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10何が何でも絶対に勝ち上がってやる!【公開】

45(X2年5月)

 5月下旬から始まったヘルプ地獄は6月も続いた。

 嫌がらせなのかと思うくらいの連日のヘルプで、小便の黄色がどんどん濃くなっていった。6月に入ると大井町接骨院への出勤は週1日~2日まで減り、残りはリラクゼーション事業部のヘルプ地獄へと駆り出されっぱなしだった。

 アホ専務一味の横暴により減った人員を、補充が終わるまでの間ブラック労働で埋めるものだから、そのブラック労働で酷使したスタッフが辞める、倒れる。その補充をさらなるブラック労働で埋めるものだから、さらにスタッフが辞める、倒れる。

 そのような状態がずっと継続していたのだが、6月半ばについにギブアップ。結構な数の店舗が閉鎖され、やっと補充が終わるまでの酷使→退職の流れが終わったものの、それでも人員不足が解消された訳ではない。

 流石に他部署の私に対するヘルプ依頼は減ったものの、リラクゼーション事業部に所属する正社員は、未だに月2日休日があるかないかといった状況が続いているらしく、再び退職ラッシュが来るのではと、アホ専務一味ではない本部の人間達は気を揉んでいる。 元上司の金子さんによると、アホ専務の横暴を防ぐ為に、アホ専務がキレそうな情報は、事前に処理するか揉み消すなどして上げないようにしているそうだ。もはや組織の末期状態。本当に碌でも無い会社だ。


46(X2年6月)

 6月、3回目の板東塾が開かれた。
 3回目は塾生全員が決意表明をする日だ。起業への決意、成功への決意を、敢えて塾生全員の前で宣言することで、もう前に進むしかない状況へと自分を追い込む。 板東塾第一の山場と言って良い。

 戸田によると、ここで、どれだけ見事な宣言が出来るかどうかが、塾生達の評価や尊敬につながるらしい。だから、皆、この日のために宣言文を練りに練ってくる。6月はあまりに多忙だった故、宣言文を考える時間も余裕もなかったのだが、塾前日の数時間で何とか宣言文を作り上げた。

 出来は中々良いと思う。他の塾生とは違い、元々起業する意志が固く、熱意もあったからだとは思うが、今頭の中にある思いを吐き出すだけで、すぐに宣言文が出来上がったのだ。

 決意表明は午前10時にスタートする。事前に練習しようと思い、いつもより早く出た為、何と50分前に会場に到着してしまった。が、会場に入ると、もう半分くらいの席が埋まっていた。皆ノートやペラ紙を取り出してはボールペンを走らせている。いつもとは違いおしゃべりも殆ど無い。ザッザッザ、コツコツコツという音が会場中に響いており。この決意表明にかける皆の思いが伝わってくる。 途中、同じグループの岡本さんがやってきて、空気を読まずにおしゃべりを始めたが、周囲の冷たい視線に気付き、その後は静かに待機していた。

 私も同じように決意表明を書いたノートを取り出し暗唱する。特に直す所はない。数回暗唱した段階で、顔を上げ、周囲を見渡した。開始時刻20分前には殆どの席が埋まっていた。

 が、後ろの席を見ると、大塚さんがまだ来てない。メールを入れると「今新宿駅に着きました」という返信。

 10分前に司会の安西さんが動き出す。
「今日は長くなるので、そろそろ準備を始めます」
 安西さんはそう宣言すると会場前方の廊下側に5つパイプ椅子を並べ、前の方に座る5人をパイプ椅子に誘導した。
「では、そろそろ始めます。その前に皆さん深呼吸をしましょう」
 安西さんが両腕を上に伸ばすタイミングで、私の肩に手が触れた。

 振り向くと大塚さんだった。
「間に合いましたね」
「はい、少し走りました」
 少し息が上がり、頬が赤くなった姿が妙に色っぽかった。

 決意表明がスタートした。

 戸田から、「超盛り上がるよ」と聞いてはいたが、想像以上の盛り上がりだった。1人3分~5分くらいだろうか? 最初に目標を掲げ、次に強い言葉で決意を述べる。板東先生が上手に盛り上げるものだから、どんどん塾生の言葉が強くなる。 そして盛大な拍手と歓声が決意表明を終えた塾生を包む。その様子を見てか、途中からカッカッカっと表明文を修正する音が増えてくる。

