化を求める「私本主義」経済が加速すれば、地球上におけるデッドストックが少なくなり、資源の枯渇も免れる。底引き網のごとく、根こそぎかっさらっていく大漁船団型の経済のありようから、お客様に向けてアナウンスした上で、欲しいものだけを収集し、使い切ることがこれからのトレンドとなっていくことだろう。すると、無駄が省かれ、効率化にも繋がっていく。やがて生活は、お互いが交換し合う共同解決型のコミュニティによって成り立ち、参加する個人解決の組み合わせ、一人ひとりが個性を最大限発揮し、共に生かし合う多様性が可能性に転化する共同社会を構築するという新たな展望が形成されていくことだろう。
 例えば、誰もが経験したことのない体験をした者は、いわば唯一無二の存在であり、社会からも注目を集めることだろう。唯一無二の存在はアートのように価値ある存在として社会における位置づけが大きく高まっていく。その稀少性が価値を向上させ、それが話題となって、ニュースとなって配信される。そのニュースがさらなる話題を呼び、ますます社会的価値が高まっていくのだ。つまり、あなた自身も唯一無二の体験を積むことで価値が開花し、社会的注目度が高まっていくのだ。
 これがまさに「私本主義」経済である。あなたが社会の中軸となり、あなたがバリューの単位となるのだ。
 個人単位でビジョナライズされたものは、今後、ビジネス化していくことだろう。
 
●「私本主義経済」構造へ
 今、社内外問わず、数多くのスタートアップが社会変革をもたらすものとして注目されている。その変化を見据えることで、いくつかの共通点を見出すことができる。
 先にも述べた通り、何かを体験するという学習効果が起点になっていることが数多くある。これは未体験を体験することが未来へのシナリオとなっていることの証明になるのではないだろうか。
 未体験が未来のシナリオとなる以上、人は未知の体験に関する情報感度を最大まで高めていくことだろう。そして、一度体験した時には生活者は、その意識を残像させ、継続させていくことで使用価値にまで高めていく。高度情報社会のファイナリストは、企業ではなく個人である。無限ループの回転の中で、これからの文明の発展の軸足となるのは、AIに代表される科学力と個人の人間力という2軸により、構成されていくこととなる。
 地球上に生きる我々一人ひとりが、自立の項目を増やしていければ、実はローコストになる。頼まれる特徴を得意領域として相互にシェアマッチングする。隣人たちによる地産地消という産物が地域に眠る可能性を肥やしに未来を作り上げていく。生活表現力を活かして自分の欲しいモノを創り、素敵だという共感連鎖が芽生えることにより共有していく流れが生まれてくることだろう。小さなものや個人の中に、眠っているものを活性化させていく。
 個人が自分の興味を最大化させ、最適化させていくと、個人の特徴や得意技が世界とつながる。それが世界市場へと結びつく。そこで生まれた日用品や食事が地域社会の中における互助の関係性を強化し、地域に根ざしたホームグランドが出来上がる。特徴となる地産地消が生き方に反映されることで話題が生み出され、ニュースソースが醸成されていくのだ。
 この循環が情報の本質である。話題となる生き方が大衆ではなく個人に属するようになった。たった一人の生き方にこそ価値があり、世界に共感連鎖して波及していくことで、その生き方の教えを請う人も出てくることだろう。この関係性が訪問価値を発見し、訪問に値する価値創造となる。まさに個性が宙を舞うパーソナルカーニバルのように高度なレベルで他者貢献の構造が作り上げられていくことだろう。
 そのため、個のアイデンティティが確立する以前の幼少期からの蓄積に注目が集まる。その知見が専門家の資質となる。だから、ある特定の分野に興味・関心を持って深く好奇心を発揮し、人生をかけて取り組む自己投資の時代において投資が社会に還元される社会力となっていく。日常生活の中で助け合うことを繰り返すことで高い選別競争力と優位性を持つ。それが、社会人材という新しい着想へと昇華させることができる。
 そして、個々人の領域にフォーカスした先にEI(Emotional intelligence)を兼ね備えた人材こそが活躍できるようになっていくということだ。EIは、感情に訴えかけるフィーリングに近い概念で「感情知性」と訳されている。この感情知性が良好な人間関係を長く構築でき、個人化が進行する「私本主義経済」においては欠かせない能力となってくるだろう。
 「感情知性」を兼ね備えた人物は、他者に対しても自然と感情を揺さぶる雰囲気を生み出してくるようになる。いわゆる、カリスマという存在だ。それが高度情報社会という時代の流れと重なり合うことで、この個人の価値は最大化し、周囲を巻き込む活性軸となり、社会の指針となって我々を未知なる世界へと導いてくれる。この「感情知性」が醸し出す情緒的気配が、まだ見ることのない価値を顕在化していく。
 この新しい気配を嗅ぎ取る力が未来社会を構築していく原動力となり、夢や希望、理想を引きつけてきたのだ。
 
