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03まるで私に非があるかのような【公開】

16(X1年12月)

 年末年始は暇だった。リラクゼージョン事業部が運営する店舗は、場所にもよるのだが、基本31日の大晦日と1日の元日以外は店を開ける。2日はそれほど混まないのだが、3日から家族の買物中のお父さんの待機場所として、または居場所に困った人達や、年末年始に仕事に駆り出された人達がどっと押し寄せてくる。

 一方、人員(シフト)は常に手薄になると共に、加えて年末になると派遣やバイトスタッフが突然止めてしまったり、無断欠勤からそのままドロンしたり、インフルエンザ(仮病も含む)で欠勤するスタッフが増えるため、常に人手不足状態が続く。

 特にアホ専務が事業部を仕切るようになってから、状況はより一層酷くなり、酷い時など昼休憩どころかトイレ休憩すら取れないくらい混雑対応に追われ、待たされてイライラする客の対応にも追われる為、スタッフが最も疲弊する時期でもある。

 私も片岡メディカルの社員になって以後、その混乱に巻き込まれてきたのだが、今年は本部からの「ヘルプ要請」も全て断り、12月下旬からずっと休んでいたので、何とも無風な年末を過ごしていた。

 年末、結婚して始めて3泊4日もの日程を組み家族旅行に出掛けた。

 特に息子雄大が生まれて以後、1泊2日以上の旅行は初めてだった。行く前は楽しみにしていたのだが、いざ旅行に出掛けると2日目にして楽しみよりも退屈さが勝ってしまった。例年に比べ刺激が少ないせいだとは思うが、何を食べても、何を見ても、どこに行っても楽しくない。

 正直2日目以降は楽しんでいる風の演技に終始していた。お陰で、家族旅行を終えた日の夜は、興奮して中々眠れない雄大よりも早い、午後9時過ぎには寝落ちし、11時頃に麻子に起こされ自分の部屋に移動してから、何と翌日の11時迄布団に入っていたのだから、仕事よりも疲れたのかもしれない。

 それも仕事の疲れと違い、眠りの質が悪い。仕事であれば、疲れ切った翌日の朝は大抵爽快感と共に目覚める。肉体の疲れは残っていたとしても、精神的にはスッキリしている。

 しかし、旅行から帰ってきた次の日の目覚めは、怠くて不快な感じだった。肉体だけでなく精神的にも疲れている。そんな不快感が寝起き直後だけでなく1日中続く。変な溜息が止まらない。

 正直、「俺は夫として親として大丈夫か?」と自ら疑ってしまうくらいだった。

 そんな私に気遣ったのかどうかは分からないが、1月2日から麻子が雄大を連れて実家へ帰省した。(帰省と言っても同じ横浜市内で30分程度の場所なのだが)「雄輔は自宅でゆっくり休んでたら」という、気遣いなのか別の理由なのかは問わない事にして、麻子の言葉に甘える事にした。

 一応、お義父さんお義母さんにお義兄さんと甥っ子と一緒に、どこかへ出掛けると話しており、お義兄さんのお嫁さんも不参加なので、どういう理由かは知らないが血縁の家族だけで集まりたいのだろう。

 1人きりでの気楽な休日。ダイニングテーブルで昼間からビールを飲んでいると、電話がブルブルと音を立てながら机の上を移動し始めた。携帯電話を取ると、「医療専門学校・戸田」と表示されている。スグに通話ボタンを押す。

「もしもし」
「もしもし。川尻か」
「おう、何だよ戸田」

 戸田は医療専門学校時代の同級生で、もう10年以上の付き合いになる。卒業後もほぼ毎月飲みに行くくらいに仲が良かったのだが、約2年前に戸田が結婚・独立して以後は、飲みに行く頻度も少なくなり、最近は1年以上も会ってなかった。

「川尻、元気か~?」 妙に戸田のテンションが高い。「おお。戸田はどうなんだよ。仕事は上手くいってるんの?」

 戸田が近況に触れる。どうやらの仕事の方(院の経営)は上手くいってるようだ。続けて専門学校時代の同期達の話題になり、同期話も一段落すると戸田が電話の理由を明かした。

