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東京散歩 ~歩キノススメ~

移動を制限された旅好きは、道祖神の招きをどのようにあしらおうか、日々策を講じています。

こんな時”これまでの旅”をいくつも持っていることは幸せだとつくづく思いました。

”これからの旅”を妄想するのも良いですが、頭の中はVRのようにはいかず、絵はぼんやりしています。
動画やネット、雑誌なんかを見ても、2次元の世界では、感情を動かされるのには限界があります。

”これまでの旅”は、その景色に自分がかつて実際に身を投じた経験があるため、限りなく3次元に近くイメージをすることができます。
さらに、その時の状況や自分が何を感じたかを文章に記録していると、かつての感情までも再現できたりするのです。


今日僕が思い返したのは、”THE 旅”ではないですが、上京して1週間ほどたった時に、2時間越えの散歩をした時の思い出です。
僕は散歩とは旅の最小単位だと思っています。
当時残していた文章を読むと、匂いや温度までも甦ってくるから楽しい。
”匂いや温度まで”ってこれ比喩じゃなくてですね。
9月だったのですが、これまで暮らしていた沖縄と比べて大分涼しくて、その日はむしろ少し肌寒かったことまで思い出したのですから。


かつての僕は下北沢に住んでいて、バイトが休みの日に、もう一つかけもちのバイトとしてねらっているお店にランチを食べに行きました。
まだ慣れない電車を乗り継いで中目黒へと。
そして西麻布へ、かつて憧れていた人に会いにと移動したのです。

その後、なんと西麻布から下北沢まで歩いて帰ることになったのです。

表参道で電車に乗ろうと思ったのですが、「ここまで来たら渋谷まで歩こう」となり、渋谷に着いたら標識に三軒茶屋の文字が見えて「三軒茶屋まで行けるなら下北沢まで行けるかも」という具合で結果的に踏破。

散歩で”運動不足解消”だったり、”リフレッシュ”なんかの効果もあったかもしれないですが、”東京がもっと身近になった”という感覚を持てたことが嬉しかったです。

当時の文章をそのまま記載します。

電車に乗り、降りてゲートが開くと、次の町が現れる。
そんな移動をしていると、町と町が切り離されて存在している感覚になる。

僕にとって東京の街・渋谷も新宿も池袋も、点つなぎでしか存在しなかったの。
それを自分の足で道を歩いて、自分で町と町を繋ぐことで初めてその土地を理解するの。

んで、歩くことは規模感を体感するっていう大事な体験ができるんだよ。

基本、僕が旅をする人には陸路を勧めるのはそのため。
アメリカ横断中は、ほとんどバスで移動していました。
だから、アメリカの端から端までの大きさってのはこのくらいって、俺の体が知ってるの。
その尺度を持っているから、
「アメリカがあれくらいの大きさだから、地球ってだいたいあれくらいの大きさだなぁ。」ってイメージできる。

その感覚を持っているってけっこう素晴らしいことだと、僕は思っているんだ。


かつて”遊びに行く場所”だった東京は、散歩したことで身近になり、それを境に”これから暮らしていく場所”として認識し始めるようになるのです。


心地よい気分を味わった散歩でしたが、疲れきった僕は元も子もない言葉で締めくくっていました。

電車ばんざい…

文明の利器はそれとして、享受していこうと思ったとさ。


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