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uguisumura
文を書く相手はとうに居らずとも便箋たちはその出番を待つ/葵七宝
※ 文=ふみ、居=お
2022年11月3日(木)のうたの日13時部屋の題「題『文』を文語で」の短歌。
深みのある文語新仮名短歌。「居り」は、歴史的仮名遣いなら「をり」だが、現代仮名遣いなら「おり」でよい。作中主体は「文を書く相手」が「とうに」いない作中主体は、高齢であると想像できる。「とうに」ということは、昔は「文を書く相手」がいたということである。すると、「居らず」は、ただ単に「いない」というのではなく、この世にいないということを示すことになる。
では、「文を書く」機会がないのに、「便箋たち」に出番などあるのだろうか。作中主体はもう書かないかもしれないが、家族やその便箋を引き継ぐ人により使われる可能性はある。そのような機会を「待つ」便箋の持つ模様などは読者が想像し、補うところだ。「便箋たち」のまだ見ぬ明日への想像も膨らみ、読めば読むほどに深みの出てくる一首だ。
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