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モードなメイクは似合わなくても

「化粧はしない」
闘病生活も長くなり、人生へのあきらめと共に、いつからか、そう思うようになっていた。
ふだんは出掛ける時さえも素顔で、日焼け止めを塗る程度。
病に臥しているのが常なので、週に一度や二度の外出先はおおよそ病院しかないという現実。しかも、その通院でさえ福祉タクシーでやっと通っている。日々の買い物もままならず、必要な物は配達してもらうか、友人に頼んで買って来てもらうかの有様。なので、お化粧する意義を見出せなくなっていた。
 ところで、その友人がある時、ふっと私に言った「美穂ちゃん、お化粧して出掛けてみよう?」
時折り、食事やお茶に私を連れ出してくれる友人だ。ヘアサロンへの送り迎えも買って出てくれるし、億劫がらずに私の車椅子も押してくれる貴重な人だ。「素顔のままの美穂ちゃんもいいけれど、お化粧すると綺麗だと思うんだ」しかし、それに対して、化粧はしない主義なのだと私は意固地になってしまったのは、化粧をしないと変な顔だよと、ひねくれた解釈をしてしまったから。
 ところが、最近になって急に取り憑かれたようにメイクセット一式を購入した。「このまま人生を終えたくない」といった気持ちがあふれたからだ。
 数年ぶりに揃えた化粧品。最先端・流行りの色合いのメイクアップ品。

化粧をしてみせると友人は綺麗だと言ってくれた。けれども鏡に映った自分はどうしたってパンダのようにしか見えない。流行りに乗り過ぎたのが敗因だと痛感。

それでも「このまま人生を終えたくない」
もう、いまやメイクに対する思いは、病の中にあっても生き生きと暮らすためのチャレンジのような感じだ。
流行りの化粧が似合わなかったとしたら、それならば、懲りずに再挑戦とばかりに買い直したのはベーシックなメイク品。人生を生き直そう、大袈裟にもそう思った。

「化粧」は「生きること」に少し似ている。自分と向き合って、そして俯瞰して自分の色を探していく。
モードなメイクを施したファッション誌のモデルのような美しさには遠いが、笑顔で優しく微笑んでいたい。自分だけのカラーを纏って。

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