宗像大社の葦津宮司の「常若」論文一持続社会に向けた日本人の自然観

  73歳の誕生日を記念して、宗像国際環境会議を主催されている宗像大社の葦津敬之宮司が『生命文明の時代』(NextPublishing Authors Press,2019)に寄稿された論文「常若一持続社会に向けた日本人の自然観」を紹介したい。

<生命文明
 私がこの言葉を初めて知ったのは、渡辺格(分子生物学者)博士の『物質文明から生命文明へ』(同文書院1990年)によるものだった。一九九二年、国連の首脳レベルの国際会議において「持続可能な開発」(Sustainable Development)が提唱され、日本では昭和から平成となったバブルの頃である。
 当時の日本はバブルの影響もあって、環境問題は「保護」か「開発」の二者択一となり、「物質文明」の真っただ中で冷静な議論ができない状況だった。さらに、国際社会では一九八九年のベルリンの壁の崩壊で東西の冷戦構造が崩れ、一九九三年には欧州連合(EU)が誕生し、グローバル化が叫ばれるようになる。しかし、やはりこの時もその中心は経済というモノの豊かさであった。
 それから三十年ほどの歳月が経ち、「気候変動に関する政府間パネル」(IPCC 1988年設立)が予測してきた異常気象が世界各地で頻発し、モノの豊かさだけでは立ち行かない。バランスを欠いた自然環境の中では、経済が維持できないことが浸透し始めてきたのが今の状況ではないだろうか。
 地球環境問題の根源は人の物欲によるものであり、それは時間を単純に戻せば解決できるのだが、多くの人々は一旦手に入れたものは手放したくない、あの時代には戻りたくないとなる。しかし、地球は人類が消滅すれば元に戻るのだが、人々は諦めきれない。これこそが「生命文明」の本質ではないかと思う。
 
 神道の自然観 ―生きとし生けるもの全てにも神々が宿る
 日本固有の神道には、自然をはじめとする生きとし生けるもの全てにも神々が宿る考え方がある。このような宗教は学術的には原始宗教に分類されるが、一神教が誕生する以前は世界各地にも沢山あった。かつて米国の神話学者のジョーゼフ・キャンベル博士は、世界のこのような宗教の神話を研究され、その共通性を述べられているが、私はその根拠は自然との関係性、自然の摂理によるものと考えている。(Joseph Campbell、1904―1987年『神話の力』早川書房1992年)
 神社には現在、社殿というものがあるが、これは昔からあったものではなく、仏教の伝来による影響とされている。それ以前は岩や木々が神の依り代とされ、宗像大社には今も岩や木の祭場があるが、このような姿はかつての原始宗教にも同様のものがみられる。つまり、それは自然を神として崇め、自然の恵みを神からの恵みとして戴くという古代の人々の心の表れでもある。
 神社には大なり小なり鎮守の森が必ずあり、伐採することは厳しく禁じられている。天皇の祖先神を祀る伊勢神宮においてはその殆どが森であるが、参道の真ん中に立ち並ぶ大きな木々を人の利便性のために伐ることはない。さらに大きな木々が社殿周辺を干渉すると、屋根や塀を削るようになっている。
 神道や原始宗教からすると、自然破壊は神々の破壊に繋がる。そのため自然を軽視すると、いずれ神の怒りに触れることとなる。神道や原始宗教からすると、近年の異常気象などは正にその象徴とも言える。
 
