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Levitating【短編小説】

「それ、返してよ」
 ギャルのお姉さんは、少し睨むようにして僕に言った。紛うことなきギャル。すごい爪の、すごいお化粧の、すのい髪色の、肌がこんがり灼けたギャル。僕のお母さんが見たら、泡を吹いて倒れそうなギャルだ。
僕が持っていたのは、綺麗な濃い青色のハンカチ。夜空をイメージしたのか、星の刺繍がところどころに入っている。
 昨日、僕はこれを公園で拾った。
小学校から家までの帰り道にある、滑り台と鉄棒しかない小さなつまらない公園で。つまらないから、ここに遊びに来る同級生はいない。だからこそ、僕の秘密の遊び場だった。
 公園の隅にある、壊れかけのベンチにそれは落ちていた。子どもながらになんて綺麗なんだろう!と感激して、こっそりランドセルに失敬していたのだ。
 今日も僕は一人でこの公園に来て、ベンチで図書館で借りた本を読んでいた。今日は『銀河鉄道の夜』だ。五年生の僕にはちょっと難しいところもある。でも、ワクワクするような悲しくなるような不思議なお話だ。
 そういえば、昨日拾ったハンカチも、夜空の柄だった。ランドセルからごそごそと取り出したとき、そのお姉さんに声をかけられたのだった。

「これ、お姉さんのなの?」
「そうだよ。それがないと帰れなくてヤバいの」
「何それ。鍵じゃあるまいし」
「まあ、そーいうかんじ」
 お姉さんは困ったようにため息をつく。「隣に座ってもいい?」と聞かれたので頷いた。お姉さんから、少し焦げ臭いにおいがする。
「何読んでんの?」
「銀河鉄道の夜」
「ふうん。ウチはブルカニロ博士が好き」
「そんな人出てこないよ」
 これは良くない偏見だけど、ギャルが本を読んでいるイメージが湧かない。きっと適当な事を言っているに違いない。だって、そんなキャラクター出てこない。
「いっぱいバージョンがあんのよ。どうでもいいから、ハンカチ、返して」
「……はい」
 ここで渋る理由もないので素直に渡すと、お姉さんはほっとしたような顔をしていた。
「無くしちゃったかと思って、焦ってたの」
「大事なハンカチなんだね」
「めちゃめちゃ大事。……つーか、本読むなら家で読んだほう良くない?」
 ごもっともな指摘だった。でも家には帰りたくない。答えに困って黙って俯くと、ギャルは少し驚いた顔をした。
「え、ごめん、地雷踏んだ? マジでごめんね」
「いや、ただ僕、家に帰りたくなくて」
何故かは分からないが、今出会ったばかりのギャルに、ぽつぽつと身の上話を始めてしまった。

僕のお母さんは、一年ぐらい前、よく分からない芸術家のオンラインサロンに入会した。昔の知り合いのフェイスブックに出てきて、すごく感銘を受けたようだ。日中はその仲間たちとずっとビデオ通話している。なんでも世界の真実をその仲間たちは知っているらしい。それについていつも話し合っている。
僕がいちばん嫌だったのは、おじいちゃんが小学校の入学祝いにくれた地球儀を勝手に捨てられたことだった。
『地球は球体なんかじゃないのよ。お盆みたいに平らで、それを亀さんが支えているの。だから、この地球儀はウソなの。でもお母さんは本当のことを知ったから、あなたにもそれを知ってほしくて、ウソの地球儀を捨てたの。分かってくれる?』
ひとつも分からないし、目の前の女の人が、どうしても今までのお母さんに見えなくて最近怖くて怖くてしょうがないんだ――

 僕の拙い話に、ギャルは「えぇっ?」「ヤバすぎ」「マジで意味わからん」と多彩な表情で相槌を打った。
「それは帰りたくないよねぇ。地球ふつーに丸いし」
「お父さんが帰ってくると、そういう話をぜんぜんしないんだよ。お父さんは7時ぐらいに帰ってくるから、できるだけ外にいたくて」
 夕焼けの柔らかい光が、腕を組んで考え事をしているギャルや僕に満遍なく降り注ぐ。ギャルの爪のキラキラが、夕陽に晒されてもっとキラキラしている。
「うーん…。じゃ、ちょっと出かけてみよ」
「出かけるってどこに?」
 ギャルは、さっきのハンカチを四つ折りにして、自分の手のひらの上に載せた。「手ぇ出して」と言われたので、おっかなびっくり出すと、ハンカチごと僕の手を握った。

