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まわりからの目と自己認識は、こんなにもズレている...!

「何かを強く願う」ということは無意識に、願う事に対して自分の中で何かが足りない、大きく欠落している部分があるからこそ、その想いが発動するのかもしれない。

自分のことでいえば、社会に出てからずっと

「客観視がうまくなりたい」

思い続けてきた。

そう思いでこの文を書いたし、自分なりにその答えを探そうと努力している。

けれど、いまだに「できているか・できていないか」の答えは見つからず、
何かを掴んだ感覚もない。

というか、少し前進しているならまだ希望はあるものの、「そんなことしても意味ないよ」と囁く悪魔な自分もいる。

そもそも、なぜ私が客観視できる自分を願っているかというと、どうしようもなく、救いようもなく「できていない」自覚があるからだ。

たとえば、先日こんな出来事があった。

とある現場で、「〇〇さんって、押せ押せな感じですよね」と言われたのだ。

私はそう言われた時、不意打ちを喰らい呆然としてしまった。

なぜか。
私はまわりの目に映っている自分の印象と自己認識が、あまりにも大きくかけ離れている気づいてしまったから…!

これは、客観視ができるどころの話ではない。

むしろ、「押せ押せ」の真逆なイメージで自分自身を見ているからこそ、びっくり仰天したのだ。

一応、断っておくと、この人は良い意味で、私を褒めてくれる意味でかけてくれた言葉なので、その言葉にダメージを受けたとかではない。

そうではなく、ずっと客観視がうまくなりたい!と思い続けてきてそれなりの努力をしているにもかかわらず、全くできていない、一ミリも成長していない、ということにショックを受けたのだ。

では、私は私自身のことがどう見えているか?、セルフイメージはどうかというと

とんでもなきく臆病者で、引っ込み思案。
いつも遠慮がち、恥ずかしがり屋。

何か伝えたいことがあっても、自分の気持ちを優先するより「相手にどう思われるか?」が気になってしまい、喉元まででかかった言葉をつい呑み込んでしまうタイプの人間だ。

だから、自分の言いたいことがうまく言えない→けれども伝わらない、言葉選びにも迷って結局言いたいことが言えなくなる→その結果、静かで何考えているかわからない人

と、見方によってはそう感じる人も多いと思う。

そして、私もこの思考のぐるぐる沼にハマると抜けられなくなって、すごく苦しんでしまうことがある。

ただ、冷静に考えてみれば、私は過去にも「押しが強い」とか、「びっくりするくらいグイグイ行くよね」とか、「とにかく勢いだけで生きてる感じ」と言われてきたことがある。

そう考えると、自覚がないだけで、私って本当はどうしようもなく引っ込み思案で内気なところもある反面、押せ押せ(まさかのオラオラ系?笑)なところもあるのかもしれないと思った。

もしくは・・・これは仮説だけれど、本当の本当はオセオセが本質というか魂のありのままの姿で、それが過ぎると社会に適応できないと社会に出てからあるタイミングで察知して、無意識に押し出すことをひた隠してきたのかも!?って思った。

えええーーー!!!
まさかーーーーーーーー!!!

今書いていて気づいたけれど、直前の「もしくは・・・」の解釈が、個人的には一番しっくりくる・・・!

そう考えると、「客観視ができるようになりたい」と願っていた自分ともつながる。

客観視にはいろいろな捉え方があると思うけれど、
要は「まわりから見えている自分の姿を、なるべく正確に掴みたい」と言うのが、私の根源的な欲求にあったことがわかる。

おそらく、自分の無意識はとうにわかっていたのだと思う。

私は放っておくと、押せ押せが暴走するタイプだから、そうならないようにまわりから見えている自分をなるべく正確に知っておきたい。

それが、客観視がうまくなりたいという欲求に繋がっていたのだ。

ちなみに、私はこれまでまわりが自分を映し出す姿にできる限り沿うように生きてきたつもりだった。

でも、実際はそうではなかった。

押せ押せの荒ぶる魂をなんとか鎮め、飼い慣らしていこうと、「遠慮がち」「控えめ」という仮面をかぶって周りが世の中に調和してきたつもりだったし、それで安全安心に暮らしていけると思っていたけれど、

本当はまわりの方がずっと自分のことを正確に見ているのかもしれない、と思った。(もちろん周りには見えない部分はあると思うけれど)

というより、自分の本当の本当の本質は、隠そうとしてもそのエネルギーの強さでどうしても隠しきれずに、溢れ出てしまうしまうものかもしれないと思った。

私はこれまで、冷静に、冷静に、って自分に言い聞かせてきたけれども、
それも内にはマグマみたいな押せ押せが沸々湧き上がってくるが故の、反作用なのかもしれないと思った。

いよいよ、自分の本質を隠さずに堂々と出していく時期に差し掛かっているのかもしれない。







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