 決意表明もまだ序盤だったが、壇上で「来週会社辞めます」と宣言する塾生が登場した。板東先生が「皆さん拍手」と会場中を煽って背中を押す。すると彼が「今ココで会社辞めます」と言い改め、スマートフォンを取り出す。 スマートフォンにマイクを近づけると、「皆さん、僕の決意を見ててください!」と叫び、その場で会社の上司に電話する。上司が出ると「僕起業する事にしたんで、今日で会社辞めます! 辞表は郵送します」と言い放ってスマホを切った。
 再び、板東先生の「皆さん拍手」という煽りで、セミナールームのガラスが割れるんじゃないか、というくらい盛大な拍手と歓声が沸き起こった。

 彼の行動に触発されたのか、その後も、上司に電話して辞める宣言をする塾生が続出。さらには、板東先生に背中を押され、自身の嫁に電話して「俺の決断に反対するんだったら子供連れて実家へ帰れ」と啖呵を切る塾生。「背水の陣を敷きます」と言って、持参したパソコンの画面をスクリーンに映して、その場で貯金全額を寄付する塾生まで現れた。

 いよいよ私の番が迫ってきた。パイプ椅子に移動する。結局、ギリギリまで表明文を修正していた。皆の気合いが違う。まさか、ここまで気合いを入れて挑んでいるとは思わなかった。私も気合いで負ける訳にはいかない。

 私の2つ前の男性が壇上に昇った。見ると池谷さんだった。池谷さんは既に独立してフリーで活動しているので、目標に年収を挙げていた。

「5年後には年収1億を突破します! その為には何でもやります! 今この場でその証拠を見せます!」と宣言し急に上半身裸になると、紐のついた洗濯バサミを両乳首につけ、その紐を板東先生に渡した。「先生引っ張って下さい!」と叫ぶ池谷さん。

 会場は歓声というより笑声。

 先生が「いいですか」と何度も確認した後で、思いっきり引っ張る。池谷さんが「痛い痛い痛い」と言って、両手で乳首を撫でる。その滑稽な姿に塾生達が手を叩いて大爆笑。壇上から席に戻る途中、塾生達に頭を叩かれるなど、手荒い祝福を受けての帰還だった。

 1人挟み、いよいよ私の番になった。安西さんの誘導に従い、ゆっくり壇上に上がる。

 壇上から見るセミナー会場の景色は最高だった。会場にいる全員の視線が私に注がれている。その眼差しは期待に満ちている。私が何を言うか、どんなパフォーマンスをするか皆期待しているのだ。マイクを手に取り、一言目を発した。

「私は既に上司に退職の意志は伝えています」

 私としては、今ココで上司に電話するよりも早い段階で決断しているのだから自分の方が勝っている、という判断だったが、パフォーマンス性が無いからだろうか、盛り上がりはしなかった。

「板東塾に入って気付きました。今まで私は自分が居るべきではない場所に居た。ここで出会った皆さんに出会って、自分の周りにはいかに残念な人達しか居なかったかという事が分かりました」

 続けて、社畜としての理不尽な日々について語る。語気を荒げ、会社批判、上司批判を加速させると、会場が次第に盛り上がるのが分かった。そして、充分に会場が盛り上がりきったところで、決め台詞として「私は5年後に年収1億を達成します。必ず達成します」と力強く宣言。

 すかさず板東先生が「川尻君だと、5年後は遅いんじゃないの?」と修正を入れてくる。私は即座に「分かりました。3年後に1億突破します!」と言って右手の拳を天井に向けて突き上げた。

 拍手と歓声が天井、壁、窓ガラスに反射して、まるで会場が揺れているかのような不思議な錯覚に陥った。その歓声に負けないよう、もう一つの決め台詞を大きな声で叫んだ。

「たった1つ自慢出来る事があります。いや今手に入れました」と言って充分に間を取る。歓声がやや静まったタイミングで、「それは、板東先生や皆さんと出会えたことです!」というと90度頭を下げた。

 再び会場が割れんばかりの歓声と拍手で揺れ始めた。顔を上げると、手がはち切れんばかりに拍手をしている塾生達が目に入る。中には目を潤ませているような人まで居る。その拍手と賞賛の眼差しの中、壇上を降り、自分の席へと歩いて行く。