「でさ、今日実はさ、お願い事があって連絡したんだよ」
「お~、なんだよ」
「まあ、詳細は会ってから説明するよ。結構スゲー話しだからサプライズ発表させてよ」
「何だよ。離婚でもしたか?」
「してねーよ。今もラブラブだよ」
 と戸田の返しに私も笑う。長い付き合いという事もあり、私と戸田との会話はいつもこんな感じだ。

 その後も下世話な話で盛り上がると、4日後に会う約束をし電話を切った。


17(X2年1月)

 1月6日の午後、中目黒駅で戸田と会うことになった。

 戸田は井の頭線の三鷹台、私がTK線の梅ヶ丘駅なので、双方の電車の乗り換え駅でもある渋谷駅で待ち合わせれば良い気もするのだが、「渋谷は混むから嫌なんだよ」という戸田の要望もあり、中目黒で待ち合わせる事になった。

 雲のない好天で、1月にしては日差しの強い温かい日だった。街行く人を見てもコートを手に持ちながら歩いている人が目立つ。少し早めに到着したので、改札を出て右前方に見える駅構内の案内図がある柱の前で待っていた。

 頭上で3回目の電車のガタゴト音がして少し経つと、改札口の方にピンクのシャツにチェック柄の青のジャケット、パンツ、足元は白のスニーカーという、メンズファッション誌に登場するような格好をした男性が手を振ってきた。

 よく見ると戸田だった。

「お~川尻。待たせたな」といって上げた右手には高級腕時計。
「お~戸田。何そのファッション」
「ハハハ。いや実はさ、午前中にさ起業家さんが集まる勉強会に参加してたんだよ」
「勉強会?」
「そうそう。朝ミーティングって言ってさ、7時から10時まで恵比寿のホテルでやってたんだよ」
「へ~。そうなんだ」
 右手の時計の風防がキラっと光った。
「あれ戸田って時計右手にすんの?」
「いや、これはね、説明とかする時に目立つように右手にしてるんだよ」
「どういう事?」
「俺さ、ボディランゲージの時に右手をよく動かすんだよ――」
 つまり、身振り手振りの際に目立つ右手側に時計を付けた方が、時計と共に自分のクラスをアピールできセルフブランディングに活かせる。知り合いの社長に「そうした方がいいよ」とアドバイスをされ、右手に時計をつける事にしたそうだ。

 昔は変な色合いのジーンズにパーカーのダサい奴だった戸田が、ファッション誌に登場してもおかしくないような格好をしているものだから、私にとっては違和感しか無い。それも、1年ちょっと前に飲んだ時は、髪型も服装も昔の戸田のイメージのままだったので、私からすると激変というワードがふさわしい。

 戸田が右手の時計の風防をキラキラさせながら続ける。
「まじさ、社長同士の集まりだと見た目って大事なのよ。最初は全然相手にされなかったんだけど、スーツを替えただけで相手にされるようになったんだよね」
「へ~。そういうもんなんだ」
「そう。そういうもの。だって殆ど初対面だからね。見た目って大事なんだよね」

 戸田の誘導で駅から10分弱の場所にあるレストランへと移動する事になった。何でも戸田の知り合いの社長がオーナーを務めているレストランだそうだ。

 しかし、こうして2人並んで歩いてみると、まるでビフォーとアフター。

「お宅のダサい旦那さんも、プロのスタイリストと美容師の手に掛かれば、こんなに格好良くなります」というテレビで良くあるコーナーの改造前と改造後みたいだ。

 もちろん、私がビフォーで戸田がアフター。口調も以前に比べて自信に満ちているように感じた。というのも、専門学校以来の付き合いがあるから分かるのだが戸田は良い奴だし、職人としての腕は悪くないのだが、正直ビジネスが得意というタイプでは無かった。

 そのアフター……、じゃなくて戸田が「バックエンド」がどうの、「ローンチのタイミング」がどうのとマーケティング用語を連発しながら、「今思案中」というビジネスモデルの話をしている。

