見出し画像

道路に子どもが飛び出した

先日、事務所へ向かって歩いていたところ、すごい勢いでちっちゃい自転車が道路に飛び出してきました。

▼その時、母は

飛び出したというか、秒で渡り切りました。

推定年齢3~4歳、タイミングによってはその子の人生も、鉢合わせた車のドライバーの人生も終わっています。

で、近くには母親らしき人がママ友らしき人と一緒にいたのですが、特に焦ることもなく「も~、危ないよ~」と声をかけるだけ。

マジか。

▼とっさに思うこと

反射的に感じたのが、
「いや、あんた自分の子供の命なんだと思ってんだよ。あとな、もし事故が起きちゃったら、ドライバーさんは一生それを背負って生きていくんだぞ。わかってんのか」
という気持ちを、10倍ぐらい口汚くした感情です。

怒りに近いかもしれません。

ぼくとは何の関係も無い家族ですが、多分あの子どもは、これから先のどっかのタイミングで悲しい出来事に見舞われるんだろうなあ、とかちょっと悲しくもありました。

これが、反射的に感じた方です。

で、その後事務所へ向かいながら冷静に考えたのは、とはいえあの子どもの運動欲を満たせる環境は地域にないんだよな、というものです。

▼冷静に考えること

「子どもが自転車で飛び出したらよくない」のは、そこに自動車などの危険物が走っているからです。

自動車は、本来この国では運転が認められていないのですが、運転免許証と言う特別な資格を保持することによって、一般道を走ることが許可されています。

拳銃や包丁よりもよっぽど危険な凶器なので、国をあげて管理されています。

それでも、有資格意識の低い一部運転者によって、安全が担保されていないのが事実です。

そんな環境の公道に、いつでもだれでも無防備にヒョイッと飛び出せるのが現代社会です。

▼当たり前とは何か

たしかに、この時代に生きているのだから、身を守るのは自身であり保護者であることは間違いありません。

ただ、「じゃあ、あの子はどこでめいいっぱい体を動かしたら良いんだろう」と考えると、とくに答えは浮かびません。

お母さんだって、ママ友とちょっとの時間でも会話をすることによって、日々の疲れやストレスから解放されてるかもしれませんし、その時間の中で目の前に事故スレスレ場面が発生しても、適切な言動・行動を取れるかというと難しいし、きっと後で後悔しているでしょう。

解決策のとっかかりにも着地していませんが、「これが当たり前」と思っていることも、もとはと言えば大人の都合の集合体なわけで、その辺りを頭に落とし込んで、反射的な感情だけで片付けないようにしたいなと思ったのでした。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?