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08妨害者達とは距離をおくべきであり関わってはいけない【公開】

37(X2年4月)

 起業熱が高まると同時に、仕事に対するモチベーションはどんどん下がっていった。

 小堀はやる気ゼロだし客も全然来ない。1人でも間に合うくらいの仕事量だが、にも関わらずスタッフは多い。今日も、小堀、赤羽さん、さらに八木君という寡黙な男性に私を加えた4人ものスタッフがシフトに入っている。

 八木君は先月、小堀が現地採用したスタッフで、柔道整復師資格(接骨院を開業出来る資格)に、鍼灸師資格を保有している。業界歴は8年で腕も良い。何で、こんなクソみたいな職場に転職するのか? 私には理解が出来ないので話を聞いてみたら、務めていた接骨院が急に閉院した上、当月分と前月分の給与が支払われる事なく、オーナーが逃げてしまったそうだ。だから、とにかく早く出来る限り給与の良い所に決めたいという理由で、大井町接骨院に決めたのだと言う。

 大井町接骨院は幾ら赤字を出そうが本社がカバーしてくれる為、経営という概念がそもそもない。恐らく、このやる気のない小堀の下でも働き続けてもらうには、給与を上げるしかないのだろう。八木君は「もう少しお客さんが来てくれないと腕が鈍ります」と控えめに主張していたが、本当にその通りだ。

 午前11時。お客さんは1人しか居ない。八木君が施術を担当する。八木君は言葉数は少ないが、質問の仕方が上手なのか、お客さんが楽しそうに話している。

 私はダスターを手に取り待合室の椅子、棚の上を掃除する。先ほどまで暇そうにしていた赤羽さんがプリンターをパソコンにつなげ、何やら印刷し始めた。気になったので近づいて見てみると、赤羽さんお手製のチラシだった。「チラシ作ったんだ」と声を掛けると、「はい。あまりに暇なんで外で配ってきます」と返ってきた。

 赤羽さんは印刷したチラシ50枚を3つ折りにして、恐らく自前で購入したと思われる透明のフィルムに封入する。私も手伝う。その様子に気付いたのか、小堀が事務所スペースの扉の間から顔だけだして、「それさ、広告規制大丈夫?」と聞いてきた。(接骨院は広告規制があり、使用できる文言や表現に制限がある)

 赤羽さんが「ハイ、大丈夫です」と答えると、「分かった」とだけ答えて、また事務所に引っ込んでしまった。赤羽さんが、小さな声で、「何なんすかあいつ」と愚痴る。私も、「なあ、何なのあいつ」と返す。

 50枚のチラシを封入し終えると、丁度お客さんがやってきた。「こんにちは!」と声を掛け、保険証と診察券を受け取り、そのまま施術ベッドへと案内する。一旦、受付に戻り、「小堀さん、お客さんです」と声を掛けるが、事務所の扉を開けもせず「川尻さんお願い!」という籠もった声が聞こえてくる。「分かりました」と答えて、施術記録を引っ張りだすが、来院した日が記入してあるだけで、施術内容が残ってない。

 小堀に聞こうか迷ったが、どうせ聞いても無駄だろうと思い、自分で対応する事にした。赤羽さんは入口で靴を履き、「いってきます」と明るい声を残すと、院の外へと出て行った。私はお客さんの元へ向かった。

 八木君が丁度施術を終え、隣の施術スペースの入口のカーテンが開いた。お客さんが、小さな声で「ねえ八木先生。先生の担当って何曜日?」と質問している。八木君が、「あ~、特に決まってはないのですが、今週は明日以外は居ますよ」と答えている。お客さんが「そう、じゃあ明後日また来るね」と言って、「あ~」としばらく続けた後で、「次も八木先生にお願いしたいんだけれど」とひそひそと伝えている。八木君が、「分かりました」と同じようにひそひそと伝えると、お客さんが「良かった。この前担当してくれた、あの小堀って先生、あたし苦手なのよね」と、またひそひそと伝えていた。

 午前の営業時間が終了すると、小堀が「一旦自宅に戻ります」と言って一目散に出て行った。まだお客さんが残っているにも関わらず……。
 午後の小堀もいい加減だった。営業終了時刻20分前にも関わらず、「お先に」と、お客さんを残してさっさと帰ってしまった。