 大通りの喧騒から逸れ川沿いを行くと目的地のレストランに到着した。

 戸田がその知り合いのレストランについて得意気に説明し始めた。が、説明する顔をよく見ると目の周りが落ち窪んでいる。一見健康そうに見えた色黒の肌もよく見るとカサカサで弾力性に欠けているし、何より頬から首筋辺りが以前に比べてやつれた感じがする。

 戸田はレストランのオーナーが凄い人という話を身振り手振りを交えてしている。手振りの度に文字盤を覆う風防が白く輝く。一通り話しを終えると、瞼を数秒ギューッと閉じてから目をパチパチさせた。ギューッと目を閉じた際のしわの具合で分かったのだが、やっぱり以前に比べてやつれてる。以前は、もう少しふっくらしていたのだが仕事で忙しいのかもしれない。

18

 ヴィンテージ加工が施されたダークブラウンの木製扉を開き店内に入ると、髪を後ろでキュッとまとめた女性の店員さんがやってきて頭を下げた。

「何名様で」

 戸田がオーナーらしき名前を挙げ、知り合いである事を伝えると、「あ~戸田様ですか」と声がワントーン上がり、先ほどよりも深く頭を下げた。観葉植物と、オブジェのような物を飾る棚で区切られた一番奥の窓際席に通され、間もなくウェルカムドリンクと称するジンジャーエールが運ばれてきた。

 お互い近況を報告をしながら運ばれてくる料理を食するのだが、味については何とも微妙としか言いようがない。私の舌に合わないだけなのかもしれないが、お世辞にも「おいしい」と言えるだけの要素を見つける事が出来なかった。

 戸田によるとオーナーはコンサル業をやってるそうなので、料理に関しては素人なのかもしれない。ただ、机、椅子、棚、壁、観葉植物、店内装飾に関しては、細部に至るまでオーナーのこだわりが貫かれており、流石(面目躍如)の空間演出と言った所だ。

 デザートのティラミスを食べ終え、食後のティーが運ばれてくると、話は本題に。

「そうだ川尻、サプライズ発表があるんだった」
 戸田が鞄から何やら資料を取り出し、テーブルの上に広げた。資料を広げ終えると、少しもったいぶったような態度を取った後でサプライズとやらの発表を始めた。

「川尻、発表するぞ」
「おお、早く教えろよ」
 資料を、クイズ番組のフリップみたいに持ち、私の方に向けた。
「俺な、今度本を出すんだよ」
「えっ!」
 本当にサプライズだった。

 知らない間に、戸田は本を出せるくらいの成功者になっていたのだ。サプライズに続き、戸田から本のプロモーションへの協力をお願いされる。
 どういう事かというと、戸田の著書をベストセラーにする為にプロモーションサイトを作るので、そのプロモーションサイトに推薦者としての言葉が欲しいとの事。本のプロモーションを、サイトを通じて発売日直前から直後に渡って行い、一気に販売部数を伸ばし売り上げランキングを上げる事で、さらに部数を伸ばすという戦略らしい。

「OK。協力するよ」
「マジ、サンキュー。顔出しは必要ないけど、苗字と社名は欲しいんだよね。片岡メディカルみたいな大手の同業から推薦されるのは大きいんだよね」
「いいよ。いいよ。顔も出すよ」
「ホント、許可取らなくて大丈夫?」
「平気平気、あんなクソ会社いつ首になっても構わないからね」
「あっそうなの。だったらお願いするよ」

 私は、「何があったの?」という返しを期待していたのだが、戸田は自著のアピールに夢中で私の誘い文句に気付かない。その後も、何度か誘い文句を会話の中に撒くのだが、戸田は気付かない。

 仕方なく、自分から話す事にした。「俺も起業しようかな~」という切り出しから会社での「理不尽」について愚痴りに愚痴った。戸田は全面的に私の愚痴(会社批判)に同意してくれた。同意だけでない、「それだったら」と起業を薦めてきた。