 その瞬間、まるで身体ごと誰かに引っ張られるような感覚が空から襲ってくる。
「わ、わ、わああああああああ!!!」
 足が地面から離れて、僕たちの身体がぐんぐん上昇する。地面からの空気が、僕たちを押し上げている。
「ねぇ!浮いてるよ!どうなってんの!?」
「目ぇつぶってて!そんで絶対、絶対ウチの手離さないでね〜!!」
 言われなくても、恐怖が勝ってしまって勝手に目を閉じてしまう。息もできないぐらいの強い力が僕を引っ張っているようだった。手足の自由が全く聞かない。ギャルの手をぎゅうっと握るしかできない。
  いつになったら終わるんだろう。怖くてからだの芯がぶるぶる震え始めたとき、ぽーんっと僕にかかっていた全ての力が無くなった。急に自由になるとどうしていいか分からなくて、それはそれで怖くなる。
「目ぇ開けて」
 ギャルの声がする。言われたまま、恐る恐る目を開ける。
「う、うわぁ……」
 地球だ。
  丸くて、青くて、ほんのり光っている。僕の目の前に、暗闇に浮かぶそれがある。きれいだ。僕の心臓は、激しいくらいどきどきしている。ギャルはにっこり笑って「やっぱ丸いっしょ?」と親指を立てた。
「ほんとにここ、宇宙なの?」
「そうだよ〜」
「なんで息できて、お話できるの?」
「多分このハンカチのおかげかな」
「このハンカチは何なの?」
「う〜んと……なんていったっけ、天の羽衣みたいな」
 あまのはごろも……。どこかで聞いたことがある気がする。
「お姉さんは何者なの?」
「あ〜もう質問はいいから!」
  たくさん質問して面倒臭くなったのか、ギャルは僕の手を引いて宇宙空間を進んでいく。すごいスピードだ。時々、石の欠片やゴミのようなものも浮いていて、ギャルはそれを器用に避ける。
「もしかしてあれって……!」
 ギャルが目指していたのは、白くてごつごつした星――月だった。ゆっくりとその表面に着地する。すごい!僕は今、月に立っている!
「やっぱここが特等席っしょ。あー、無事に帰ってこられてよかった」
「お姉さんかぐや姫なの?」
「う〜ん、ど〜だろ〜」
 『帰ってこられた』に反応して、聞いてみるがギャルにうまくはぐらかされる。

 月からは、地球がとてもよく見えた。あそこに僕らが住んでいるのかと思うと感動した。ギャルを握る手がまたいっそう強くなる。これがもし夢でも良い。そう思うくらい、この景色はとても素晴らしかった。
「地球から僕らのこと見えるのかな」
「めちゃめちゃ良い天体望遠鏡なら見えるかもね」
「すごいなあ、きれいだなあ」
「キミ、いいリアクションするねぇ。今までで一番いいリアクションかも」
「……前にも誰かを連れてきたことあるの?」
「ちょっと前にね〜。なんか若い男のひとがさ、妹が死んじゃって落ち込んでて、ずっと空ばっかり見てたからかわいそーで連れてきたの」
 遠くの暗闇に、数えきれない星々がひしめいている。ギャルはそれを眺めながら、懐かしそうに言った。
「興奮もしないし、ただずっと観察してるみたいだった」
「へぇ〜。大興奮しない人なんているんだねぇ」
 僕は改めて地球を見た。ぽっかり浮かぶ青い丸。ところどころ白くたなびく雲が、青さを強調させている。
「お母さんに言っても信じないだろうなぁ」
「いんじゃない?でもこれからは、お母さんに何言われても『いやでも自分地球丸いの見てきたし』って思えるから」
「確かに」
 それから僕はギャルと手を繋いで、月面に腰掛けながら宇宙をずっと眺めてていた。太陽がすごく眩しい。火星が思ったよりも近い。図鑑や本では知りえない本物の宇宙がずっと広がっていたから。
「あ、見て!あれ、アメリカの国旗だ!」
 何かの映像で見たことがある。昔、アメリカのロケットが月にやってきて国旗を刺したシーン。その国旗が少し遠くに見えて、走り出そうとしたときだった。
「あ、ちょ、急に走んないで!」
 するっと、ギャルの手が僕の手からすべって、ハンカチがその場に漂う。しまった、と思ったとき、目の前が急に暗くなった。最後に見たギャルは、目も口も大きく開いて驚いた顔をしていた。

☆☆☆

 不思議な夢を見て、僕は飛び起きた。
目覚まし時計を見ると、夜の八時をさしている。慌ててリビングに行くと、お父さんとお母さんがご飯を食べていた。
「あら、起きたの?」
「僕、……寝てたの?」
「そうだよ。学校から帰って部屋に籠って寝ちゃったじゃない」
「疲れてたのか? 今日はお母さんのコロッケだぞ」
 揚げたてのコロッケのいい匂いが漂っている。
 僕、なんかすごく変な夢を見ていた気がする。心臓がまだ妙にドキドキする。しかも、いつもよりも何故か疲れている。
 食卓についてコロッケを食べる。お母さんもお父さんも、普段と変わらず夕ご飯のひとときを過ごしている。
 どんな夢を見ていたんだっけ。
ふと、ポケットになにか入っているのに気づいた。
 取り出すと、きれいな青色の、星の刺繍が入ったハンカチだった。
 それを見て、僕はすべて思い出した。ギャルのことも、青くて丸い地球のことも。
「なあに、そのハンカチ。友達の間違えて持ってきたの?」
「……そうかもしれない」
 僕はハンカチをまたポケットに押し込んで、小走りで窓に駆け寄る。空を探すと、低い位置に満月が出ているのが見えた。玄関を飛び出して外に出る。
 僕は月に向かって、思いっきり手を降った。
お母さんが慌てて出てきて「何してるの!?」と驚いている。
かまわず、僕は思いっきり手を降った。
月にいるギャルに見えるように、思いっきり、大きく手を降った。すると月がきらりと光ったように見えた。
きっとあれは、ギャルの爪のキラキラだろう。

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