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【映画】「ゴジラ -1.0」戦争と災害

映画館にいく

そもそも、映画を観る習慣があまりない故に誘われでもしないと映画館で観ることはないのだが、職業柄「見なければ…」という思いにだけ駆られ無理やり話題作を見る事で、本来の鑑賞体験を得られないというなんとも本末転倒な結果に陥ったのが昨年2023年だった。今年こそはこの状況を脱却すべく、鼻息荒げて向かったのが、上映期間終わりかけの「ゴジラ -1.0」だった。

「シン・ゴジラ」を観てから、「ゴジラ」「ゴジラVSモスラ」を観て、で、今回の「ゴジラ -1.0」。まだゴジラ未経験の方にはこの順番を進めたくはない。やはり、せめて「ゴジラ」の土壌あってのゴジラシリーズが本領かなと思う。(古い特撮を見づらいという人はごまんといるだろうし、最近のゴジラから観ることは何の罪でもない。私もそうだし。)

以下、感想。考察やレビュー、講評ではない。

ゴジラ -1.0(ネタバレ有り/感想)

ともかく、久しぶりの映画館は良かった。
誤解ないように言っておくと、友人/家族に「ゴジマイどうだった?」と聞かれたら、普通に「面白かった」と答えると思う。そのくらいには楽しんだ。

「ゴジラ -1.0」というからには「ゴジラ」以前の話、第二次世界大戦から連なる文脈がかなりある。戦争映画であり、怪獣映画であるというのは私としては目から鱗だった。

つまり、私にとって怪獣映画は人間VS怪獣(人外)のプライドバトルであり、人間同士の争いは怪獣と向き合う上での摩擦でしかない。その摩擦の中で信念や人間性のすれ違いや、もともと水面下で活発化していた政治や国の問題の浮上などがあるが、基本的には人間の叡智と言葉通じぬバケモノとのバトルである。
けれど今作では、対ゴジラ戦に加え、対アメリカ戦がかなりの割合を占めて丁寧に描かれる。人間VS人間の戦いが明らかに存在感を持って在るのだ。

ゴジラの襲来はつまり、災害である。レーダーを設置し、予測し、対策する。だが、そこに「必ず」はない。そして、予測より早く強くゴジラは到来する。まさに無選別に人を殺戮する大災害であり、災害大国に住む者には迫るものがある。
(ゴジラがなぜ上陸したのか/発生したのかという点において、人間の過失を前提とするシリーズもあるため、一概に「ゴジラは災害だ」とは言えないのだが「人間が恐れるモノ」としてのゴジラは、(人間由来かもしれないが、映画時系列時点で)その原理が解明されきっていない未知の脅威と捉えたい。ここら辺はシリーズごとにどうやら違うらしいので、ゴジラ詳しい人に聞きたい。)

対して、第二次世界大戦はその名の通り、戦争である。戦争は災害と違って、死人を選別する。人間由来の殺戮であり、言葉選ばずにいうと、死人が出るのは明らかに人間が悪い

この二つが同じくらいのボリューム感で描かれていることから「ゴジラ -1.0」では、災害と戦争が主人公を襲うと言っていい。それは誰も疑う事なく、主人公に対して憐れみさえ覚える状況に陥っているのは間違いない。

主人公は特攻から逃げたという青年。特攻からも逃げ、第1回目のゴジラ到来からも逃げ、その結果、愛する家族(?)の住む東京にゴジラが上陸した。1回目より遥かに成長した形で、だ。そして、そのゴジラ殲滅作戦に参加することになる。

のだが、主人公はゴジラに向かうとき繰り返し「これは俺の戦争だ」「自分の戦争はまだ終わっていない」という。つまり、主人公はゴジラ襲来を人間(自分)由来の殺戮だと認識している。

まぁ、要は彼のせいなのである。かなりざっくりとまとめると、彼のせいでゴジラは対処できないサイズに成長し、東京の街を襲い、人々を蹂躙した(と主人公は考えている)。
自分でそう言っている。

