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父になる事と作家活動について-出産後

挨拶

この記事は、写真を趣味にしつつ作家活動を行っていた人間が父になり、その結果作家活動にどう影響を与えるかを伝えるシリーズです。前回はこちら。

早いもので、娘が生まれてから11ヶ月が経とうとしています。この作家活動についての記事も、当初は半年後には投稿する予定でしたが、案の定忙しくて書けず仕舞いでした。

妻に内緒で行ってた漫画喫茶や、妻が里帰りしている隙にできた時間を作って記事を書いています。なので若干文章に齟齬があるかもしれませんがご了承くださいませ。

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ここ一年の過ごし方

前編で予想した通り、やはり自分は仕事と家族、そして趣味(作家活動)すべてを満足するレベルで実施するのは無理でした。そのため趣味は一旦やめて、仕事と家族中心に過ごしていました。
とはいえそれはネガティブな話ではなく、きちんと「今すべきことを実施してきた」という意味でポジティブに思っています。

むしろ(これも想定どおりですが)世の中ですべて満足するレベルで実施できる人はおらず、何らかの背景(仕事が趣味と同じ、睡眠時間を相当減らす、祖父母に子供を預けられて時間が得られる、裕福、パートナーに一方的に仕事や家事育児を押し付ける etc)があって得られる事であり、「子供ができてからも昔と同じような生活できるんだよ!」「子供がいても自分らしい生活」と豪語する人はあまり信用しないほうがいいと思っています。それが全てダメというわけではないですが。

そんなわけで自分にとってこの一年は、毎日仕事と家族に精一杯パワーを使ってきたつもりです。
正直なところ、育児については妻に任せっきりだったと思っています。毎日、ほぼ休みなく育児をしてくれる妻。毎夜起こされ、吐物やう○ちがついた服を漂白・洗濯し、離乳食のレシピを考えて作って食べさせ、風呂にも満足に入る時間がない…etc。娘が成長できたのは、間違いなく妻のおかげです。本当に感謝しています。いつもありがとう。

で、私はといえば。どちらかといえば仕事一筋な一年でした。
若干の昇進もあり、育休も殆ど取らず(一日だけ取った)、ほぼ毎月1,2日は休日出勤し、遅いときは4時まで働いたり、コロナをはじめとした病気で倒れていく仕事仲間達の代わりに仕事をするのに必死でした。

今までの私は、【趣味に全力・仕事はぼちぼち】なスタンスでしたが、やはり子供ができると仕事に精が出る…のではなく、そうしないと金が足りないんですよね。エンゲル係数高すぎな我が家。残業しないと毎月赤字になる状況はかなりキツくて、中古で購入した外壁塗装にも数百万飛んで私が10年間で貯めた金はスッカラカン。働けど働けど、我が暮らし楽にならず…な状態を過ごしています。正直マジキツイ。

かつて趣味をするために稼いでいたのが、生活するために稼ぐ。そうなると、必死さが変わりますね。これが大人になるという事でしょうか。

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作家活動について

そんなわけで慢性的な金欠状態になっております。我が家の大蔵大臣である私としては、無駄な出費は極力減らしたいと思っています。ということで、必然的に趣味である作家活動にかけられる金も減りました。そして時間もありません。そんなわけで、写真は撮っても展示には出さないし、展示を見に行く事も殆ど減りました。

唯一娘が生まれてから唯一参加したのは、R-D1 in Focusぐらいです。

この展示は参加費無料、かつ写真撮って送るだけで完了という展示なので例外的に参加しました。副賞のR-D1sの在庫ゲットも嬉しかったしね。

とはいえ、他の展示は出さなかったし、見に行かなかった。他の用事のついで、じゃないと見に行く体力(あと時間、金)がなかったです。以前はコロナが理由でしたが、今は自分の状況による問題が大きいです。

あとは【展示の価値】に関しても考えが変わってきたのも大きいかもしれません。私の写真を撮るきっかけ、源流となった思想である、 【自分の想定を超える写真】について、かつては【自分以外が撮るかもしれない】【単なる画像データ、写真掲示では難しくとも展示故の魅力で想定を超える】と考えていましたが、最近はAIにより生み出された画像にその価値を見出してきています。

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AIによって生み出された画像は【絵】であり、【事実を写した】写真とは違うものかもしれません。しかし「想定以上のもの」を求めるだけであれば、写真・展示である必要もないのではないか、と思うようになったわけです。