「川尻、まじでそんなんだったら辞めちゃえよ。大して給料も良くないんだろ。俺でも2~3年でここまで来たんだからさ、川尻だったらもっと行けるだろ」

 というと戸田が鞄から冊子を取り出し、私の前に置いた。毛筆体で{板東塾}と打たれた冊子の天から、黄色い細めのポストイットがにょきにょきと飛び出している。戸田がそのにょきにょきの1つの頁に指を入れ、開いた頁を私に見せてきた。そのページに視線を移すと、腕組みをする戸田に、{開業2ヶ月目にして月収100万円を突破!}という赤のゴシック体の文字が飛び込んできた。

「えっ、戸田じゃん」
「そうだよ」
「えっ、まじで2ヶ月目で100万行ったの?」
「驚くだろ」

 確か戸田は接骨院で開業したはず。正直、あり得ない数字だ。 
 なぜあり得ないかと言うと、通常の接骨院の場合、売り上げの殆どは保険診療になる。保険診療の場合、応急手当の内容ごとに、報酬となる額が決められており、安いものだと数百円にしかならない。だから、どれだけお客さんが来て繁盛しているように見えても、1つの院で稼げる額はたかが知れているのだ。

「え、接骨院でどうやって?」 
 戸田が笑いながら答える。
「ハハハ。他の仕事で稼いでいるんだよ」
 戸田が稼ぎの理由を説明する。
「仕事は経営だからね。何も接骨院だけで稼ぐ必要は無いし、接骨院で稼ごうと思うと無理があるだろ」
「なるほど」
「それに接骨院じゃなくて、俺の場合はハイクラス向けの整体とかリラクゼーションでやってる。接骨院の保険診療じゃそんな稼げないからね」
「そっか、そっか、そうだよな、そうだよな」
「凄いだろ。俺でこれだぜ。川尻だったら。絶対もっと行けるだろ」

 確かにそうだ。戸田でも、ここまで行けるのならば、私だったらもっと行ける気がする。
 戸田がパンフレットを読むよう薦めてきた。戸田に勧められるままに板東塾のパンフレットを読んでみた。

 最初のページに身なりの良い白髪の男性が写っている。ビジネス誌で見掛けた事がある人物だった。

「戸田、この人ってさ、すげー有名な人だよね」
「そうだよ。起業界隈では一番有名な人じゃないかな」

 その率直な文章に妙に惹かれた。

  • {会社が合わない、上司から煙たがられている、会社に居場所がない人こそ起業に向いてます。}

  • {レベルの低い人間が、あなたの優秀さを理解出来るはずがない。}

  • {レベルの低い人間の下で働き続ける事は、あなたの人生にとって無駄でしかありません。}

  • {たかだか年上だからとか、勤務歴が上だからとか、役職が上だから、という理由だけで、なぜあなたが評価を下される側にならなければいけないのか。}

  • {会社に不満がある。会社から理不尽な仕打ちをされた。馬鹿な上司に辟易している。もうそれがあなたが選ばれた側の人間である証拠です。}

  • {常識がどうの、みんながどうの、といったレベルの低い人間達の下らない論理を真に受け、我慢すること、耐えること、レベルの低い人間達に付き合うこと、そうやってあなたの才能を浪費すること、それはもう罪です。掛け替えのないあなたの人生に対する罪です。}

  • {さあ、どうしますか、それでも今まで通りの社畜人生を過ごしますか、それともあなたのような選ばれた人間が、本来歩むべき人生へと一歩踏み出しますか。}

 背中が熱くなり上気するように顔が火照りだすと、続けて全身に力が漲ってくるような気がした。
「なあ、戸田、ちょっとこの塾について教えて欲しいんだけど」

 戸田が机に肘をつき、組んだ両手の上に顎を乗せると、低く明瞭な発音で「川尻、マジ人生変わるよ」と断言した。続けて戸田が鞄から{板東塾入塾案内}と題されたA3用紙を2つ折りにして数枚重ねた資料を取り出した。その資料を2枚ほど捲り、私に見やすいよう180度回転させながら、目の前に置いた。

