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私のチョコレートは私のために。

皆さんこんにちは。
もうすぐバレンタインの季節ですね。
今年は百貨店がオンライン展覧会のようなイベントを開いていて、おうちイベントの一つとして盛り上がりそうな印象。
(お店に行っても味見できないだろうし…残念)

バレンタインの思い出

女子校出身の私はこの時期になると、週末2日がかりでチョコレートを業者並みに仕込み、
家で1番大きなタッパーに2段重ねに詰め込んで登校したものです。

作るのは手間がかかりすぎず、ばら撒きやすいパウンドケーキやトリュフが主流。
手の込んだフォンダンショコラやお洒落なラッピングは高値で取引され、
休み時間ごとに教室の一角では仕入ルートに応じたチョコレート闇市が開催されたとかどうとか…(さてどこまでが真実でしょう)

私にとっては和やかなバレンタインの思い出ですが、社会での考え方は少し違う様相。
女性という概念、立場が大きくアップデートされている中、「男性に尽くす」象徴とも捉えられる2月のチョコレートは年々苦さを増しているようです。

バレンタインはいい口実

振り返ると、私自身は社会人になってもバレンタインにチョコレートを贈り続けています。
それは相手がパートナーでも、仕事の付き合いでも、もちろん性別がなんであれ。

正直ものぐさで小狡い私は、自分へのメリットがなければ何かをしようと思いません。それでも続けるバレンタインは、実はあげる人にもらう人にも甘ーいイベントなんじゃないかしらとここ数年感じています。

普段社会人をやっている身からすると、あまり個人個人にお礼を伝えたり、仕事以外のことをお話しする機会は多くありません。
お互い仕事=お給料の発生している時間を、関係ない話で浪費させてはいけない…という暗黙のプレッシャーがかかっているからかも。

さもすると生産性の敵とも取られる無駄話は、実は新たなビジネスチャンスや気づきの宝箱。
仕事柄、困りごとやトラブルの根本を探るのが半分趣味になりつつあるのですが、
話し相手の「最近こんなことがあってね」「そういえばあの人が話してたことって元々」というポロリに何度も救われてきました。

このボーナスキノコのようなポロリ話は、普段からのコミュニケーションが何より大切。
その一つとして、バレンタインは私の大切な「コミュニケーション爆上げガチャイベント」になっています。

極端な意見は裏返して考えると面白い

インターネッツという場所には、尖ったものであればあるほど輝きを増すという特徴があります。
私も大好きな場所ですが、たまに0か100か、という議論の方向に戸惑うことがあります。

先輩からの一言でとても印象に残っているものがあります。
「働き方改革というのは働きすぎない自由も、働きたい自由も保障すべきだ」
社会人1年目だった私が、残業規制のおかげで任される仕事量が少ない、とこぼした時の会話です。

もちろん心身の健康が第一、かつ無理な業務を課さないため、という予防線のための働き方改革ですが、
ここまで頑張りたい、チャレンジしたいという人に向けての処置はないのかな、と思ったり。

昨今の女性、話長い説もそれ自体は暴論ですが(そもそも性別で分けると何がいいんだっけか)、
裏を返すと女性を意識的に登用しようとするあまり、そりゃ男性から見ると面白くないリクエストもいっぱいあるんだろうなとも気づきます。
私は普段男性として社会を見ることがなかったので、今回の話は確かにな、と気づかされました。

極論は嵐のようにやってきて、その間はまるで天変地異のように世論をのっとりますが、いずれ次のターゲットに向けて旅立ってしまいます。
私たちは葦のように一見その風に揺られながら、「どこにどのように着地するのか」「この問題の本筋は何か」を忘れてはならないのです。

私のチョコレートは私のために

というわけで、今年も私は私のためのチョコレートを買いました。
まずは自分の胃袋を満たすためのとっておきをいくつか。

残念ながら出社は叶いませんが、プレゼントもなんとか形にしたいもの。
お世話になったあの人に向けて、とびっきりの愛と少しの虎視眈々なたくらみを添えて。

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