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自分とAIの付き合い方

すこし話が脱線しますが、AIが台頭してくるなか、写真作家として思う事は「写真である」事のステートメントが一層大切になると考えています。文字を入れれば絵(動画等)が出来上がるAIにとって、表面上の【表現】は簡単に作りだせてしまいます。

私は以前から写真の本質は「記録」にあると感じており、その延長線上に表現があると思っています。
chronographシリーズは、娘が生まれる前に作成したシリーズですが、これも記録の延長として表現ができないかと思って作った作品です。

このchoronographシリーズは、現状の集大成ともいえるシリーズですが、いかんせん時間がかかるため現状は撮れません(平均2-3hぐらい撮影しております)。育児が一段落して、自分の時間を確保できれば更に撮影していきたいと考えています。chronographに限らず、スリットスキャン自体の可能性を完全に捨てたわけではないので、再開できる日々を待っている状態です。

でも、これも結果的にはAIが同じような写真は撮れる(作れる)わけです。そもそも「こういう写真が撮りたい」という考えで撮った写真は、すでに絵と変わりないのではないかと考える事は、誰もが一度はあるのではないでしょうか。

またAIは無数にある選択肢を減らしたり、単純作業の効率化には非常に有用です。私の場合、時間や金がないという状況の中だからこそ、AIとうまく付き合って作品作りをしていきたいと思っています。
あとこれも余談ですが、今後AIによる画像フェイクが増加していく事が予想されます。「織田信長」を検索して、ゲームの美少女キャラクターが出てくる時代ですので、より「事実」を写し「証拠能力」が高い写真が求められるんじゃないかなと思っています。

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記録こそが本質

時間と金がない中で、自分が一番力を入れているのが定点観察です。
一つ前のnoteでCANONのPowerShot PICKの購入報告をしましたが、これも定点観察してくれる素晴らしいカメラです。

娘が生まれて1年経ちましたが、私は家族と過ごす時間の中で、それほど娘の写真を撮らないという事がわかりました。妻のほうがよく撮っています。私がどんなに良いカメラ、良いシチュエーションで撮っても、妻がスマホで撮った娘の写真には敵いません。妻は、常に最オシの娘の写真をしっかり残してくれます。

そして、私の写真はPICKやラズパイカメラにも敵いません。この二台のカメラは、定期的にリビングを撮影して写真を記録してくれます。記録写真は、変数を少なくして条件を整える事が理想ですが、これらのカメラは定点で撮るのでその条件を満たしてくれます。「何が変化したか」がわかりやすいカメラだからこそ、「家」「家族」という単位で見たときに、変化のわかりやすさは素晴らしいです。

以前も書きましたが、定点撮影で撮った写真は、自分のステートメントである「時間の流れ」を記録すると同時に、家族を記録してくれますし、なによりオートで撮ってくれるため時間がかかりません。セレクトだけは自分で行っていますが、これもAIの進歩により簡単にセレクトできるようになると思っています。

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おわりに

「作家活動するつもりはあるけど、時間が取れない。お金がない。」

そんなのは、最初からわかっていた話です。最初に書いたように、ネガティブな事として捉えていません。

個人的には、むしろこの機会が自分の写真に対する考え方、モチベーションを維持できる良い時間になっていると思っています。自分にしかできない考え方、捉え方ができる状態だし、それを見越して実施していた内容も間違っていなかったと思っています。

どちらかといえば、写真活動以外の部分に悩みが多いのをなんとかしたいですね。金欠で妻に無理強いさせてしまってたり、育児の負担が大きいのもなんとかしてやりたい。私の健康面もズタボロで、この2年間で体重が20kg近く増えました。ストレスで毛量もかなり減りました。自律神経がイカれてしまい、頭痛と目眩でわりといつ死んでもおかしくないなーという状態になってきてます。

写真を撮るという行為自体は、未だに好きです。カメラでファインダーを覗いて、「いいな」と思った状態を撮る。それ自体が精神を安定させます。「作品を作る」「展示を見に行く」は一旦AIに任せて、「楽しく撮る」事だけに集中できる機会を作っていきたい。

隣の芝はいつも青い。まずは自分の健康第一、次に家族を考え、それでいて趣味です。私の中では、作家活動は夢のまた夢ですが、それすらも楽しみに今を生きます。続きは、また約一年後にでも。

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自作で機材作ったり、展示物のギミック作るとお金かかるんです…。ストレスで甘いもの食べまくるから…。そんなわけで、俺に少しでも甘いもの食べてもらいたいって人はよろしくお願いします!