日本モデルのウェルビーイングと持続可能性

 ノルウェイのブルントラント元首相をトップとする「世界賢人会議」が1984年から開催され、1987年に取りまとめた報告書「我ら共通の未来」で「持続可能な開発」という新しい概念が提唱され、1992年にリオデジャネイロで開催された地球サミットで世界に定着した。

●「強い持続可能性」と「弱い持続可能性

 環境経済学では「強い持続可能性」と「弱い持続可能性」の2つの考え方があり、前者は、人間の経済成長には「最適な規模」があり、自然資本は人間の福祉の究極的な源泉であることから、森や海など自然資本の制約を超えて成長することは不可能であるという考え方である。
 後者は、もし人工的な資本が人間によって作られ、それによる満足感や利益が、それまでの自然資本によるものより大きければ、自然資本は人工資本にいくらでも置き換わっても構わないという考え方である。自然資本とは、天然資源や環境の浄化機能等を含む自然的構成要素からなる資本のことであり、人工資本とは、原子力発電や工場など人間が新たに人工的に形成してきた資本のことである。
 この自然資本の制約を解き放ったことにより、人類の文明は大きく飛躍し経済成長の原動力になってきたが、二酸化炭素の排出の増加により、地球環境の悪化が顕在化した。
 18世紀以降の産業革命、科学技術革命等の発展により、自然資本による持続可能性の保障を失い、人類自らが持続可能性を保障しなければならなくなったのが現代といえる。

自然との調和を強調した熊沢蕃山と田中正造

 産業革命以前の人類の文明は、自然資本に依拠して生存が保障されてきたことから、自然との調和を旨とする考え方や行動様式が基本となってきた。自然を重視する江戸時代の陽明学者の熊沢蕃山は『集義和書』で、弟子からの「万物一体と草木国土悉皆成仏という言葉は同じ意味のように思いますが」という問いに対して、次のように答えている。
 
<万物一体とは、天地万物みな太虚の一気より生じたるものなるゆへに、仁者は、一木一草をも、その時なくその理なくては切らず候。いわんや飛潜動走のものをや。草木似ても、強き日照りなどに、しぼむを見ては、わが心もしほるるごとし。雨露の恵みを得て青やかに栄へぬるを見ては、わが心も喜ばし。これ一体のしるしなり>

 明治時代に衆議院議員を務め、地元の足尾銅山鉱害問題の解決に奔走した田中正造も「真の文明は、山を荒らさず、川を荒らさず、村を破らず、人を殺さざるべし」と強調したが、今日のSDGsの考え方に近いものがあった。

● 「自然と向き合う幸福」と「人間社会の中で得られる幸福

  『コアテキスト環境経済学』を書いた一方井誠治によれば、人間の幸福には大きく分けて「人間社会の中で得られ幸福」と「自然と向き合うことによって得られる幸福」の2種類があるという。
 前者については、日本の高度経済成長期に子供時代を過ごした彼にとって、家族の団欒はもとよりテレビや冷蔵庫、自動車等の新製品が自分の家でも利用できることは間違いなく大きな幸福であったと述べている。
 また、後者については、雑木林での散策や家の湧水地で自然と向き合うことで、ホッとし自然の中で自分を内省させられるような安心感のあるしみじみとした幸福観で、社会における前者の幸福観は急速に拡大し、後者の幸福を実感する機会が減っていったと述べている。
 「強い持続可能性」の考え方の根底には、生命に対する畏敬の念を含めた自然に対する人間の謙虚な姿勢があるが、「自然と向き合う幸福」を重視しない人が次第に増え、「人間社会の中で得られる幸福」を優先する傾向が見られる。

●「もったいない」という心が生まれた歴史的背景

 人類史の中でもかなりユニークな日本の江戸時代においては、それぞれの地域の自然環境に依拠し、米が食料の中心になっていたことが、、自然資本としての江戸時代の自然環境をを維持することに大きな役割を果たした。すなわち水田は、上流の森林から川を通じて流れ込んでくる栄養分によって連作ができ、その水を確保するために、森の保全が意識的に行われた。
 さらに、エネルギー源が人力と畜力の他は薪と炭にほぼ限られていたため、都市の周りでは薪炭林が形成され、日本の原風景ともいうべき雑木林と畑が織りなす里山の風景が定着した。石炭や石油などの化石燃料はまだほとんど使われていなかったので、街中でも空気が汚染されることはなかった。
 一方、使える資源が限られていたことから、着物や品物は徹底的に使いまわされ修理され、燃えるものは燃やしてエネルギーとし、その残った灰も有効活用された。その過程で培われた「もったいない」という美しい心が貧富の差に関係なく人々の間で共有され、今日に至っている。
 江戸時代のような自然資本、とりわけ再生可能な資源の利用を土台とした一種の制約のある社会が、そのような制約のない現代文明社会に比べて、持続可能で健全かつ安定的な文明、浪費的ではない幸福な上質な文明をもたらしたことは注目に値する。

ウェディングケーキモデルと「誰一人取り残さない」日本モデル

 ストックホルムレジリエンスセンターのロックストロームらは、「強い持続可能性」の観点から、超えてはならない地球環境上の条件について研究し、2009年に9分野からなる「地球の限界」という概念を提唱し、SDGsの17
目標を立体的なものとして理解する「ウェディングケーキモデル」を発表した。
 それは環境、社会、経済の3分野の目標については、気候変動や海洋、陸の自然など環境分野に関する目標は、生物圏として全体を支える土台として描き、社会的な分野に関する目標をその土台の上に置き、最後に経済に関する目標をその上に位置付けるというものであった。これは、地球環境というこの社会の土台がしっかりしていれば、その上の社会的、経済的な分野の目標も達成できないという考え方に基づいている。
 SDGsを日本の「常若」文化で捉え直し、SDGsの社会圏・経済圏の土台である「生物圏」を中村桂子氏が提唱する「生命誌」の視点から捉え直し、社会圏の目標は「自然との和」、経済圏の目標は「共同体との和」という「和して同ぜず」の「和の精神」で捉え直す必要がある。それによって、今日の自然破壊や共同体の破壊を乗り越えることができる(モラロジー道徳教育財団HP「道徳サロン」拙稿連載101「G7教育大臣会合で日本発のSDGs・Well-being教育の国際発信を!」参照)。
 「誰一人取り残さない」というSDGsのスローガンは、明治天皇が五箇条のの御誓文に添えて国民に発出された御宸翰において、「天下億兆、一人も其処を得ざる時は 皆朕が罪なれば」と仰った言葉に通じる。国民一人ひとりが「処を得る」という理想は、共同体の中で、一人ひとりがオンリーワンの個性を発見し自己実現を遂げていくという、より積極的な意味を持っており、日本モデルのウェルビーイングの核心といえる。


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