 最後のお客さんを見送り、締めの作業に移る。赤羽さんが「マジで何なんすかあいつ」と呆れ口調。「ね~。マジあいつやる気が無い」と私が答える。赤羽さんが「川尻さん、院長やって下さいよ」と言う。八木君も「僕も賛成です」と続く。急に責任感が芽生えたものの、どうせもう辞めるんだよな、と思うと、一気にやる気が失せる。

 私は、「まあね、もうどうせクビだからさ」と投げやりに言うと、赤羽さんが唇を尖らせて残念そうな顔をした。


38 麻子と智美(X2年4月)

 麻子と智美は、いつものカフェレストランに来ていた。

 今日も、智美の旦那漫談は冴えていた。会社でのやらかし、自宅でのやらかし、この前会ってから9日しか経ってないのに、もう新しいやらかしネタが増えていた。
 後から隣の席に座ったカップルが智美のテンポに乱されてか、全く会話が弾まない。彼氏の方は会話が途切れながらも頑張って次の話題を捻り出し、何とか無言の時間だけは割けようと努力している。

 一方、彼女の方は、時々顔を上げるだけで、俯きながらペーパーナプキンを弄っている。

 ランチセットを食べ終え食器を下げてもらうついでに智美が春のお茶菓子セットを頼む。最近、毎月のように新メニューが登場するようになった。以前は、中のリフィルが経年劣化で割れているようなプラスチック製のメニューブックだったが、今年に入り、革製のメニューブックに変わると、料理、スイーツ、飲み物と、明らかに見た目も味も良くなった。ゴミか髪の毛かと見間違うような傷が付いたお皿も新しくなり、最近、スタッフさんのユニフォームも統一された。

 智美が「ここ良くなったよね~」と言いながら、黒塗りの平盆の上で、竹の形をしたプラスチック製の楊枝でお茶菓子を切っては口に運んでいる。湯飲みも、波佐見焼だろうか、白地に青のロゴ(恐らくレストランのロゴ)が特徴の、随分とオシャレというか、趣のある物に変わっている。

 オーナーが変わったのか、それとも代替わりしたのか、コンサルタントが関わるようになったのか、事情はよく分からないのだが、以前に比べて繁盛しそうなレストランになった。とはいえ、あくまで、繁盛しそうな……、であり、今日はやっぱり空いている。

 続いて雄輔の話題になった。家庭での様子や、起業塾に通い始めて以降の様子は電話でもよく話しており、最近の雄輔の異変ぶりについては智美も心配している。

 智美が前のめりになる。
「ねえ麻子。雄輔さん大丈夫?」
「う~ん。日に日に言うことが変になってるのよね」
「何何、何があったの?」
「あのね。雄大に変な事を教えだしたの――」

 雄大が幼稚園のお友達の事を「あいつウザいから無視する」と言ったのを麻子が「そういう事言わないの、ちゃんと~~ちゃんとも仲良くするのよ」と叱った時に、雄輔が「無理して仲良くする必要ないぞ」と横槍を入れてきたのだ。

 麻子が反論したところ、「お前みたいな親が子供の才能を潰す。俺もしょうもない連中と上手くやろうとした結果、理不尽な目に遭った」と言いだし、「雄大は最初から選ばれた人間とだけ付き合えばいいからな~、確かにあの子は親も含めて人間的にレベルの低い子だから無視していいぞ」と諭しては、幼稚園の友達を1人1人挙げてランク分けさせたのだ。

 雄輔が部屋に戻ってから、改めて雄大に言い聞かせて、最後は「ママの言う通りにする」と理解した様子だったが、「最近この手の変な教育が増えて困っている」と麻子が愚痴る。

「え~、幼稚園生にそれは困るわね」
「でしょ」
「例の胡散臭いじじいの影響でしょ?」
「そうなのよ。昨日ね掃除で部屋に入ったら、あの胡散臭い人の本がね、2冊増えていたの」

 といって、最近買い換えたスマホで撮った写真を見せる。その内1冊の題名が【真の天才が教える逆転の人間学~だからあなたはダメにされた】。
 表紙に書籍の名言?の一部が掲載されている。

●こうしてあなたは世間の奴隷になった。
●見下すべき人を見下さないから、世の中はおかしくなった。
●そもそも雲泥の差がある人間同士を等しく扱おうとするからこの国はダメになった。
●格差社会はそもそも人間の本質。この国はまだまだ格差が足りない。
●板東が大成功者になれた理由。それは●●と縁を切ったから。

