生きていることが辛すぎる。そう言うとそれは当たり前だよと返事が返ってくる日本社会


生きていることが辛い

私はよく、そんなことを友達に言う

そうするとそれは当たり前だと返事が返ってくる。

人生は苦しみだ。僕も辛いよ。日本では当たり前だよ。

おかしくないか

ちなみに注釈を入れると僕が生きているのが辛いのは、ニートだからでも、学習障害があると僕が勝手に思っているからでもない。家庭環境でもない。

物心ついた時から何故か?漠然と思っていたことだ

生きづらいのが当たり前の日本が何故生きづらいのか

生きづらいのに慣れて感覚がマヒしてしまった日本人しかいないこの国の生きづらさの根幹を今日は考えて見る。

そして、もうその結論は出ている。

私が思うに理由におおまかに二つある。


まず一つ、ある生物学者が生物学的に観た見解だが、日本人は教育や仕事と、礼儀しつけを混同している面があり、それは動物らしい(本来の動物としての人間らしさとはかけ離れていることだ)

アリと同じように、人間も本来不平等で理不尽な生き物だ。それを型にはまった一流に育てようとする『平等バカ』の教育こそ、日本が生きづらい社会になる原因ではないかと思う。

まず一つ目の問題は悪しき平等教育である。

この問題は、世の中の仕組みの中には、あたかも人がもともと平等であるかのようなフリをして成立しているものが山ほどあり、そのせいでさらなる不平等がもたらされていることだ。

日本の場合、公立の小学校や中学校では、明らかに支援を要すると判断されない限り、同じ学校であれば、基本的には全員が同じ授業を受けている。

しかし、はっきり言って人の頭脳は平等ではない。

また、持って生まれた能力がどう顕現けんげんするかには幼児期における教育環境や経験の違いが大きく関与するので、小学校に上がるころにはその差が歴然となっている可能性もある。

受け手のほうに差があるのに同じものを与えれば、ますます差が大きくなってしまうのは当然である。

教師がどれほど精魂込めて教えたところで、一律の授業で平等の成果はありえないのだ。

そして日本の教育のさらに悪しき部分は

出来ない子が出来るまで教えることが親切だと思っているからだ。

50mをみんなが8秒台で走れるなか、9秒台の子を走らせてみんなと同じ8秒台にしてなんの価値があるのか?

みんなと同じことが出来るようにして、その子にとってなんの特がある?

出来損ないであることをみんなの前で見せつけて居残りで勉強を教えることはその子の自尊心を傷つけるし、出来ても努力の質量が所詮は違う。

その子が死に物狂いでやったことは、周りの子にとって当たり前に出来ること

その子のもつ、ハンディは教えて出来るようになっても一生埋まらない。

あなたにはハンディがあります。

教師が教えてその子の中に生み出したのは、教育の成果はこれだけである。

これが日本の教育である。自己肯定感を育てない。

自己肯定感がなければ何も生まれない

臆病ものは人生を半分しか生きられない

日本以外の国ではメンタルを育ててることが先に来て、教育をメンタルと言う下地の上でしか生きないと考えられている。

その子は勉強をしなくても良い。別の個性や特技を探す教育が日本にはない。

ドイツみたいに小学校ころに進路を聞いて、15歳から靴職人になる社会の方が僕が良いと思う。

慣れなかったら何歳からでも大学に通えるし、何歳からでも別の資格が取れる。ブランクとか空白期間とで判断しない。

個性に合わせて資格のみで判断される社会が望ましい。

結論から言うと個性とそれに合わせた自己肯定感を持たないと結局は労働をしても、何をするにも意味がない。

日本人が好きな責任感
(個人的には連帯責任とか、責任のなすりつけないで責任感が日本人にはないと思う)


だから、仕事に責任感は育たない。

自己責任も綺麗事でしかない

押し付け合いの自己責任でしかない。

ただ無意味に働く

これが日本人の労働の本質になってしまう。

労働の浪費でしかない。

もう一つの日本社会の問題は終わりのない自己責任意識である。

あなたは生まれながらにして誰よりも優れているのよ。

ロンドンに行った際に、お世話になった家族が3歳の子供に口ぐせのように言っていた。

日本人的には傲慢な考えに思えるし、傲慢な母親に見える。

しかし、そうではなくこれはこの家庭に関わらず

日本で言う礼儀正しくしなさい、ルールを守りなさい。

というのと同じで、子育ての時に使われる上等句らしい。

私はここで既に差が出ていると思う

生きていることを肯定し、存在を肯定する。

これがまずは教育の第一歩だと思う。

仕事してないから、借金があるから、犯罪を犯したから

だから、私は死ぬべき

こういう思考にはならない

初等教育の段階から自殺予防になる。

日本人からするとふざけんなと思うが、殺人者ですら

殺人は反省しても、自分の存在を誇りに思っている

自分の価値を肯定していいと言うことである。

日本人はこういった教育をしないから

反省が下手である。

反省=死

と言ったら極端だけどそれくらいの思考の人が世界一と言って良いほど日本には多い気がする。

罪=一生をかけて償う

欧米の犯罪者は刑期を教えて、反省した態度を示して、生きていけば良いと考えているので

刑期をという責任を果たしたら、楽しく生きて

犯罪者であることは忘れるし、人を殺したことももう過去のことをしてある種、無かったことにして生きている。

日本人からするとふざけるなだが

僕は責任を果たしたのだから、良いのでは思う。

日本人の終わりのない思考

終わりのない反省と罪を背負うことが美徳とする社会

現代にも残るハラキリの考え方

平等でない社会なのに平等であると植え付けている悪しき平等と終わりのない自己責任の日本社会

この二つが日本が生きづらい理由である。

この二つのせいでどんな優秀で能力がある人でも

凡人意識と言うべき、平等意識を持っており

自分の才能を信じられない。

自分の能力を活かす自己肯定感もない

チャレンジも出来ない

社会が自己責任ばかり押し付けるから

よって、凡人な個体は凡人のまま

優秀な個体は凡人であるという意識を植え付けられる。

これが大人なってからでは、なかなか気が付かない

そして今の日本は悪しき平等と自己責任の行き着く先である。

新しい産業が生まれない。

その二つの教育は今

日本の失われた30年という名に姿を変えて

私達を苦しめている。

私達自身が私たちが受けた教育で

私達を苦しめている。

生きづらい日本を作っている。

北朝鮮以上の世間体という名の監視社会

生きていることが辛い

みんなそうだよ。当たり前だよ

おかしくないか?そんな社会、そんなルール守る必要ないよ。

みんな生きづらいなら、変えていくべきだよ

民主主義が機能してないな。

みんなが嫌ことは、嫌な風習や慣習はみんなで変えていくべきだ。

法律では変えられない。教育によって出来た

悪しき平等と自己責任からくる慣習や風習で

みんなで傷つけあっている。

日本は本当に生きづらい社会だ。

私の話は以上です。
長文に付き合って下さってありがとうございました。感謝申し上げます🐕









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