 途中途中で、ハイタッチを求める人達が列を作った。こんなのいつ以来だろうか? 高校柔道部以来ではないだろうか? いや、でもこの種類の拍手と眼差しは初めてだ。今まで味わった事が無い! この快感は今まで味わった事が無い! 力が漲ってくる。何かが頭頂部から降りてきて、何かが背中から侵入し、空気入れで浮き輪を膨らますように、自分をどんどん大きく大きく膨らませる。

 明らかに私の中で何かが動き始めている。その動きに触発されるように右手の拳を突き上げながら「やってやる! 絶対に成功してやる! 絶対に勝ち上がってやる!」と繰り返しながら席へと戻った。


47

 私に続き、1人挟んでマグワイヤー君、岡本さんと盛り上がり、次は大塚さんの番になった。大塚さんはマイクを両手で握りしめ、その握りしめた腕を、胸の真ん中、胸骨の辺りに当てながら、俯き加減で視線を地面に落とし、やや緊張した面持ちで静かに話し始めた。

 内容も実に短く「私は今もフリーランスでウェブ制作をやってますので、その仕事に地道に取り組みたいと思います。目標はお客さんに今まで以上に貢献する事です」とだけ応えて、口元からマイクを離し、司会の安西さんの方を見て、「以上です」と、より静かな声で伝えた。

 板東先生が笑顔で「おやおや、それだけですか」と言いながら、質問を投げかける。

「大塚さんは、どんな将来を描いてますか?」
「ああ~、現状…、維持…、ですかね」
「それは寂しいですね」
 板東先生が「こんな自分になりたいという思いはありませんか」と質問する。大塚さんが「いや、あまり……」と言って首を捻る。
 会場から、「どうした」「元気出せ」「空気読めよ」といったヤジが飛ぶ。岡本さんがヤジの主の方を向いて「やめなよ」と注意する。

 その後も、板東先生が「今は手が届かなくて結構なので、何か大きな大きな欲しいのものはありませんか?」「そしたら、絶対に見返してやりたい人は居ませんか?」などと誘導し、何とか派手な言葉を引き出そうと努力するのだが、大塚さんは「いえ、特に」としか言わない。

 板東先生が大塚さんの年齢を聞いた上で、「そしたら、10年後の43歳の時に達成したい事を上げてみましょうか」と投げかける。
 大塚さんが、「はい。あ~」と言って考える。しばらく考えて絞り出した答えが「自分の中に幸せの基準を持てたらいいな……、って思います」だった。
 板東先生が少しだけ困った顔を見せ首を傾けるが、すぐに笑顔を作り直し「じゃあ、皆さん拍手」と会場に促し打ち切った。倦怠な拍手の後で、「何だよ~」「冷めるわ~」という失望の声。

 それまで盛り上がりに盛り上がっていた会場のボルテージが一気に下がった。大塚さんが壇上から席へ戻る途中、再び「マジ空気よめよ」というヤジが飛んだ。

 その後、決意表明式は二度と盛り上がる事は無かった。板東先生も盛り上げようと努力していはいる。塾生の中にも盛り上げようと敢えて歓声を上げる人も居るのだが、どこか熱が乗ってない。拍手も同様だ。一部の演技めいた拍手だけが変に際立ち、むしろ会場内の温度差を現してしまっている。会場全体が、古いフィルムの映画を見ているかのような、臨場感や没入感の無い、妙に距離がある他人事の景色に変わってしまった。

 戸田から「盛り上がりすぎて18時を過ぎるから……」、と言われていた決意表明式は16時半には終わってしまった。決意表明式が終わると、数名の塾生が大塚さんの元にやってきて文句を言い始めた。

 大塚さんは「緊張しちゃって」「ごめんなさい」と適当に頭を下げてやり過ごしている。やたら若作りした40代くらいの男性が大塚さんに説教し始めた。私がまあまあと言って仲裁に入ると、若作りの男性が「この妨害猫が!」という捨て台詞を残して自分の席へと戻っていった。

 懇親会は18時半から。戸田によれば、この懇親会で一気に仲良くなるらしい。でも、懇親会まではまだ2時間弱もある。

 決意表明が終わってからしばらく経ってるのに、大塚さんに聞こえるよう嫌味を言う奴がチラホラいる。どういう意図の嫌味かは分からないが、栄養補助ドリンクを大塚さんに渡し、その様子を遠巻きに見て笑っている奴等が居る。