 などと書かれている。 
 智美が顔を顰める。
「ヤバいわね~」
「そうなのよ。あいつ、すぐに人の影響受けるかさ~」

 麻子がザッと摘まんで読んだ板東の書籍の内容の一部を説明すると、智美が「余程会社で理不尽な目に遭ったんだろうね」と雄輔に同情した。智美も抜群に仕事が出来る方だったので、雄輔の気持ちが多少は分かるようだ。

 実際、智美も、会社員時代に同期の男性社員や少し上の先輩(主に男性)からは、随分と潰しのような事をされた事があった。ただ、智美の場合、社内政治に長けていた上、女性社員や後輩(男女共)から頼りにされていたこともあって、入社3年目には一部の先輩を除き、全員味方に引き入れた。

 それでも智美を冷遇する先輩達については、その先輩達をあまりよく思ってない上司、別の先輩に仕事面・プライベート面で貢献し、仲良くなった上で「後輩達が萎縮している。後輩虐めが酷い」と訴え孤立するよう仕向け、最終的にその先輩達の居場所を奪い転職させた。

 ただ、そこまで持って行くのに、それなりに努力と工夫が必要で、そんな社内政治の重要性を知っているだけに、雄輔の心情も理解出来るのだろう。

 自らの経験を話した上で、智美は雄輔に同情した。

「仕事が出来るからこそ煙たがられるんだろうね。仕方ないよね。雄輔さんは何事にも本気で取り組むタイプの人だけど、殆どの人はそうじゃないから。会社に貢献しようなんて考えていないから。だから、どうしても社内で浮いちゃうんだと思うよ」
「うん。そうなんだと思う。社内政治は苦手だからね。スグに敵作るの。もう年柄年中誰かと敵対しているのよ」
「結果を出しているのにね……。会社の評価は低いのかもね」

 智美がプラスチック製の楊枝で歯に挟まった食べかすを取り除こうとしている。麻子がバッグから手鏡を出し智美に向けると、智美が「ありがとう」と返した。プラスチック製の楊枝を置くと、次に智美の旦那の話題になった。

「でも、内の旦那もね、何にも結果出してないけど会社には貢献してるのよ」
 という切り替えで、智美の旦那漫談が始まった。
 麻子は「何何」と興味深そうに聞く。
「内の後輩がね、一時期凄く悩んでいたの――」
 智美の後輩が、営業部から総務部に異動した時の話で、何度か聞いた事がある話なのだが、その後、どうやらその後輩に進展があったようだ。

「私、ずっと相談されていてね。その子、出来る子なのよ、ただ営業向きでは無いだけなの。だからね私言ってあげたのよ。内の旦那見なよって、あんなんなのに平気で偉そうにしてるでしょって……。そしたら『やっぱり、もう少し頑張ってみます』って、本当にすごい頑張ってたでしょ」
「うんうん。すごい頑張ってる言ってたよね」
「あのね~。今では新規事業部のチームリーダーになったのよ」
「え~。凄いね!」
「でしょ。内の旦那って流石。居るだけで安心感を与えるのよ。下には下がいるって安心感があると、腰据えて頑張れるでしょ。変に厳しくすると目先の利益ばかり追うようになるからね。でも、内の旦那のお陰で、未来志向になるの。スグに結果出さなくても大丈夫だって証拠がそこに居るんだからね」
 一頻り旦那を、誉める(?)と、急に両手を広げて、まるで講演でもするかのような調子になった。

「いいですか皆さん! ただ居るだけで会社に貢献している人ってのが居るんですよ! 見て下さい内の旦那を。あんな無能な人間でも、無能が故に貢献しているのです。下には下がいるという安心感を与える事で、お宅の新入社員が安心して仕事に取り組める。見て下さい。彼のお陰で新入社員の定着率が上がったんですよ!」

 智美が身振り手振り演説を続ける。 麻子がハンカチを目元に当てながら笑っている。
「麻子笑い過ぎ」
 と言いながら智美は演説口調から普段の口調に戻る。
「全くさ、無能で盆暗でミスばっかりして損害まで与えているのにさ、最近は役職までついてさ~」

 なんと市田誠一は、今年度から前任者の転職と、次と目されていた社員の産休に伴い主任補佐に昇格したのだ。(ただし補佐という尻尾がつくのだが)
「ついでに偉そうにしてるしね。っていうか偉そうにさせてくれるしね。ホント良い会社よ。良い子ばっかり」