 神道と稲作 ―聖なるお米
 神道の祭りは全て稲作と共にあり、春には豊作を願う祭りがなされ、秋には新穀を感謝する祭りが全国で執り行われている。そして、その間、風雨や災害に遭遇しないように地域で独自の祭りが行われている。ではなぜお米がそのように取り扱われるのか。そのことは日本神話に起因する。
 日本神話『古事記』『日本書紀』には、沢山の神々が誕生する中で、天照大神という天皇の祖先神が生まれる。天照大神は、その後、孫の瓊瓊杵尊に「三種の神器」と「稲穂」を授け、天孫降臨を命ずる。これは神々の世界から地上に降りて、国を治めろというものであるが、それは後に神武天皇に引き継がれ、神武天皇は紀元前六六〇年に奈良県橿原市において日本を建国し、初代の天皇となる。その後、三種の神器(鏡、剣、勾玉)は歴代天皇の徴とされ、現在、鏡は伊勢神宮、剣は熱田神宮、勾玉は皇居に祀られ、稲穂は人々の食べ物として大切に引き継がれることとなる。つまり、日本人にとってのお米は単なる食べ物ではなく、神からの授かりものとなっているのである。
 二〇一五年、パリで「国連気候変動枠組条約締約国会議」(COP)が開催されたが、オランド大統領はこれに先立ち、世界の宗教者を集めて地球環境問題の議論の場を設けられ、私もこれに参加することとなった。その際、ブラジルのインディアンの方が聖なるトウモロコシがバイオエタノールにされていることを訴えに来られていた。パーティーの席上ではあったが互いに意気投合し、食べ物をエネルギーにすることはあってはならないとなった。おそらく食べ物は違えども、その考え方は同じだったと思う。
 自然(神)の命を戴くということは、神道のみならず原始宗教においては同様の価値観がある。日本では今もお米は特別なものであるが、「生命文明」にはこのような考え方が重要な柱の一つになっていくのではないだろうか。
 
 東日本大地震と神社
 東日本大地震では大勢の方々の命が奪われ、その後の大津波によって多くの建物も破壊されたが、この地域に鎮座する古い神社は実は一社も倒壊しなかった。そのため被災地では大地震の際は「神社に逃げ込め」との伝承があり、私も被災地で実際に助かった人々からその話を直に聞いた。(『神社は警告する─古代から伝わる津波のメッセージ』講談社2012年)
 今回の大地震は貞観地震(八六九年)とよく比較されるが、貞観地震を超えてきた古い神社(『延喜式神名帳』九二七年に記載の式内社)、被災しなかった神社は所謂、想定内であったということである。さらに、その後に発表された津波マップには、津波の際に神社の鳥居マークが複数あって、そこには波除神社という社名もあり、先人たちの記憶の痕跡のようにも見える。
 東北の被災地においては、現在、海辺に立っても海が見えない防潮堤などが建設されているが、次の千年後を考えると疑問も生ずる。また、近年ではゲリラ豪雨などの水害により山々が崩れているが、かつては崩れたところを棚田にしてきたという。そして、その棚田は伝統的な石組みによって水害をも回避していたとされている。
 現在の自然災害は壊れたものを元に戻そうとするが、昔の人々は壊れたものを活用する。つまり、元に戻すのではなく、自然に強いところと弱いところを使い分けることによって、そのことを記憶させ、自然とのバランスをとっていたのである。
 IT技術の発達により、今や世界のあらゆる情報は瞬時にみることができるが、神社に残された記憶は未だ情報化されていない上に、その土地の地域性や風土などの違いにより、共通性があるようでない。そのため情報を統一化しにくい特徴がある。地球温暖化による異常気象は益々悪化すると考えられるが、これからは謙虚な気持ちで先人たちの痕跡を読み取ることも重要なことではないだろうか。
 