「川尻、今度セミナーがあるんだよ」
 資料には、大きめサイズの太字で{板東塾入塾希望者向けセミナー}とあり、その下にセミナーのプログラムが書かれていた。

 戸田が説明する。簡単にまとめると以下。

  • セミナーは塾に入塾するかどうかを確かめる場所。

  • 起業塾は先生で決まるから、先生の話を聞いて決めると良い。

  • 違うと思ったら、入塾する必要は無い。

  • でも、俺でもこんな結果が出てるし、滅多に無いチャンスだから、本気で起業するつもりならば、このチャンスを逃さない方が良いと思う。

  • あと俺の紹介があれば塾費の割引きが出来る。

 要するに、参加費1万円のセミナーを受講した上で、入塾するかどうかを決めれば良いとの事。もし、入塾するのであれば、戸田の紹介状を提出すれば、年200万円の塾費が150万円にまで割引される特典もある。

 ちょっと怪しいなとも思ったが、板東先生はビジネス誌にも登場するような著名人だし、戸田は「そんなもんだよ」との回答だったし、そもそも目の前に板東塾で成功者になった人間が居るのだから、これ以上疑う必要が無い。

 しかし、幾ら割引されたと言っても塾費は150万円。一応、それを上回るくらいの貯金額はあるものの(我が家は親から譲り受けたマンションのため家賃が浮く上に昨年から相続対策で始めた贈与分もある)、問題は麻子の承諾が得られるかどうかだ。

 戸田は分割払いがあると説明するが、150万円は流石に金額としては大きすぎる。間違いなく却下される。

「150万円か~」
「いやいや川尻、150万円って言っても実質的にはもっと安くて済む」
「ん? どういう事?」
「あのね、塾の中でビジネスに取り組むのよ。そのビジネスで……」
というと、資料をパラパラ捲り、指さしながら見せてきた。
「ホラ。そのビジネスで、後に独立した人の平均値で91万円稼げるんだよ」

 そこには塾期間中の稼ぎという見出しの下に、円グラフがあり、円グラフの真ん中に平均約91万円というゴシック体の赤文字が躍っている。

「え~。マジで?」
「そうそう。だから実質的には60万円みたいなものだし、独立する時に板東先生の会社の支援を受けられるから、どうせスグ回収できるのよ」
「そうか、そうだよな。戸田だって2ヶ月目に100万以上稼いだんだもんな」
「え? あっそうそう。そうだよ。そうなんだよ。だから、このチャンス逃さない方がいいよ。俺の紹介割引も数が限られてるからさ」
「あっ、そうなの」
「そうなんだよ。俺も色々な人から紹介して欲しいって言われてるからさ……」
 戸田が目を細め、もったいぶったような口調になる。
「今回を逃すとね~。ん~、次は紹介割引出来ないかもしれないな~」

 私は「ん~」と唸りながらしばらく考えてみた。が、掃き溜めに飛ばされる=会社での出世は無くなった、のだから何を躊躇する必要があるのだろうか。

 大体、板東先生も言ってるじゃないか。

  • {会社が合わない、上司から煙たがられている、会社に居場所がない人こそ起業に向いてます。}

  • {レベルの低い人間が、あなたの優秀さを理解出来るはずがない。}

  • {レベルの低い人間の下で働き続ける事は、あなたの人生にとって無駄でしかありません。}

  • {たかだか年上だからとか、勤務歴が上だからとか、役職が上だから、という理由だけで、なぜあなたが評価を下される側にならなければいけないのか。}

  • {会社に不満がある。会社から理不尽な仕打ちをされた。馬鹿な上司に辟易している。もうそれがあなたが選ばれた側の人間である証拠です。}

  • {常識がどうの、みんながどうの、といったレベルの低い人間達の下らない論理を真に受け、我慢すること、耐えること、レベルの低い人間達に付き合うこと、そうやってあなたの才能を浪費すること、それはもう罪です。掛け替えのないあなたの人生に対する罪です。}

  • {さあ、どうしますか、それでも今まで通りの社畜人生を過ごしますか、それともあなたのような選ばれた人間が、本来歩むべき人生へと一歩踏み出しますか。}

 確かにその通りだ。板東塾に入塾するということ、それは私にとっては私自身の才能が活かされる場所に行くというだけのこと。理屈は簡単だ。今が場違いだったのだ。 
 この時私は、今すぐ決めるしかないと思った。

