岸本吉生氏が提唱した「常若産業甲子園」一持続可能な日本を取り戻す

 「常若産業甲子園」は、平成26年に設立された宗像国際環境会議の一環として、経済産業大臣補佐官を務めた岸本吉生氏が提唱し令和2年に始まった。同会議は「海の鎮守の森」構想を掲げ、海の再生事業に取組みながら、日本の環境の未来については話し合ってきた。
 大人と子供の絆が滞れば、環境も産業も途切れてしまうという危機感から始まった「常若産業甲子園」プロジェクトは、ドキュメンタリー映画作成、クラウドファンディング等を通じて、提言・情報発信を続けている。
 同プロジェクトによれば、「常若」には日本の古き良き文化を重んじる意味があり、また、その時々の気候や情勢など、時代に合った新しい価値観で、伝統すらも新しく変えていくことも含まれ、新しい状況に応じて柔軟に変化することも意味しているという。これは「伝統の創造的再発見」という視点にもつながる。
 岸本吉生氏によれば、同甲子園に出場する条件は、「常若産業宣言」を見て、自分はそういう産業に就きたいと思うこと、将来やりたい仕事について、自分で動画を撮影して編集できることであるという。

●坂村真民の詩「あとからくる者のために」に学ぶ
 全国各地の農山漁村などで環境保護などの活動を展開している小中高生たちが、「常若産業甲子園」のコンセプトにつながる、次のような坂村真民の詩に学びながら、情報デザイン会社の協力の下にドキュメンタリー映画の制作に取り組んでいる。

あとからくる者のために

あとからくる者のために
苦労をするのだ
我慢をするのだ
田を耕し
種を用意しておくのだ

あとからくる者のために
山を川を海を
きれいにしておくのだ

あとからくる者のために
みなそれぞれの力を傾けるのだ

あとからあとから続いてくる
あの可愛い者たちのために
未来を受け継ぐ者たちのために
みな夫々自分で出来る何かをしてゆくのだ

●「21世紀型武者修行」の仕組みづくり
 同ドキュメンタリー映画(45分)は一般公開されているが、次のように語りかけている。
<地域の価値とは>
「地域から若者が出て行ってしまう」
「企業にも地域にも新しい価値を生み出す土壌が醸成しにくい」
「地域の埋没資産が発掘できない」
文明は全世界が共有することができるけれど、文化は集団ごとに特徴を示しています。
地域に資産とは文化に他ならず、「文化って何ですか?」という問いに対する答えは千差万別です。
だからこそ文化には価値がある。
しかし、各地で「あなたの地域の文化は何ですか?」と尋ねると、必ずと言っていいほど
お祭りや伝統工芸が引き合いに出されます。
もちろん、それらには価値があります。
しかし、無形文化財や製品そのものに価値があるというよりも、それらを育んできた過程にこそ、今を生きる私たちの役に立つ「埋没資産」が存在するのではないか。
その埋没資産を発掘するということは、モノの見方が変わるということと限りなく同義です。
農家の持つ自然に対する感覚を知る。
そういった気づきから,われわれの人生を豊かにする埋没資産を見出す。
そのようなアプローチが地域の生きる道につながるはずです。
<世代間の繋がりを取り戻す>
そのためには、まず地域の大人と子供を繋ぎ直す必要がある。
世代の繋がりが希薄であれば、文化情報(知恵)の共有がおぼつかなくなるからです。 
 こうした文化情報が共有されるためには、人口と集団がお互いをよく知っている関係をつくり、日本中の子供たちが全国各地で活動している「師匠」たちと出会い、学ぶことによって、地域の大人と子供の絆、結びつきを深め高める「21世紀型武者修行」の仕組みづくりが必要である。
 普通高校で行われている高校3年生のSDGsに関する総合的な探求の時間では、客観的、学術的に、自分の好き嫌いとか良い悪いとかを切り離して「他人事」として捉えた発表が目立つが、SDGsを「自分の事」として探求すれば、自分の将来に関わる捉え方になる。
 SDGsに掲載されている17の開発目標を、「客観的、論理的、俯瞰的なことを作るSDGs」ではなく、「自分がやりたいSDGs」として捉え直せば、一人ひとりの子供が多様な課題を発見できる。

●文科省の高校再編と岸本吉生氏の見解 
 文科省は普通科の高校の再編に取り組み始め。全国の7割の普通科高校を、国際社会的なことに通用するとか、地域のニーズに応えるという形で学校を立て直していくとか。田舎の過疎化が進んだり少子化が進んだり、学校そのものの存続が危ういところも含めて地域の課題をいかに解決するか、という視点で普通科高校の位置づけを見直している。
 この高校再編について、岸本吉生氏は次のように指摘する。

<私の意見は2つあって、1つは地域の課題を解決するのは高校生ではなく、大人が解決する。けれど高校生は大人の予備軍だから、解決に参加した方がよい。そうなると必要な改革は、そういう高校がリカレントと2階建てになっていて、予備軍の高校生と主役の大人が同じ教室でやり取りする。
 もう一つは、地域の課題が何かは地域が言葉に紡ぐ努力をするべきで、大人の代わりに高校生に考えさせるべきじゃない。限界集落に住んでいる59歳以下の人は、限界集落の65歳以上の人が親族がほとんど。そうすると自分の家の課題をよく知っているけれど、それを解決したいというよりは、「仕方ねえじゃん、俺にはできないよこれ以上」という埋もれている未解決の不安とか不満とかがいっぱいある。
 その答えを高校生に考えさせるというのはおかしい。まずは当事者が問題を言葉にしてみることを恥ずかしがらないでできるようにしたい。それを高校生が手伝うことはとても良いことだと思います。たとえば、買い物に行くときに車がない、免許返上しているお年寄りがいっぱいいる、っていうのを子供たちが発掘するのは良い。でも答えを書かせるのには私は不満ですね。ビジネスってそんなに簡単なものじゃない。(中略)
 北九州市立大学に地域創生という学部があって、地域活性化のために実験させている。小倉の旦過市場の再生を図るために、学生が考えた「大学丼」という「丼ぶり」がある。市場の天ぷら屋から天ぷらを買ってきて、、ご飯も盛ってもらって、食べる。そのためのスペースも作っている。大学としては実験的にさせている。地元の方にまあ学生さんだからと受け入れてもらっている。行く行く自分が起業するきっかけ作りになるという点は面白いと思うんです。
 高校生は教室にいて、パソコンか鉛筆持ってノートに向かっているから、現場体験をさせる、させる以上何かアウトプットを作ったほうがいいから、解決策出してごらんと言う。けれどさっき言ったように0が1にすぐなるわけではない。自分の経験を超えたものと組み合わせて世界を広げていくように場を設定するか、それとも高校生だけで閉じた世界でやるか。
 富山商業高校の授業では「岸本さんの教えてくれた0から1のマーケティングはとても大変だって分かったので、自分は勤め人になろうと思いました」と5人くらいがはっきり書いている。全く問題ないでしょ?そうしたことに身を染めるかどうか自体が選択なんですから。>福岡教育連盟発行「良師良友」令和4年第58号より転載
 

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