東大大学院理系教授の画期的な道徳論⑵一わが子に語る「道徳のメカニズム」

   昨日のnoteで紹介した東大大学院の鄭雄一教授は、もう一冊の著書『東大理系教授が考える道徳のメカニズム』(KKベストセラーズのベスト新書)において、いじめを根本的に解決するには、いじめが起きるメカニズムを明らかにして、対策を立てる必要があり、どうして加害者が被害者の子供に対して、「思いやりの心を持ち、相手の立場に立って親切にする」という当たり前と思われる感情を持てないのか、の原因について十分明らかにし、それに即した対策を立てる必要がある、と指摘している。
 「社会からの疎外感をどう克服するか」という問題についても、疎外感が起きるメカニズムを明らかにして、具体的な対策を立てる必要がある。善悪の区別、道徳の根拠を論理的に明示して、親が子供たちに道徳について説明するための新しい考え方と答え方について提案し、子供とのコミュニケーションの選択肢を増やすために同書を出版したという。私が注目したのは、以下の考察である。
 工学では問題点を見つけ出したら、それを分析し、その結果を統合して新たなシステムを作り、それを動かして、問題点がどうなるか見る。例えば、「戦争や死刑で人を殺すことについては、善悪の区別ができない」という問題を解決できなかったのは一体何故か?
 それは2つの考え方がそれぞれ道徳の本当の姿の一つの側面だけを取り出して示したものだからであるという。例えば、円柱は上から見れば円であるが、横から見れば長方形である。上からだけ見ていれば円だと思うし、横からだけ見ていれば長方形だと思う。しかし、どちらも本当の姿を捉えていない。本当の姿はあくまで円柱なのである。
 これと同じように、道徳の本当の姿は立体のようなもので、人間全体に共通で「変化しない」側面と、共通でない「変化する」側面からなっているのである。

●いじめをなくす方法

  鄭教授によれば、いじめの対象にされるのは、仲間外れにされた子である。子供たちに聞き取りをして、仲間外れの理由が、もし、道徳の第一の決まり「仲間に危害を加えない」を破ったことであるならば、これは社会において必ず守るべき決まりなので、破った子が悪いということになる。親も教師もきちんと叱り、この決まりを守らせ、また仲間になれるように指導するべきである。
 しかし、仲間外れの理由が第二の決まり「仲間と同じように考え、行動する」が守れないためだけであるならば、注意が必要である。この決まりは仲間の範囲とともに変化するものだからである。
 「見た目が少し違うから」とか、「少しやり方が違うから」とか、ちょっと異質に見える子供は、基準を下回る場合も超える場合も、「異質イコール悪」と捉えられて、いじめの対象になってしまう。
 「仲間に危害を加えない」という第一の決まりにおいて、仲間の範囲が狭いという点、「仲間と同じように考え、行動する」という第二の決まりにおいて、自分と異質なものに恐怖や憎しみを抱いてしまう点が、既成の道徳の二大問題であることが分かった。
 これを克服するには、第二の決まりから攻めるのがいい。まず子供たちの視野を広げて、様々な社会に目を向けさせる。すると、文化の違いによって、第二の決まりの詳細は異なっていても、第一の決まりさえきちんと守っていれば、それぞれの社会はきちんと成り立っていることが自然に実感される。
 すると、第二の決まりの詳細については、「絶対これでなければいけない」とか、「こちらの方が、あちらより優れている」というようなことは言えないことが、自然と分かってくる。「異質イコール悪」ではないことが理解できるようになってくる。
 同時に、地理や気候などが異なる場所で展開する様々な社会が、それに応じて様々な文化を持つのは当然で、統一することなど不可能であることも、自然に分かってくる。
 それぞれの社会が育んできた、様々な文化を捨てる必要はさらさらなくて、各自が好きなように選べばいい。強制さえしなければいい。小さい時からこのあたりのことを、世界の中での異なる社会についての様々な学習や体験を通して、感じ取ることが大切である。
 第一の決まりはしっかりと守り、第二の決まりに対しては寛容になることで、自分と異なるものに対する恐怖や憎しみは減っていくであろう。すると自然に、憎しみと拮抗していた親しみが増して、仲間の範囲が拡大していくはずである。