「戸田!」
「おう何だ」
「俺、板東塾入るよ。決めた。俺独立するわ」

 戸田が笑顔になり、握手を求めてきた。戸田の手を握り返す。手汗でベッタリしていたが、気にせずさらに強く握った。

「OK川尻。今紹介状書くから、後はこれネットから申し込んでな。急いだ方がいいよ。定員数決まってるからね」
「戸田。マジでありがとう」


19

 戸田と別れ帰路につく。

 入塾は決めたものの問題は麻子にどう承諾を得るかだ。150万円であれば、一部を支払った上で私個人のクレジットカードで分割払をすれば可能な額ではあるものの明細でバレてしまう。
 ここが一番の問題だった。

 戸田にメールを送る。スグに戸田からメールが返ってきた。{誰かお金借りられる人は居ないの? どのくらいだったら麻子ちゃん説得できる?}。過去の経験からすると年60万円くらいであればどうにかなりそうな気がする。

 以前、会社と揉めて辞めようと考えた時、通信で中小企業診断士講座を受けたのだが、確かそのくらいの額だった気がする。問題がスグに解決した事もあって、講座の2割しか受講せず放置した為、あれこれ文句を言われたものの、そのくらいであれば恐らく大丈夫だろう。

 戸田には、{60万円くらいだったら大丈夫だと思う。借りられる人は数人心当たりがあるけど戸田は?}と送った。戸田からは、{俺が貸すのはマズいな。前に問題になった事がある}と返ってきた。{なんで問題になったの?}と私が送ると、{悪い!仕事の電話が入ったので、少し後で返すね}と返ってきた。

 中目黒駅から電車に乗った。

 途中、板東先生の本を買おうと思い立ち、そのまま横浜駅のデパートに入る広めの書店へと向かった。書店に入りビジネスコーナーで板東先生の著書を見つけると同じタイミングで戸田からメールが返ってきた。

{ごめんごめん。トラブル処理に手間取った。問題になった理由は、借りた人が途中で塾でトラブルになって貸した人に噛みついたんだよ}

 スグに私は{えっ?どういうこと?}と送った。
 私は返信を待つ間、板東先生の著書を2冊選び購入した。

 しばらくして、{要するにお前が紹介した塾で問題が起こったのだから、お前にも責任があるから、お金は返さないって揉めて、それがキッカケで板東先生が紹介者がお金を貸すのを禁止にしたんだよ}と返ってきた。私は{なるほど。確かにそれは問題だな。OK他を当たるよ!}と送った。スグに戸田から{ごめんな、俺も規則が無ければ貸せるんだけどね}と返ってきた。

 という事で他を当たることにした。

 この場合、麻子とは関係が無い人を当たる必要がある。最初に思い浮かんだのは私の小学校以来からの先輩で、私と麻子が結婚する際に仲人役を務めてもらった高山先輩だったのだが、高山先輩とは家族ぐるみの付き合いがあり、お金を借りるなどと言い出せば、麻子に伝わる危険性があるので、それ以外の人を当たる事にした。

 辞めるつもりの会社の人間に借りるのは何か嫌だし、学生時代の友人は麻子とつながる危険性があるので却下だし(私と麻子は高校時代の同級生)、親や親戚も危険だ。

 が、しばらく考えていると、良い候補が見つかった。専門学校時代の友人で小宮山という男なのだが、2年前に独立し結構稼いでいるという話を聞いたことがある。小宮山は3年前に離婚している為、誰かに反対される心配が無い。小宮山さえOKならば借りる事が出来るはず。どうせ、独立すればスグに返せる額だし、小宮山が渋る事は無いと思われる。

 そこで、早速小宮山にメールを送った。

{お願いしたい事があるんだけど、今度会えないか?}

 スグに、{おお!久しぶりだな!会おうぜ! でお願い事って何? 今教えて}と返ってきた。

 デパートの階段の踊り場に移動すると、小宮山に電話をする。
 小宮山がスグに出た。
「もしもし」
「お~川尻、お願いって何?」
 私は事情を説明した上で「スグに返すので100万円貸してもらえないか?」と率直に伝えた。小宮山は躊躇無く、「OK。いいよ! 俺も起業は賛成だね。川尻だったら絶対成功するよ」と承諾してくれた。
 多少は質問されるかと構えていたのだが流石小宮山。戸田と同じ独立組だから、変な常識に囚われてない。後日、藤沢にある小宮山の自宅に訪れる約束をし電話を切った。

