腸の愛と母の愛。


母は亡くなって、見えない世界に行ってから、
縁切りとか何かのお仕事をしているように思えてならない。


腸の愛ってわかりづらい。

腸は「好き」とか言わない。
相手の負担にならないように。
相手がそれによって行動が変わらないように。

その人が、その人の為に、その人自身で行動できるようにする為に、言わない。

亡くなったお母さんの愛がそれだった。

腸の愛は、ただ見てる。
好きだから見てるけど、「好き」とか言わない。

ただ、間違った方向に行こうとした時には、本気で怒る。

本当に困った時には助ける。

お母さんの愛が、それだった。

私が急性胃腸炎で救急車に運ばれたあの時に、反抗期が終わったのは、それが分かった瞬間だったのかもしれない。

お母さんは見えない世界に行ってからも、それが続いた。

亡くなった翌日に、夫に挨拶に来てくれたのもそう。

私ではなく、夫に会いに来た。

分かりやすい愛だったら、私に会いに来てくれたと思う。

ちょっと、その時の事を書いてみる。

夫は見えない世界の事を全く信じていない。
でも、母が亡くなった翌日の深夜、家族皆就寝中だったが、夫だけ起こして挨拶をしてすぐいなくなったらしい。
それを話している夫が一番驚いていると言うか、信じられないけどそういう事があった、という感じだった。
決して私を励まそうとして、とかそういうものでは無かった。

夫は不思議な人で、見えない世界とかそういう科学的で無いものを全く信じていないのに、
意図せずUFOを2回呼んだことがあるし(と言うか、どちらも第一発見者なので、夫が呼んだことになっている。本人は呼んだ自覚は無いのだけど、特に2回目は夫がベランダで一人でいた時に、夫の真上に来たので多分本当に夫が呼んだんじゃないかと思っている。UFOは光の色を変えたり変形したり、それを見せてくれただけで特に何か起きたわけでは無いのだけど。)
本人は無自覚だが、そちらの力を持っているように思えてならない。

母は、見えない世界を信じず、嘘もつかない夫に挨拶に来る事で、
本当に母が来た事を証明したかったのかもしれない。

もし、私に会いに来たとしたら、私自身がそれを自分の願望が見せた幻だと思ってしまうかもしれないから。

(それに、私がもしそれを夫に話したところで、普段からスピリチュアルが大好きで、オカルトだと思われてる人が話す事だから、きっと気の毒な顔で見られて終わるに違いない。)

本当にその一言を伝えたくて、夫に会いに来たのかもしれないし、それはどちらか分からないのだけれど。

でも、私は母からそれほど愛されてはいないんじゃないか、
と思う事もあったから、
変な話だが、母が亡くなった翌日にあったこの出来事が、私が生まれてきてから一番母の愛を実感した事だった。



私は地球で生まれて地球で育ったから、
母の愛は本当に分かりづらかった。

ものすごく真面目で、堅くて、変わってて。

でもその反面、面白いと感じた事にはとことん笑うし、一旦、対人関係がある場所へ行くと、楽しそうにしてた。
でも自分からそういう場所へ行く事は少なかった。


お母さんは、今考えると、腸の世界の人だったと思う。


母は見えない世界に行って、
私が信じているものが間違っている事や、
私が見えない世界で間違った人と縁を繋いでる事を知って、

間違った縁は切ってくれた。

私のそのつながっていた縁は
どうして繋がったのか分からないし、
どうやって繋がったのか分からないけど、

私が無意識の世界で誰と繋がったのか、
見えない世界を見れない私からしても、
現実を見るだけで分かった。

だけど、今考えればその縁を繋いだ事は間違っている事だった。

私は考えない人間になっていたし、
とにかく楽しいと言う感情に振り回されていた。
完全に自分を見失っていた。


だから、楽しいという気持ちは危ない。
考えなくなってしまう。


私がその時大事にしていたのは、
どうしたらいつも笑顔でいられるか。
いつも笑顔で過ごせるのか。

その為には楽しい事が必要だったし、
その楽しい事を起こさせる為には、
時間もお金もいっぱい使った。

その為に頭を使っていた。
間違った使い方だった。

間違った方向への道に、より近付く為に頭を使っていた。


最終的に縁を切る事を
行動に移すのは私だったけど、
私がやってる事が間違っていると気が付くきっかけを作ってくれたのは、
亡くなった母だった。


私が私のために生きられるように
してくれる道筋を、母が作ってくれて、
今の道を歩いてる。

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