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その世界で私はウマを食べるのか【たべものエッセイ】

 夫は最近ウマ娘にハマっている。
「ウマ娘の世界って、馬の代わりにウマ娘が存在してるの?」
 私の問いに、夫は画面から目を離さず「そうじゃない?」と適当な相槌を打ったが、「残念、じゃあその世界には馬肉が無いんだね」という不穏な付け加えには、「当たり前でしょう」と顔を上げて答えた。
 私は絶対そんな世界には生きられない。

 馬肉と言えば熊本や長野が全国的には有名だろう。
ただ、私が生まれ育った町も、その地方では有名な馬肉どころだった。
 とにかく馬肉を食べるのだ。
 法事、お誕生日、その他慶弔行事、都会から子どもが帰省してきた、親戚が集まる、それ以外に何でもない日でも。何かのきっかけで、町民は馬肉屋に走り、馬肉を買い求める。(馬肉専門店が町内に3店舗もある) ちなみに給食にも出る。
 たいていは馬肉汁にする。他の地域の桜鍋とは似て非なるものだ。にんにくが効いた味噌ベースの汁に、馬肉、キャベツ、豆腐、しらたき、ごぼう、キノコ類、ネギを入れて煮込む。馬肉専門店で馬肉汁用のお肉を買うと、たいてい牛脂ならぬ馬脂をたっぷりとくれるので、まずはその馬脂で馬肉を炒める。すると馬の甘くてヘルシーなアブラが汁に溶け込み、味噌味も相まってビールもご飯も進みすぎて困ってしまう。今は地元を離れているのだが、これを書いているだけで馬肉汁が恋しすぎて泣けてくる。馬肉食べたい。

死んだ祖父がよく言ったジョークというかシャレに「博労様だった」という物がある。博労とは、馬や牛の仲買人のことである。つまり、「博労様だった」→「馬買った」→「美味かった」という、美味しい時に言うシャレなのだ。馬の地域ならではのシャレだ。
なぜこの町で馬を食べる文化が盛んになったのか。それはまさしく馬の名産地だからだ。なんでもない町内の道を歩いていると、急に馬の牧場が現れたり、別の牧場へ移すため馬に乗った人がとことこ歩いていたりする。競走馬を育てる牧場を経営している同級生の家もあった。
どうやら大昔から、この辺り一体は良い馬の産地であるらしく、よその殿様がこの辺りの馬を欲していたという話もある。
 しかし馬肉を積極的に、そして日常的に食べるのは、局地的にこの町だけである。たぶん、海から離れているのもあって、栄養補給には持ってこいだったのだろう。農耕馬にしろ、騎乗用の馬にしろ、働けなくなったら潰すしかなく、それなら食べてしまえという境地ではないのだろうか。実は真相は分からない。調べてもピンとくる答えが無かった。あまりに馬肉がそばにあったので、今更追求しようとも町民は特段思わないのだ。

 ウマ娘は可愛らしいが、その世界で私の地元はどうなっているのだろう、と想像すると恐ろしい。親戚が集まったとき、何を食べたらいいのだろう。現実よりももっと過疎化が進んだ寂れた町になっているかもしれない。
もしかしたら……。一瞬、我が子を喰らうサトゥルヌス的イメージが頭を過ぎる。さすがにそれは無いか。
 うまぴょいうまぴょいと歌いながら、母親から届いた馬肉で馬肉汁を作っていると、いよいよ夫は嫌そうな顔をしている。

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