●未来に向けて私たちはどう生きるべきか

 次に、同書のまとめとして、著者が双子の息子に語りかけている文章を長文であるが引用する。鄭教授の考える道徳のエッセンスが凝縮されているからである。

<人間は仲間と社会をつくらなければ生きていけないよ。人々が、助け合い、手分けして仕事することで、こんなに便利で、豊かな社会が実現しているんだよ。たとえば、普段使っている、水道や病院や学校のことを考えてごらん。一人ではとてもできないよね。
  普段しゃべっていることばも、社会とは切っても切れない関係にあるんだ。ことばの意味や音は、社会の中の取り決めであり、社会を前提としているんだ。空気のように当たり前で見過ごしがちだけれど、このことは決して忘れてはいけないよ。
 人間は、家族や親しい友達などの直接顔を見知っているどうしだけではなくて、ことばがつくるバーチャルな出会いのおかげで、今まで出会ったこともなければ、これから出会うこともない、赤の他人とも仲間になり、宗教や国家や民族などの巨大な社会をつくることができるんだ。これは他の動物にはできないことだよ。
 このような社会を成り立たせている最も重要な決まりである道徳は、『仲間らしくしなさい』と君たちに教えているよ。
 この掟は、二つの決まりからできていて、第一の決まり、『仲間に危害を加えない』は、必ず守らねばならない決まりだよ。守らないと社会が成り立たないものね。だから、この決まりを破った場合は、厳しく罰されても仕方ないのであって、死刑そのものが悪であるということはできないよ。社会がどう考えて選択するか、だと思う。ただし、もし死刑を行う場合には、罪のない人を間違って罰してしまうと大変なことになるので、とりわけ厳しい基準でやっていかなければいけないよ。
 第二の決まり、『仲間と同じに考え、行動する』には、異なる社会によってさまざまなバリエーションがあるので、柔軟に対応し、決して、自分の社会の考え方や行動の仕方を押し付けてはいけないよ。いじめや差別が起きるのは、これがうまくできていない場合だよ。
 このように、道徳には、仲間の範囲が変わっても変わらない部分と、仲間の範囲とともに変わる部分の二面性があることをしっかりわかろうね。決して、一面からからだけでものを見てはいけないよ。二つの側面に分けて分析することで、現実を正しく理解して考えることができるよ。
 最初の時、君たちがエレベータ―の中でけんかをして騒いでいてお父さんから怒られたけれど、それはなぜか考えてみようね。
 道徳の本音である『仲間らしくしなさい』の第一の決まり『仲間に危害を加えない』を破っているよね。この場合の危害は、周囲の人に不快な思いをさせるとか、迷惑をかける程度であり、殺人の場合の危害よりはずっと小さいよ。
 注意しなければいけないのは、このような社会的に重要性の低い善と悪の判断には、第二の決まり『仲間と同じように考え、行動する』が入り込んでくることだよ。どこから、どのくらい不快に思うかについては、異なる宗教・国家・民族により差がありそうだし、個人差も大きいので、ある特定の基準を押しつけて、あまり厳しく取り締まるのはいけないよ。
 でも、さすがにうるささには限度というものがあり、周囲の人に不快な思いをさせたり、迷惑をかける可能性があるから、あいまいでも一応線を引いておくんだよ。
 世界には、自分とは異なる文化を持っている人もたくさんいるけれど、それはただ違っているだけで、決して、劣っているとか、おかしいとか、悪いわけではないんだよ。それで彼らは彼らなりに仲間どうしでうまくやっているんだからね。
 だから、『仲間に危害を加えない』決まりをお互いに守って、どんどん仲間になり、交流しなさい。機械があったら、どんどんと世界に出て行って、実際に自分の肌で、異なる社会のことを感じ取りなさい。ただし、この決まりを守れない者に対しては、毅然たる態度で臨みなさい。
 宗教・国家・民族どうしの争いは、仲間意識が薄いためにエスカレートしやすいけれど、お互いが国家社会を構成する一員であり、仲間であるという意識を醸成することが大切だと思うよ。少しでもそのような意識が生まれれば、道徳的な気持ちも生まれ、一定の国際ルールに従って、さまざまな紛争を解決できると思うよ。
 どんなに、バーチャルな出会いが増えて、社会が大きくなっても、世界で一番大事な仲間は、君たちが直接出会って、顔を見知っている家族や親友や先生なんだよ。どんなに地味で、規模が小さくても、それが君たちの人生の核なんだ。このことも絶対に忘れてはいけないよ。
 バーチャルな出会いでつくる仲間は、空間や時間を超えることができるし、とても大きくて、派手で、力を持っているけれど、決して鵜吞みにしたり、溺れてはいけないよ。いつも、自分が直接知っている現実と照らし合わせ、違っている場合は、バーチャルな方を修正しなさい。
 こうして努力して生きていけば、きっと君たちは立派な人間になれると思うよ。お父さんも応援するから頑張ってね。お父さんの意見について、君たちはどう思う?>
 
 


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?