 ウザ絡みしてやろうかと思い立ち上がるが、私より先にマグワイヤー君がその連中の元に行き、明るい感じで「何が面白かったんですか? 僕にも教えて下さい!」とやり返している。

 仕返しはマグワイヤー君に任せ、私は、池谷さんや岡本さんに「ちょっと居づらそうにしてるから」と説明した上で、大塚さんに「帰りましょうか」と声を掛け2人でセミナー会場を後にした。


48

 セミナー会場を出ると駅に向かってゆっくり歩いて行った。大塚さんは俯いたままだった。
「災難でしたね」
「いえ、私が悪いんです。でも性格的にああいうの苦手なんです。どうもああいう空気の中に入れないんです」
「いやいや、でも、直接文句言う必要は無いし、決意表明が盛り上がる盛り上がらないと、成功する成功しないは関係無いですからね」

 その後も、慰めるような言葉を幾つも掛けるが、大塚さんは自分を責め続けていた。

 駅構内に入ると、雑然とした構内の人の流れに、大塚さんはいつも以上に翻弄されていた。途中で「自分が壁になるんで」と言って、後ろから付いてきてもらった。相変わらず、舐めたクソガキや、スマホに夢中の女性や、偉そうなじじいが、退けもせずに突っ込んでくるが、全て容赦なく弾き返す。

 この日、新宿駅構内で2度の舌打ちを浴びたが、いつもと違いイライラしなかった。

 ホームに上がると、複数のアナウンスの声に、発車のベル音、到着した電車の音が混交していた。少し声を張り、大塚さんに訪ねた。
「どこか寄ります?」
「はい。いいですか」
「渋谷でカフェでも寄ります?」
「静かな所にしませんか」
「そうですね。そうしましょうか」
「あの~……」
 車掌さんの声によるホームアナウンスが大塚さんの細い声を遮る。私は大塚さんの口元に耳を近づけた。
「あの~、MS駅に好きな喫茶店があるので、どうですか?」
「あ~、ハイ! 分かりました」

 渋谷駅でTK線の普通電車に乗りMS駅へと移動した。MS駅で降り、大塚さんの案内に従いしばらく歩くと、目的の喫茶店が見えてきた。古い2階建ての建物の1階に入る喫茶店で、赤煉瓦に白の出窓が特徴の重厚感ある正面をしている。ノスタルジックなランプの下には、こだわりの強そうな字体で{宗像珈琲店}と掘られた手作りらしき木製の看板が掛かっている。赤茶けた煉瓦の色に比べて、明るめの茶色の木製の扉が若干重厚感を和らげているのだが、いざハンドルを掴み引くと、印象とは違い重みのある扉に驚いた。それも、扉の開閉部分の金具に問題があるとかではなく、単純に扉の重量によるものだ。

 何となくだが、店主はこだわりが強い人だろう。

 入店すると、黒髪を後ろで一纏めにしたおでこの綺麗な店員さんが席へと案内してくれた。カウンターの向こうに居る店主を確認したが、その上半身の安定感と髭と眉間の感じからして、やっぱりこだわりが強い人に違い無い。

 粗相が無いように気をつけようと思うと同時に、何だか大塚さんが好きそうな喫茶店だなと思った。いや、正確に理由を説明する事は出来ないのだけど、何となく店主の風貌とこだわりが作る店内の秩序の……、何て言ったら良いのだろうか、重み?堅さ?、商人隠語で言うところの敷居の高さ?とでも言おうか、その秩序感が、大塚さんの性格に合ってるような気がした。

 丸テーブルに向かい合う形で座った。「ブラックが美味しいですよ」という大塚さんの推薦に乗りブラック珈琲を注文する。しばらく無言だった。無言の視線の気まずさを、私は古びたメニュー表で紛らわしていた。大塚さんは、机の上に視線を落としたまま、表情一つ変えずに居る。

 やがて珈琲が運ばれてきた。渋い深緑色のソーサーに、同色合いのコーヒーカップ(多分織部焼)が丁寧に机の上に置かれ、続いて銀色のミルクポットと、茶色の砂糖が入った白のシュガーポット(波佐見焼)が2人の間に置かれた。特に何も加えず、ブラックのまま、殆ど同じタイミングでカップに口を付けた。私は普通に音を立て啜り飲む、といった感じだったが、大塚さんは、ほんのり音を立てる程度で口に含み浸して味わうように飲んでいる。

