母の和歌と「死に方」の選択

 昨日2時からの面会に一番乗りで義母の病室に入ると、看護婦さんが「お母さんすごいですね。わずか30分で20も和歌を詠まれていますよ」と告げられた。処方薬の注意書きのメモ用紙にびっしりと書かれた和歌を見て、母に尋ねると、こずえがずっと傍にいて和歌が自然とあふれ出てきたので書き留めたのだという。
 妻のこずえも父が亡くなった時、同じように和歌が次々と溢れ出てきたが、その時も父が傍にいて、天界に召された父の心境が泉のように溢れ出た和歌を次々に書き留める姿に驚嘆したが、同じ光景を目の当たりにした。

 病みし身をはげます我が娘の声ききて 目覚めしときはあけの空なり

 夢夢と思えし日々をすごす母 ただ声のみをききたくあり●し

 神神と思いし我に神はなぜ いとしき娘を 召し給うなり

 吾子のために生きし身に 神は何をぞ教え給うや

 母の心境が切々と綴られた和歌は独特の筆致で書かれているので判読が難しいが、退院して落ち着いたら整理して残しておきたい。また、明星大学の教え子で歌手の南修治氏が4月17日に書いた手記が送られてきたので引用したい。

<●亡くなり方の選択に生き様が
 大学、大学院でお世話になった先生の奥様がご逝去された。まだ70代前半の旅立ちはあまりにも早く、突然の知らせに言葉を失った。
 しかし、先生から奥様が亡くなっていく過程についてお聞きし、奥様の生き様がそこに現れていることを知り感動することになった。
 僕が6年間の闘病生活から解放されて、東京まで会いに行くことができたのは一昨年10月のことである。長い間音信不通になっていて心配をかけてしまったものだから、いくらかの野菜を背負って先生に不義理のお詫びの思いをもってお宅にお邪魔させていただいたのである。
 いつものように奥様は私に食事を準備してくださり、先生ともども昔と何も変わらぬように迎え入れて下さった。それがまさか最後になるとは。
 先生は全国を飛び回り、教育に情熱を傾けておられる方である。その先生を師と仰ぐ教え子たちがたくさんいて、先生の元へと訪ねて行かれる。そこにいつも受容的でおだやかな微笑みの奥様がおられる。私も何度も先生の元へと足を運んだのだが、その都度奥様はあたたかく迎え入れてくださった。私にとってはマリア様のような存在である。
 そんな奥様に、私が6年間の闘病中にもがき苦しんでいたことをお話ししたときに、その闘病の厳しさをいたわってくださった後に忘れることのできない言葉をもらった。
 「私は寿命というものがあると思うの。だから、たとえどんな病気になってもじたばたすることなく、天の計らいにゆだねるつもりでいるわよ」「たとえ癌になっても手術という選択もしない。急に体調が悪くなって斃れても救急車を呼ぶ必要もない。日頃から健康に気を付けて明るく楽しく生きていて、そのうえで何かの変化が身体に起きるのであれば、それは天が決めた寿命なのだから、私はそれを受け容れることことにしているの」
 何という美しい死に方の選択であろうか。それはいつも楽しく明るく、決して他人を否定せず、いつも受容的に生きてこられた先生の奥様だからこそ、その生き方に満足して人生を閉じられる選択ができるのであろう。
 今回、倒れられたときに先生が救急車を呼ぼうとするのを自ら止められて、ご自分の望みのままに人生を閉じられたのである。先生は何の救護もしなかったわけではない。最後には救急車も手配し、頭の手術にも同意しておられる。しかし、結果的に奥様がおっしゃっていた通り天の与えた寿命であったわけである。
 もちろん、人にはいろんな選択がある。奥様のように何も治療しないという選択を良しとする人もいれば、現代の医療にゆだねる人もいる。どちらが正しいのか、というのではない。要するに死に方の選択は、そこに生き様が現れているということなのだ。
 先生の奥様のように信念をもって生きることを通して、おのずと選び取ることができるものが私たちにはあるということを、先生の奥様が見せて下さったのである。そう、大切なのは今をどう生きるのかということだ。>


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