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なぜ”聖なる河”と人は呼ぶのだろう

「人生に迷ったらインドに行け」

多感な高校生にそんな言葉を送ったのは現代文の大城先生だった。
オジサンながら少年のように何にでもキラキラ語る先生だった。

「おい、なおき知っているか?ギターって本当に泣くんだぜ!」
中二病な高校の先生がいても良いではないか。
僕は大城先生が好きだった。

やはり授業とは、脱線した時の話しに先生の人間性が色濃く出るもので、受験でぴりついている教室の空気を察してか、大城先生は冒頭の言葉を言い放った。

「インドにはガンジス河といって、聖なる川が流れているんだ。そこではな、産湯として赤ん坊を洗っている人もいれば、死体を流している人もいる。人の生から死が一つの視野の中で一度に見ることができるんだよ」

熱いじゃないですか、先生。
くすぶっていた旅心が勢いよく燃えだした。

「インドかぁ、いつか僕も行ってみたい」
僕の高校は住宅に囲まれていて、ぼんやり眺めた校舎の窓から遠くは見えない。
ひたすら空を見上げ、意識だけ遠い外国の地に飛ばしていたのを覚えている。

それから一時期ガンジス河に焦がれまくった時期があった。
あの頃から藤原新也さんの「メメント・モリ」は僕のバイブルでした。
長渕剛さんの「ガンジス」はもう何年も聴いている(ちなみにこの記事のタイトルはこの曲の歌詞の一節)。
大学の図書館でたまたま見つけた、たかのてるこさんの「ガンジス河でバタフライ」は勇気をもらえる愛読書の一つだ。
遠藤周作さんの「深い河」は僕はまだ消化しきれていない一作で、また読みたいと思っている。

そんな僕は…なんと…
未だガンジス河はおろかインドにすら行っていない。
台湾から西に進み、アジアを旅した時も時間切れとなりインドにはたどり着けず、タイが終着点。
僕の人生の大きなやり残しです。
とはいえ叶えていない夢があることは良いことだとポジティブに捉え、焦らず次の旅を楽しみにしているところです。

時代はとっくの昔に21世紀、テクノロジーが発達した社会、宗教観や精神性なるモノはどうのように残っていくのだろうか。
聖なるモノと対峙したとき、僕は何を想うのだろうか。
その時は先入観は捨て去り、素直に真っすぐ向き合いたいと思っている。

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