 私も、大塚さんに習い、2口目からは飲み方を真似してみた。(やや熱かったが我慢)

 確かに珈琲の味の舌や喉元への浸透具合、香りの鼻腔への伝導具合が全然違う。普段だったら、こんな事は意識などしないのだが、こだわりが強そうな店主への気遣いが、味へと意識を向けてくれたのかもしれない。
 なるほど、八方美人の千客万来だけが能ではない。選び選ばれるというのも1つの在り方なのかもしれない。

 熱さで舌先がヒリヒリしだす頃、今日の決意表明の話を振ってみた。
「今日は大変でしたね。塾生の中にも変なのが居ますからね。決意表明1つで人生なんて変わりやしないのにね。ホント迷惑な奴等ですよね」
 大塚さんが首を横に振る。そして私の目を見て「いいえ、羨ましいです」と答えた。

「羨ましい?」

 意外な答えだった。大塚さんが羨ましい理由について説明する。
「自分を変えようと思って入塾したんですけど……。皆さんが凄すぎて引きこもってしまいました」
「でも、大塚さんは、もう既に独立してるし、彼等よりも一歩も二歩も先に進んでいるんだから、別にあいつらに言われる筋合いは無いですよね」
「いえ、私は苦手な事から逃げただけです。進んだ訳では無いんです」
「えっ?」
「本当はもっと馴染めたらいいんですけど……。前の会社の時も上手く馴染めなかったんです。……。それに努力もしなかったんです。周りの人達はもっと積極的にコミュニケーションを取ろうと努力しているんですけど、私は自分が出せないし、一歩踏み出すのも苦手で……」
「あ~、じゃあ会社の人とは全然交流が無かったんですか」
「いえ、1人、気に掛けてくれる先輩が居て、その先輩が私を輪に入れようとしてくれたお陰で……」
「あ~なるほど、輪には入れたんですね?」
「ええ。……。その人が元旦那さんなんです」
 と言うと、控えめに笑った。

「あ~、なる、ほど……」
 大塚さんは続ける。
「結婚後は随分と傷つきました。でも私が悪いんです――」
 というと、元旦那さんとのすれ違い、という題で、その仕打ちについて、随分と元旦那さんを立てながら話してくれた。要するに交際中から離婚まで、途切れる事なく浮気三昧だった訳だ。それ以上は何も聞かなかった。が、何となく分かる気がする。あまり主張しない上に、以前確か随分と元旦那さんに尽くしたと聞くから、恐らく調子に乗って向こうが遊びまくったのだろう。こういう話はよく聞くし、私の周りにもそういうタイプの男性が沢山居る。

 次の話題が見つけられず、「あ~」とか「え~」とか、間投詞を続けていたら、突然、「奥さんは賛成なんですか?」と聞かれた。

 質問自体は特に普通の事なのだが、急な質問だったのでビックリした。
「あ~、え~、奥さん、あ~、麻子、いや妻のことですね?」
「はい。そうです」
「う~ん。現時点では反対寄りな気がします。以前は賛成してたんですけどね。どう思います?」
 と急な質問に驚き、その場を繕うようなつもりで逆に質問したのだが、「よく話し合った方が良いと思います。本当の事って中々言えないので……」とズシッと重みのある答えが返ってきた。
 なるほど。本当の事は中々言えない。確かに私も麻子に本当の事は話してない……。

 心地良い時間だった。

 途中、段々と2人の間の空気が溶け合うような感覚になった。溶け合い一体になると、そのまま2人を膜で覆うようにして、周囲から隔絶された2人だけの空間が出来上がってゆく。だが、突然。「あっ! そうだ次回の塾は」と、大塚さんにしては尖った調子の「あっ!」だった。
 その声で2人を包むような空気の膜は一気に弾けた。自ら壊したのかもしれない。

 それにしても不思議な魅力の持ち主だ。

<続く>

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全29巻のビジネス系物語(ライトノベル)です。1巻~15巻まで公開(試し読み)してます。気楽に読めるようベタな作りにしました。是非読んでね!

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