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冬来たる【ただの日記】

 #2000字のドラマで賞を頂いて、地元の新聞社の短編小説賞に送る小説を書き上げたら、なんだか文章を書くことから遠ざかってしまった。気づけばもう12月である。
 私は普段、会社で下働きパートタイマーとして雑務をしている。月の変わり目にカレンダーをビリビリと破いて、日程表のホワイトボードを一新するのも私の仕事のうちだった。いそいそとその業務をこなす私を見て、上司が「もう年末だねえ」とため息をついていた。

冬。冬が来る。あっという間に冬が来る。
北国の冬は憂鬱だ。寒いのも嫌だが、何より嫌なのが冬道の運転。若い頃に2度もスリップして車をぶつけているのもあって、本当に嫌で嫌でしょうがない。
あとは雪かき。早起きして雪に埋まった車を掘り返す作業ほど、面倒くさいものはない。
灯油代も嵩むし、 乾燥して肌はガビガビになるし、本当にいい事がなさすぎる。

 最近、前から見たかった、NHKのドキュメンタリー「チベット死者の書」を見た。子どもが寝たあと、新しく買ったジェルで爪を彩りながら。
 死んだらどうなるのか、その内容が詳細に書かれた経典を枕教として四十六日の間、毎日少しずつ遺体に向けて語って聞かせる。チベットの人たちは言う。
「死ぬのは通過点だから、何にも怖くはない」

 祖母が死ぬ時、その命の灯火が消える瞬間を目の当たりにした。規則正しく動いていた心臓が止まるその時、祖母は目を開け、ベッドの周りに集まっていた子どもや孫をぐるりと見渡した。ピーーーーと機械がけたたましく鳴った。みんなの喉から声にならない声が漏れる。医者が瞳孔を確認して、「ご臨終です」と告げる。
祖母は、死者の書の通りにどこかに転生して生きているのだろうか。

 冬が来ると、幼稚園のときのある日の記憶が蘇る。
その日は寒くて、雪がたくさん降っていて、同居していた祖母はわたしに「ズボン下とズボンを着て幼稚園に行け」と怒った。祖母の、孫に風邪をひかせてはならぬという優しい気持ちからではあるが、当人のわたしは嫌だった。
 みんな制服のスカートやかわいいタイツなんかを着ているのに、モモヒキを履いてズボンを履いていくなんて嫌だった。嫌だ嫌だと駄々をこねても、最終的に祖母の圧に負けてズボン下とズボンをはいていった。恥ずかしいという幼心で、その日は楽しく遊べなかったように思う。


 冬は嫌いだ。余計なことを思い出してしまう。そして自責の念に駆られたり、鬱々とした気持ちになってしまうのだ。春が来て、そんな気持ちも溶けてしまえばいいのに、なかなかそううまくはいかない。

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