 これで、一つ目の障壁はクリアーした。

 問題は次の障壁だ。麻子をどう説得するか、である。いきなり起業などと言えば、まず間違いなく反対される。というのも、麻子の父親が独立して痛い目に遭った人なのだ。

簡単に説明すると、

  • 麻子の父親が会社の上司を喧嘩をし独立したがバブル崩壊で痛い目に遭う。

  • 精神的に追い詰められ人が変わってしまった父親により家庭が崩壊寸前になった。

  • 麻子の母親がそんな父親を支えるために苦労した。

  • 最後は喧嘩した上司に土下座して古巣に戻った。

  • それだけでなく、古巣の社長が、グレーな資金も含め、まとめてくれ、危機を脱することが出来た。

  • ただ、麻子の兄はそれがキッカケで進学を諦め就職。(その後、税理士資格を取り、今は独立)

  • 父はその負い目と残った借金を返済する為に、古巣を退職した今も、古巣の手伝いや警備員の仕事をしている。

  • 兄が提案した相続放棄という選択肢も、お世話になった恩人に申し訳ないという理由で却下。

 こんな話を、結婚前も結婚後も、何度も聞かされてきただけに、いざ起業となると、一筋縄ではいかないのは間違いない。一応仕事柄、資格柄、キャリアプランの延長に、例えば接骨院の開業といった独立という形がある、という事は何度も説明したこともあり、一応理解してはくれている。

 ただ、現状について言えば、説得に足りるだけの要素が足りないし、麻子の回答はまず間違いなく、「よく会社と話し合ったら」と言った具合になるだろう。
 何しろ、自分の父親が会社の上司と喧嘩し飛び出した結果、痛い目に遭ったのだから。


20

 横浜からの帰り道。自宅最寄り駅である梅ヶ丘駅の一駅前で降りると、ゆっくり歩いて帰りながら作戦を考える事にした。駅の裏手の道をジグザグに曲がりながら、時間を掛けて考えた。
 恐らくだが、最終的には「もう仕方ないよね」という状態に持って行くのが得策だろう。積極的な賛成を得るのは無理に違いない。

 だから、自分の意志ではなく、会社に追い詰められた結果の独立、という方向性で、まずは様子を見てみようと思った。様子を見ながら、作戦を練り、じわじわと押し進めていくのが一番良いだろう。どこかで説得が効くタイミングが訪れるはず。

 帰宅すると、洗面所で洗濯機を操作する麻子を捕まえて、深刻な顔を作り「話がある」と低いトーンで伝えた。「何、急に?」と不安そうな目をする麻子を自分の部屋に連れて行く。間もなく、ドタドタという音と共に雄大がリビングからやってきたが、「ちょっと大事な話があるから」とリビングに戻すと部屋の扉を閉めた。

「え、どうしたの?」
「あのね、心配するといけないと思ってこの前は言わなかったんだけどさ」
「え、何?」
 充分間を取り、深刻そうな表情を作る。
「掃き溜めに飛ばされた理由をね、山田さんに聞いたんだよ」
 麻子がうんうんと首を縦に振る。
「あれね辞めろっ意味らしいんだよ」
「えっ」
 麻子が驚いた顔をする。
「山田さんに会社に掛け合ってもらった方が良いんじゃない」
「うん、今ね、そうしてもらってるんだけど、向こうもさ報復で俺を飛ばしてるからさ、誤解とかじゃないからね、ちょっと難しいらしいんだよね」
「そうなの?」
「そう。だから、転職先とかをさ今探してたんだよ」