 伊勢神宮と普遍性
 全国には約八万社の神社があるが、伊勢神宮だけは唯一特別な神社とされている。それは天皇の祖先神である天照大神を祀っているからである。伊勢神宮の敷地は五千五百ヘクタールあり、世田谷区やパリ市とほぼ同じであるが、その殆どが森であり、鎮守の森、原生林、人工林の三つの森で構成されている。
 深い森に囲まれた社殿や参道周辺には大きな大木が沢山あるが、社殿などに木々が干渉すると建物を削り、参道を塞ぐような大木があっても決して伐ることはない。伊勢神宮は人工物より自然が優先されようになっている。
 多くの宗教には教義や教典がある中で、神道にはそのようなものが全くない。そのため、先輩たちから「神道は感じる宗教である」とよく言われてきた。これは大きな岩や木々を見れば、人間は自ずとそこに神々を感じるだろうし、それは神主がいくら説明しても、説明できないということである。
 かつて私は各国の大使たちを伊勢神宮に案内したことがあるが、大半の大使が境内の中に入った瞬間、「通訳はいらない、わかる」とよく言われた。世界にはいろんな人種がいて、いろんな価値観があるが、そもそも人類が持っていたアニミズム的なものは、今も国境を越えて感じることができるのかと思ったことが何度もある。
 感性というものは、それぞれの個人差があるが、伊勢神宮が放つ価値観は通訳なしでも外国人に伝わり、それは国境を超える。つまり、自然の摂理に全く反していない伊勢神宮の環境がそうさせるのではないかと思う。平成二十八年のG7伊勢志摩サミットでも、各国の首脳たちはやはり同じような感想を述べている。
 伊勢神宮には、二十年毎に建物と神宝類を造り替える「式年遷宮」という制度がある。これは約千三百年前につくられたものであり、当時は奈良の法隆寺などが既に出来ていたのだが、何故か伊勢神宮は法隆寺のような恒久的な建物とせず、二十年毎に造り替える方式をとっている。この新しくなる社殿はいつも瑞々しく、若々しいということから「常若」とも称されるが、正にその姿は春先の新芽のようでもあり、それは自然の循環に永遠性を見出して考えられたようにも見える。
 伊勢の森には鎮守の森の他に、社殿の檜を育てる人工林がある。これは遷宮で大量の檜を使うため、大正時代に東京大学の林学の叡智を結集してつくられたもので、決して古いものではない。ただ、伊勢は大きな檜を必要とするため、木を伐り出すまで二百年の歳月をかけるようになっている。当然それまでの間、大木を育てるために周辺を大きく間伐しなければならないが、その隙間から落葉広葉樹の木々が沢山生えている。これは林業の理想形とされる針葉樹と落葉広葉樹の混交林という姿であるが、二百年の檜を育てるために自然とそうなったものである。伊勢神宮は当初、檜を早く育てるために様々な実験をしてきたが、結果的には落葉広葉樹の葉っぱが腐葉土をつくることによって、檜を育てるという自然循環が一番いいとなったようである。
 さらに伊勢の森はその副産物として、普通の建材より大きな間伐材もでてくる。林業家は伊勢神宮だからできるというが、これから山の生態系を維持していくには発想の転換も必要になるのではないだろうか。また、伊勢の古くなった建材は全国の神社に分け与えられ、リサイクルされるようになっている。宗像大社でもその建材を戴いているが、高品質の木材のため少し手を加えるだけで数百年は立ち続けることが可能となる。
 自然はただあるだけではなく、人もその命を戴きながら子や孫たちへと生命を繋いでいる。伊勢神宮の式年遷宮も同様に森から沢山の木々の命を戴きながら、千年以上の時を紡いでいる。持続可能という時間の定義はないが、千年という時間はそれに十分あたいするのではないだろうか。
 
 鎮守の森から見た神道の自然観
 全国には神社が八万社あるが、そこには大なり小なり鎮守の森というものがある。かつてある知人の研究者が神社と寺の境内の森の占有率を調査したところ、寺は三割に対して、神社は八割以上との結果になった。このように神社は建物より森が占有する面積の方が圧倒的に高い上に、全国の珍しい巨樹や巨木もその多くが神社にある。
 神社には古いものと新しいものが混在しているが、千年、二千年という古い森は今も全国に沢山ある。このような国は世界的にみても極めて珍しい。例えば、レバノンには、レバノン国旗にレバノン杉というものがあるが、今ではこの杉はごく一部の地域に小規模にあるだけとなり保護されている。さらに、ロビン・フッドが隠れ住んだとされる歴史あるシャーウッドの森も保護されている。世界の歴史ある森は殆ど保護の対象にある中で、日本の鎮守の森は保護されることなく、今も各地に当たり前のように点在しているのである。
 しかし、神社の象徴ともされる伊勢神宮も平成五年の式年遷宮の折りに、大量の檜を使うことは自然破壊に繋がるのではないかとなった。そこで当時の神社界ではこの風潮を払拭するため、国内外の識者の方々に集まって戴き、遷宮の翌年に「千年の森シンポジウム」という国際会議を伊勢市で開催することとなった。私もこれに関わったメンバーの一人であるが、当時は未だ若かったため深い理解ができていなかったが、日本人の自然観がよくまとめられている(略)。
  持続可能とは自然の循環、若々しい生命の循環「常若」でもあるが、それを維持していくには、自然の摂理を十分理解した上での高い精神性も必要となる。千年の森シンポジウムは今から二十五年前のものではあるが、日本人の自然観や生命文明を考える上において、今もあらゆる示唆を与えてくれるものではないだろうか。
 