 隣のカップルが、彼女の「そろそろ行こう」という合図で席を立った。隣の席に座ってから30分~40分。結局、最後の最後まで話は盛り上がらなかった。
 智美が突然話を止めて隣の机を小さく指差す。
「ねえ麻子、あのカップル、スグ別れるわよ」

 そこには、ペーパーナプキンで折られた鶴が3羽、コースターの上で退屈そうにしていた。


39(X2年5月)

 板東塾第二回目の講義は3つのパートに分かれていた。

第一パートは、板東塾出身の税理士さんが、起業の流れについて講義する。第二パートは、グループに分かれた上で商品設計をテーマに話し合う。第三パートは、板東先生の講義。

 塾終了後に会場から10分程度の場所にある、板東先生のビジネスパートナーが経営するレストランを貸し切って懇親会が催される。
 まだ2回目にも関わらず、塾生同士かなり仲良くなっている。私のグループに関しても、池谷さんが主導する形でグループチャットを立ち上げ、4月の塾以降も頻繁に連絡を取り合ってきた事もあり、お陰様で、講義開始までの待ち時間も退屈せずに済んだ。

 講義開始時間になると壇上に起業専門の税理士と称する男性が登壇した。ストライプのオシャレなスーツ姿にオシャレな髪型、オシャレな眼鏡と壇上との距離のお陰で、一見するとスマートに見える男性だが。マイクを持ち話し出すと、一瞬にしてそのイメージが崩壊した。緊張しているせいもあるのだろうが、とにかく硬い。にも関わらず堂々としている風の演技をするものだから、喜劇映画でも見ているかのような滑稽さだ。私の口元が緩んだのも最初だけで、彼も緊張のせいだろうが、上擦るような発声とあまりにぎこちない動きが痛々しい。

 内容も内容で、8割以上がスクリーンに映したスライドの文字をそのまま読むだけなのだが、それすらぎこちない。退屈な上に見ていてイタイ講義を1時間以上に渡って見せられるのだから、こちらも堪ったものではない。最初の30分間くらいは皆我慢して耐えていたのだが、30分を過ぎる辺りから、居眠りする人、スマホを弄り始める人が増えてきた。

 講義の締めで板東先生が壇上に上り、「起業する時は彼に法人設立の依頼をしてあげてください」と宣伝するのだが、この退屈でぎこちない講義を1時間以上も見せられたら、間違いなく彼には依頼したくないと思うだろう。 最後にやたら立派なパンフレットが配られるが、殆どの塾生が目も通さずに鞄にしまった。私もそうした。

 退屈でぎこちない講義が終わり15分の休憩を挟むと、グループワークの時間になった。

 今回のテーマは商品設計。

 グループワークに入る前に、板東先生の弟子が壇上に上り解説を始めた。簡単に言えば、商品の大枠だけ決めてプロモーションを実施し、そのプロモーションにより集まってきたお客さんの意見を聞きながら、商品を作るという流れだ。板東先生の弟子が「集客先行」というキーワードを何度も使っていたが、施術・リラクゼーションというサービスを提供している私の場合はどうすれば良いのだろうか?

 近くに突っ立てスマホを弄っている担当OBに質問すると、「皆で考えてみましょう」との回答。そこで、私の商品設計をどうするか?というテーマで話し合う事になった。既に起業している池谷さんや岡本さんが次々とアイデアを出してゆく。

 池谷さんが「バーチャル整体なんてどうですか?」と突飛なアイデアを出し始めると、担当OBが「まずは正攻法で行きましょう」と修正を図り、「ご本人の強みを引き出しましょう」と付け加えた。

 私が片岡メディカルで経験した事、実績などを説明すると、マグワイヤー君が「コンサルが良いんじゃないですか?」と提案。「それいいね」という皆の賛同でビジネスの大枠が決まった。

 その大枠に当てはまるよう、皆がアイデアを出し合う。

 結局、リラクゼーション事業部マネージャーとしての実績から、院やサロンの集客コンサルを売りにする、という形に落ち着いた。元々接骨院で独立するつもりは無かったので、それが良いだろうと思ったが私に出来るのだろうか? そもそも接骨院経営の経験すら無いのに……。

 心配する私に、担当のOBは「ノウハウ通りにやれば良いだけだから、誰でも簡単にできるよ」とのアドバイス。私が「誰でも簡単に出来る事で、コンサル報酬なんて得られるんですか?」と質問したら、「クライアントが求めているのはそういう事じゃないから」と言われる。