●生活村に生きる個人材
 かつて家庭の中の家庭内人材だった人が、やがて村の中のローカル人材となり、メディア内における地球人材となって社会化が行われていく。その活躍がグローバルプレーヤーとして多彩さを放てば、さらに関係性は広がり、それぞれのコミュニティでお互いを生かし合う関係が生まれる。バイオリレーションシップという社会の構造の中で、やがてそれぞれがやりたいことを実現させていくために集まった集団が構成され、モチベーションの高い人たちが集まる。それが生涯における研究所となり、スペシャリティスクールとなって互いに研磨し合うクラブ活動へと成長していくのだ。
 人々が存在証明を示すことで価値の再発見を促し、全体が共感学習という関係性によって連鎖されていくことで、未来は築かれていくだろう。故郷を偲び、里山や山村であっても、我々は自然の中で生命力を持って群生し、魅力を提示している。個性が群生する姿である。まさに生命収穫祭としての結びつきは強化され、情報受信と発信の活力を生かしあい、行動が変わり、思いまでも変えていく。
 情報社会は、自己の存在証明が広く社会に公開されることで注目され、話題としての価値を持つ時代だ。地球社会は相互に生かし合う個性の百花繚乱の世界観、その現象に向かう姿で生命文明の時代と見切ることができるのではないだろうか。
 その中間に目覚める第三のヒューマニティは、果たしてどのような価値を私たちに与えてくれるのだろうか。変わっていこうとする流れを見なければならない。未体験ゾーンは、希望と期待を置き換え、体験すればということができる未来志向。例えば、このホテルに泊まれば、高度な感受性を学習することになり、従来の自己を超えていくことができる。予見学習する未来社会は体験に帰結すること。生涯旅人となって過ごしている生活者の思考を捉え、必要性やサービスを考えていけばいい。
 今日の市場創造は、新たな体験とその学習効果によって生まれてくる。そのため、あらゆることをテストすることが大切である。未知なる発見となるリードディスカバリーは、ニュースを超えていく。それが、未来の生産力を高め、フレームアウトした時に相互に生かし合う、そうした社会はもうすでに始まっている。AmazonやFacebook、Google、Appleなど世界経済を牽引する企業は、急速な成長を遂げ、従来の領域を超えて突き進んでいる。
 生命文明の時代に対して個人は気概を持ち、絶対にこれをやりたいというものから始めることが大切である。バーチャル学習を含めて、未来に対して学んでいこうという側面が本来の学習だ。その無限の宇宙生命力の中で学習は自分を自動成長させる。無限宇宙力に気づく思想、哲学こそが生命文明への気づきである。次の生命は生まれて育っているのか。生体的な範疇を超えて想像する未来の中に想像力を持ち、命を連鎖する社会が見えている。生命文明というキーワードが新たな認識潮流として広がり続けていくことだろう。>

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