 宗像国際環境会議 ―海の再生への取り組み
 私は森を中心に環境問題に関わってきたが、宗像大社に転任してあらためて海の環境の深刻さを知ることとなった。宗像は日本神話にも登場する古い歴史あるところであり、日本が最初に開国した海外との交流拠点の国際港だったため、海との関わりはとても深い。しかし、近年その海が夏場には海水温度が三十度まで跳ね上がり、海の環境にも大きな変化をもたらしているのである。
 海藻が減少する磯焼け、温度上昇による魚種の変化などにより漁獲高は年々減少し続け、海辺には海外からのプラスチックゴミが大量に打ち上げられている。そのため宗像ではこの問題を何とかしようと、五年前より「宗像国際環境会議」を立ち上げ、海の再生に取り組んでいる(略)。
 世界遺産の逆転劇にはいろんなことがあったが、最終的には次のキーワードが決め手となった。SEA(Spiritual 霊性、Ecology 自然環境、Animism 自然崇拝)である。先述したように宗像大社には自然崇拝の古代祭場が今もあるため、神道の自然崇拝に内在する自然観や環境問題の取り組みを訴えることにより、それが二十一ヶ国のユネスコ大使たちにも伝わったのである。これは後にある人の指摘で気づいたのだが、頭文字を繋ぐと偶然であるがSEA(海)となっていた。そして、宗像ではこれを今後も引き継いでいこうとなっている。
 世界遺産に登録された宗像では、これを契機に世界遺産と宗像国際環境会議で「環境と観光」を融合した取り組みにより、海の問題を世界に発信しようとしている。さらに、世界遺産を記念して「海の鎮守の森基金」を設置し、「竹の募金箱」を各所に置くこととなった。これはお金を集めることが目的ではなく、あくまでも啓発のためのものであり、一年経つと竹漁礁に飾られる竹短冊になって、海に沈められるようになっている(略)。
 最後に、自分が迷った時にいつも読み返す、一九二二年に来日したアインシュタイン博士の日本における私の印象(抜粋)を紹介しておきたい。(『アインシュタイン日本で相対論を語る』講談社2001年)
 
  日本では、自然と人間は、一体化しているように見えます。この国に由来するすべてのものは、愛らしく、ほがらかであり、自然を通じてあたえられたものと密接に結びついています。
  日本人は、西洋の知的業績に感嘆し、成功と大きな理想主義を掲げて、科学に飛び込んでいます。けれどもそういう場合に、西洋と出会う以前に日本人が本来もっていた、つまり生活の芸術化、個人に必要な謙虚さと質素さ、日本人の純粋で静かな心、それらのすべてを純粋に保って、忘れずにいてほしいものです。
 
 「物資文明から生命文明」の転換にはいろんな困難があるであろうが、それは人の心はモノだけでは満たされないことを早く自覚することではないだろうか。>

葦津宮司との深い縁

 宗像大社の葦津敬之宮司とは深い縁があり、私が30歳の時にアメリカの大学院に留学し、在米占領文書の研究に没頭していた折に、なかなかGHQの神道指令草案を発見できなかったので、アドバイスを求めて一時帰国して面会したのが宮司と親戚関係の葦津珍彦氏(神社本庁の設立に尽力し「神社新報社」の経営者、主筆として活躍した神道界の代表的な論客)で、オレゴン大学所蔵のウッダード文書の「天皇の人間宣言」関連文書や神道指令草案の発見、同草案を起草したバンス宗教課長へのインタビューなどに関する貴重な示唆をいただいた。
 帰国後、神道宗教学会で無名の私が「神道指令の成立過程」について発表した際に、最も高く評価していただき、内外に広めていただいた。この葦津珍彦氏との出会いがなければ、これらの重要文書の発見は実現しなかった。
 また、平成10年に赤坂プリンスホテルで開催された全国氏子青年協議会創立35周年記念式典で,寛仁親王殿下が産経新聞の「教育再興」欄に掲載された拙稿「宗教と伝統文化」において、次のように指摘したことを紹介された神社新報の記事を送って下さったのが葦津宮司であった。

明星大学の高橋史朗氏は、「神社の社は『いやしろ』といい、癒しの原点。神聖な場であると同時に心身ともに他と和合する場、いのちをよみがえらせる場、健やかに元気に生きる場である」と。そして、「境内で耳を澄ますと、谷を走る水音が響き、木々を鳴らす水音が続き、木々を鳴らす風の音が聞こえる。『日本人の心の故郷』がそこにある」と結ばれていました。鎮守の森の重要性を見事に言い表している文章と思いました。


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