見出し画像

部分最適か全体最適か

Twitterで山本太郎氏の行動が話題になっている。現地にいち早く乗り込み感謝されている(本人談)という。そして行政への提案も行っている。

氏の言い分としては「やらない善よりやる偽善」なのだろう。

ところが、現地で1月2日3日の大渋滞(100m進むのに20分)を見ている身としては、同じ様な自称災害ボランティアが大挙しておしかけたことが、かえって助かる命も助からなかった可能性は無かったか?と勘ぐってしまう。

もちろん肌で感じたことを発信することも大事かもしれない。

繰り返しになるが、この先走った行動はどうしても「部分最適」では無いのか?と思えてしまう。同様に、迷惑系ユーチューバーの炊き出しも然り。(こういうの絶賛する人が多いのも事実だし、実際に支援を受けた人々はものすごく感謝するだろう)

職場には聞いた覚えのない会社から電話がかかってくる。一通り被災状況をリサーチした挙げ句、「何かお手伝いできることありませんか?」と。いや、この電話災害対策本部にかけてよ。なんで直接かけてきた。

今は支援物資で溢れ、逆にトイレと風呂問題が発生している。ただでさえインフルエンザが流行する時期に衛生面が劣悪。

まあ、バブル期前「朝シャン」という言葉が誕生する前は毎日風呂に入ることなんて無かった。下水道が発達する以前は垂れ流しが当たり前。そんな500年前に戻った思えばなんとか乗り切れる気もするが。。。

昨日午後のNHK総合、意図したのか偶然なのか、黒澤明監督の『生きる』が放送されていた。

指一本で寄付できるサイト↓


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?