ゴジラ殲滅作戦は民間主導で行われ、先の戦争のように人の命を粗末はにしないことを目標に進行する。人の命を粗末にする作戦の筆頭が特攻になるが、主人公がゴジラへの特攻を決意し、仲間に内緒で特攻装備を作戦用戦闘機に搭載する。そして、そこには緊急脱出装置も付けられていた。
これは、第1回ゴジラ上陸時に主人公のせいで死ななくて良い部下が全員死んだ整備士によるものだ。災害対処なら「生きろ!」という言葉も分かるし、「生きて償え」という言葉ももちろん分かる。整備士の漢気、そして未来を見る人間性にはウルっときたし、そうまで彼を思わせた主人公の本気度も感動した。

彼のゴジラへの特攻は、最終手段だ。作戦が失敗した時にゴジラの口に爆弾を積んだ戦闘機で突っ込むというもの。そして、お決まりの通り、作戦は失敗し、彼は突っ込み、緊急脱出パラシュートで助かる。ゴジラは無事殲滅(?)し、死んだと思っていた妻(?)は生きていて、多少の不穏さや「ゴジラ」への暗示を残しながら幕が閉じる。

えー、彼の戦争、終わってなくない?
戦争を生き延びたことはもちろん悪くないし、特攻から逃げたことも罪じゃない。戦争を生き延び立て直そうとする人々を襲った災害を、戦争の経験を活かして撃退したと思えば全ての辻褄があうのにも関わらず、彼は自分で戦争だと、戦争が終わっていないと言っていた。それはもう、私が「ああ、彼はあくまでそのスタンスで行くのだな、(命を粗末にしない)新しい時代には行けないのだな」と思うほど何度も。

じゃあ、なぜ、ゴジラを戦争だと言った?
戦争は終わってないのだ。何終わったみたいな顔をしている?世界中の戦争が終わっても、日本中が災害に見舞われても、お前の戦争だけは終わらずにお前だけは災害には目もくれず、戦争に向き合っていたんじゃないのか?
ここが納得できない。ずっと面白かったのに急に最後、諦めちゃった。
諦めるなよ、戦争を終わらせる事を。諦めるには、整備士の「生きろ」という言葉は弱すぎる。そんな言葉、ごまんと言われてきたはずだろう、感じてきたはずだろう。「なんでお前が生きてるんだ」という言葉と同じだけ「生きろ」と言われてきたはずだ。

(作品の設定だと半強制的に使用されるので無理かもしれないが)脱出装置は使わずに特攻に成功して戦争を潔く終わらせるか、あるいは、作戦が成功して特攻を持ち出すまでもなくなって欲しかった。彼の覚悟も戦争も、整備士の想いも後押しも戦争にまつわる何もかも全て、無意味になって欲しかった。そして、戦争を失って、初めて世界が見えて欲しかった。

彼にとって戦争はそんなものだったのかと悔しかった。普通に考えたら、そんなことないのだ、家族だって大事だし、生きていてほしい。
でも、それ以上に彼は戦争に囚われていると、自分の罪に対する罰を欲していると、前半の戦争描写が素晴らしいだけにそう思ったから、悔しかった。こんなことなら、別に戦争を絡めなくても良いじゃないか。だって、彼の戦争は最後どこかにほっぽり出されちゃうんだから。

私も未熟だし、一回しか見てないし、ゴジラに詳しくもないし、好みの問題に過ぎないのかもしれないけど、それでも納得いかなかった。良かっただけに、主人公にかなり感情移入していただけに最後置いて行かれてしまった。

私を見捨てないで〜、て。

映画初め

そんなこんなで、良かったけど納得いかない映画が2024年初映画として、私に焼きついた。
不謹慎だと言われるだろうがあえて今作においてのみの話をすると、彼は戦争を愛していた。愛憎入り混じったクソデカ感情を戦争に向け、手ごたえがないから、もういなくなってしまいそうだから、その面影をゴジラに重ねておっていく…のだから、振られるか付き合うかしようぜ?みたいな。
まあでも、愛なんてそううまくはいかないのかもしれないっスネ〜

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