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肩身が狭い

この半年ほど、自民党の国会議員のネタが毎日のように踊っている。国会議員だけではなく、自民党所属の地方議員だが。

いつまでこんな状況が続くのか不安すら感じる。しかも自民党ばかりで苦笑いしかできない。いや、自民党以外のネタもあったか...。

エッフェル塔から始まり、裏金、セクシーダンスショー、SMスペシャルマジックショー、赤いベンツで不倫&秘書給与搾取疑惑、CA他に暴言&パワハラ、会見で記者さんにバカヤロウ、等と、オールジャンルでネタが満載である。

三谷幸喜監督の映画であれば、問題が起き、面白おかしく立て続けに叩かれた後には、何らかのきっかけを機に国民の支持を取り戻す的なストーリーなのだが、今の党本部には、そのきっかけやキーマンが登場する気配すらない。娯楽映画のようにはいかないのである。

裏金以外の問題の多くは、倫理観や道義的責任、社会的な地位の悪用などといった一般常識に近い問題である。

倫理観や道義的責任、社会的な立場など、個人の資質に係る責任については確かに問題ではあるが、それらが日本国の政策立案や事業執行への影響を考えると、さほどの影響はないと考えている。

私に言わせれば、ただの面白いマスコミのネタに過ぎない。政治とは関係がない話ばかりである。

政治不信への影響はあるかもしれないが、少なくとも他の多くは真面目にがんばっている国会議員であると思われるし、数え切れないほどの有能な官僚が日本のために常に働いているのだ。

仮に、暴力などといった犯罪や法律に抵触するものであれば、罰せられ、必要であれば議員辞職するべきであることは間違いない。

法律に抵触するような話は別だが、そのような個人的資質事案を認められない有権者の方は、次にその人が選挙に立候補したら投票しなければよいのである。

それが日本の政治家を選ぶ選択方法なのである。もしかしたら政策など2の次なのかもしれない。

無味無臭、クリーンで、つるんと修正加工したポスターのような聖人君主を国民もマスコミも求めているのだろう。

イタリアやイギリスとは大違いである。(そもそも日本のマスコミが褒め称える政治家を見たことが無い)

比較して考えてみると、例えば酒と女とギャンブル三昧で道端に唾を吐くようなクレイジーっぷりだが、難病の子どもの命を救い、あらゆる難手術を成功させる唯一のスーパードクターがいたとしたら。

病院には必要な人材であり、業務に支障はないのだが、彼は人間的に個性が強いので対応が難しい。で済まされるかもしれない。

病院や患者に必要とされていること。また一般人であるため、マスコミのネタになることやSNSで叩かれることもない。私生活がどんなにクズであっても。

一方、どんなに国や地域のために貢献してきた政治家であっても、同じ個性を持つことは許されないのである。

真っ先にマスコミに叩かれ、SNSで晒され、犯罪を犯してなくても犯罪者扱いされる。

従って、政治家は公人であるが故に、ある意味「人間味のない人間」が一般的には理想であり、聖人君主を目指し続けなければならない職業なのだろうか。

それではその逆で例えると、国際詐欺集団の反グレが、育休を取ったり、CO2削減に率先して取組んだり、趣味が俳句だったりしたら。

やってる罪は重いが、人と環境を大事にする良い人に見えてくる。

詰まる所、職業によって見せる姿や個性というのは、これまで日本で構築されてきた概念が固定化しているので、そのギャップを見た時に、「そんなはずでは!」って感じで化学反応を起こすのかもしれない。


先日、久しぶりに、ある企業の顧問と酒を飲んだ。

「直揮さんは相変わらず人間味があっていいね。」と仰っていたが、今思うと、その方に私はどのように映っているのか不安を感じる。

時代は令和である。
時代のコンプライアンスに沿った、詰まる所である、「つるんとした無味無臭」な地方議員を目指し今後はがんばりたいなぁと思うのであった。

そもそも、つるんとした無味無臭な議員は上記のような、くだを巻いたりはしないかもしれない(^^;;