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子どもの主張

私には25歳になる娘がいる。
目に入れても痛くない一人娘だ。

「子どもは3歳になるまでに、すべての親孝行をする」という、ことわざがあるそうである。深いことわざである。

今になり、自分の子育て時代を振り返ると反省ばかりだ。でもそれは仕方ないとも思っている。何故なら、子育てに正解や答えが存在しているのであれば、人類はとっくに行っているだろうし、だからこそ性格や学力、個性に違いが生まれるのだという言い訳。


先日、ある協会の研修会に参加した。
それこそ個性的ではあったが、私も以前から思っていた、口に出してはいけない主張を堂々と説いた講師であった。

少子化に歯止めがかからない。という課題の原因を考えたことがあるだろうか。単に人口が減少しているから結婚する若者も減少しているという問題ではない。

または「結婚しない」「家庭を持とうとしない」若者が3割に近づく理由についても、これまでの政府の少子化対策と経済・雇用対策との間に生まれた問題だということを、問題の側面から考えて欲しい。

(例えば男女共同参画社会の推進により競争が生まれることから、女性の生き方も変わり、子どもを以前より欲しいと思わなくなっていることなど)

また、子どもの目線で考えて見る。「保育施策」で言えば、国が行っている標準8時間、最長11時間預かるという基準。フルタイムで働く母親もいれば、家庭の事情で預ける母親もいるだろう。それも0歳児から。

母親は家庭にとって重要な労働力である。それは私も子供の頃から見ていたので理解はしているが、フルタイムで保育園で待たされる子供は、それを望んでいるのだろうか。

保育園に自分の子供を母親が迎えに行けば、「ママー!」といって抱きつく場面を考えると、当然ながら子供は保育園ではなく、母親と一緒にいたいのが分かる。

ちなみに私の思い出だが、保育園バスの送迎場所に他の子供たちは母親が迎えに来ていたが、私の母親は仕事で来ることがなかった。

ある日、「どうせ一人だし」と思ったのかは覚えてないが、帰り道にひとりで冒険に出て、えらく怒られた記憶がある。

みんなの母親が迎えに来てるのに、なんでオレだけ。と思っていたのか、母親を困らせたかったのか、心配して欲しかったのか。心境は覚えていない。

話は戻るが、特定の人間(親)との親密な体験は、その子の一生に影響を及ぼす。または三歳までの環境や体験が、将来を左右する脳細胞の仕組みが決まってくる重要な要素であることは、定説として言われている。

その大人になる上で重要な時期に、「誰に子育てをしてもらったか」「甘える対象は誰だったか」そしてそれは、その子の親だったかという経験、親が「可愛がる」という行為の喜びが、子どもの「信じる力」につながっていくのではないか。

そうであるなら、現在の保育園の責任は大きい。何故なら、標準8時間・最長11時間も、その子の人生を左右する可能性を含んでいるといっても言い過ぎではない時期を預かるのだから。

「保育園落ちた、日本死ね」とSNSを通じて話題となったワードがある。その結果、0歳児も含め、待機児童ゼロを目指し規制緩和による保育園の増設を進めた。

少子化が進んでいるにも関わらず保育園を増やすことから、競争原理がさらに強まる。保育園は選んでもらうために、様々な「サービス」を提供していく。そして親たちも、そのサービス内容で「子育ての外注先」を選ぶようになる。そして預ける保護者は「保育園のお客様」になる。

保育園は子育ての外注先ではない。また、子育てサービスを提供するところでもない。あくまでも、親の働く時間に安心して預かってもらうものであるはずなのに、重要な幼少期の親の役割まで求める傾向があるのではないのだろうか。

結果、保育士に負担がかかる。そりゃそうなるだろう。大人にとっては理不尽で、わがままで、常識や理論、理屈が通じない幼児期の子どもの相手を最大11時間もするのだから。大事な命として。

子育ての責任(保育士・学校教員・学童指導員・養護施設の職員など)誰かに押し付けようと進める政府の子育て支援策は、該当する職にとって、その全てを受け入れることはできないだろう。さらに負担をかけることから人材不足は加速する可能性もある。

最近、報道で保育士による児童虐待のニュースを目にする。

一概には言えないが、人材不足が進み、負担も増え、労働時間も増え、人間の限界が生じた時に、もしかしたら表には出ない虐待も行われるかもしれない。また、もしかしたら報道されているものは、氷山の一角の可能性だってある。

親が働く間の「子どもの受け皿」を規制緩和などにより増やすこと、充実させることも理解できるが、必要なのは、働く母親が少しでも子どもと一緒にいられる労働環境、職場環境なのではないのかと。

子どもを迎えに行った際に、「ママー!」と抱きつく幼児を見て、子どもの目線から思うオッサンであった。