 麻子の目がまん丸になる。驚いた時や、意外な事が起こると、いつもこの顔になる。

「そうそう。今日もそれで人に会って来たんだよ」
 今日、人に会うことは伝えていたが、戸田に会うとは伝えてなかった。
「じゃあ、もう転職は決まりなの?」
「そうだね。ん~、あと、一応柔道整復師の資格も持ってるからね。接骨院の開業もね、一応選択肢の1つに入れた上でね、今後どうするか考えているところ」
「ホント、よく考えた方がいいよ」
「うん、そうだね。だから、色々転職とか、そういうセミナーとかにも参加してさ、今後の身の振り方を決めようと思ってるんだ」
「セミナー?」
 嫌なところに反応された。
「セミナーは、まあ情報収集だよ。情報収集で。え~、ホラ、俺の業界特殊だからさ。普通の企業と違うからさ。進路が難しいんだよ」

 少し動揺したせいか、変な返しになってしまった。そこを麻子は見逃さなかった。

「そうなの? でも、よく考えて決断してよ。雄輔さ、イライラしたり焦ったりしているとさ、危なっかしいことやるでしょ」
「どういうこと。俺、危なっかしい事なんてしたことある?」

 まずい流れになってしまった。質問した後で、素直に「そうだね。ホント気をつけないとね」とでも返して終わらせておけば良かったのだが、もう手遅れだった。

「うん。あるよ。高校の時に、文化祭で来た変なヤンキーが中島君のことをおちょくったらさ胸ぐら掴みに行ったでしょ」
 中島君とは小学生の頃からの友人で、小さい頃、交通事故が原因で足に障害を抱え、片足を引き摺るような歩き方になってしまっていた。その中島君を、少々偏差値の良い学校で本格派の不良やヤンキーが居ない事を良い事に、調子に乗って高校デビューしたような半端者ヤンキーがおちょくったので、ムカついて胸ぐらを掴みに行ったのだ。

「まあ、ただそれは向こうが悪いからさ……」
「いやいや、だって、外で仕返ししようと待ち伏せしてるからって、わざわざ知らせてくれたのにさ、『返り討ちにしてやるよ』って言って、柔道部の先輩とか後輩連れて飛び出していったでしょ」
「まあまあまあ、でも、あれはだって向こうが悪いからね」
「そうかもしれないけど、下手すれば停学だよ」

 完全にしくじってしまった。この流れはマズい流れだ。

「修学旅行の時もそうだったでしょ。広島の地元のヤンキーに喧嘩売ってさ~」
「いやいや、それは向こうが絡んできたからだろ」
「違うでしょ。屯しているど真ん中を突っ切ったからでしょ」
「え~そうだっけ?」
「そうだよ。私は違う道行こうよって言ったのにさ、屯しているあいつらが悪いとか言って、無理矢理手を引いてったでしょ」(友人達の画策で当時良い感じだった私と麻子2人きりにされたのだが、地元ヤンキーとの大乱闘で強制帰宅。麻子との関係もそれ以上進展せず、さらには大学の柔道推薦もパーになった件。)

「そうだったっけ?」
「そうだよ」
「でも、高校時代の話だろ」
「今もそうでしょ。社会人になってからも会社の人と散々揉めてたでしょ」
「それは向こうが悪い。俺は悪くないからね」
「でも、大人になってまで取っ組み合いの喧嘩なんて普通しないでしょ」
「俺から喧嘩売った訳じゃ無いからね。向こうに非があるし、そこで引いたら調子に乗るからね。ああいうアホ連中は」

 その後も差し出がましい口を利いてきた。何も分からない癖に、アホ専務一味と話し合えだの、本部長に相談しろだの……、何の権限があってこんな指示をするのか、途中まで我慢して聞いていたが、非を認めた上で謝罪しろと言われた時は流石に腹が立った。

「もういい。俺が決める事だから、いちいち口出しするな!」

 麻子が一旦は口を開くが、言葉を発する事なく、口を閉じ、鼻から息を吐いた後で数度頷き、「うん。分かった。でも相談はしてね」と言い残し、部屋を出て行った。

 完全に失敗だった。だが、ただでさえ理不尽な目に遭いイライラしている所に、身内からもまるで私に非があるかのように責められるとは思わなかった。

<続く>

ここから先は

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全29巻のビジネス系物語(ライトノベル)です。1巻~15巻まで公開(試し読み)してます。気楽に読めるようベタな作りにしました。是非読んでね!

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