 そのOBによると「経営者って相談出来る人が欲しいだけだから」、「教えるノウハウは内で教えるので」、「悩みさえ解決出来れば、実績とか経験なんて関係無い。僕も板東先生に教わった集客ノウハウをそのままレクチャーしてるだけなのに、お客さんから月20万のお金を頂いているからね」との答え。

 私が「なるほど、そんなんでOKなんですね」と適当に返すと、「ホラ、今こうして僕に相談して1つ悩みを解決したでしょ。大切なのは悩みを解決する事だから」とドヤ顔をされる。

 いや悩みが解決したのでは無い。疑問も解消されてないし、ヒントにすらなってない。単に愛想よく返事しただけ。でも逆に言えば、このOB程度でもビジネスとして成り立っている。それどころか教える側に立っている。

 そのOBが別のグループの席に行った時に池谷さんに「あのOB微妙じゃないですか?」と聞いてみると、池谷さんは頷きながら「板東塾はノウハウが凄いからね。だから彼ぐらいの人でも成功者になれるんだろうね」との答えが返ってきた。

 席の向こうでは、岡本さんがハワイで出会った占い師がどうのという話をしており、それをマグワイヤー君が大いに盛り上げ、大塚さんが愛想笑いをしていた。


40

 グループワークが終わり、休憩時間を挟むと、次は板東先生の講義の時間になった。

 板東先生が壇上に上るだけで会場の空気が変わる。

 今日は、退屈でぎこちない、ひじょうに苦痛な時間からスタートした事もあって、塾生達もどこかだらけていたのだが、先生がマイクをコツコツと叩きながら会場を見渡すと、塾生の背筋が一斉に伸びる。
 続けて「あ~あ~」というマイクテストの声で、塾生の頭の向きが壇上真ん中に立つ先生を基準にピチッと扇状に整列してゆく。整列してゆくに連れて、あんなにだらけていた空気が一新され引き締る。

 本当に凄い。たった1つか2つの挙動で、これだけ人を惹き付けてしまう。

 今日は、大きく分けて3つのテーマについての講義だった。

 1つ目が起業思考と社畜思考の違いについて――。
 簡単に説明すると、起業思考とは自立した人間の思考で、社畜思考とは言い訳の達人共が作り上げた縛りに迎合するしか出来ない人間の思考の事。後者に関しては思考とすら呼べない代物で、ただ合わせるとか乗っかる事しか出来ない。先生が「皆さん、社畜思考の人種とは話し合いなど出来ないと思って下さい」と強調していたが、私の経験からしてもその通りだと思う。

 2つ目が私達のように選ばれた人間は、お金を受け取る事を遠慮してはいけないというテーマだった――。
 いかに私達が言い訳の達人共が作った罠に嵌まっていたかを気付かせてくれるような鮮やかな講義だった。

 幾つか印象に残った言葉を取り上げよう。

「私達が教えることは価値がある。例えばスポーツの超一流選手や経営の神様と呼ばれる人に教わりたくても普通の人は教わることすら出来ない。でも私達の場合、お金を払うだけで教えてもらえる。 略 それも私に限って言えば何億~何十億も稼いだノウハウを、たかだか100万~200万で教えている。それだけ私達は親切な事をしている。本当だったら彼等は感謝しなければいけない立場なのですよ。お金を払うだけで、一流の教えを請うことが出来るのですから」

「オマケしてとか、値段が高い、とか言う連中は、超一流選手や経営の神様に対してお前の技術なんて大したことないんだから教えろよ、と言ってるようなもの。これは侮辱です。こういう連中は絶対に許してはいけません」

「お金を頂くという言葉は使わない事。教えて上げる立場なのだから、お金を払わせて上げるというのが正解です。だってお金を払わせてあげなければ、彼等は私達の教えを受ける事が出来ない。もう、この時点で私達と彼等では立場が違うのです。こういう当たり前の事すら通用しない世の中になりました。言い訳の達人共が、こういう下らない世の中を作り上げたのです。何が、お客様は神様ですか、ああいう馬鹿げた常識を真に受けた連中が社会を歪めてきたのです」

「皆さん、本屋に行って見て下さい。私の本と、他の本、殆ど同じ価格で並んでいる。Aなどという馬鹿げたコンサルタントが書いている本が、私と同じ値段で売られているんですよ。これが現実なのです」

 私の場合もそうだ。誰がサービスを提供しても30分3000円。プロの私が提供するのと、ド素人の派遣やパートが2週間~1ヶ月の研修で提供するサービスとが一緒の値付けになっている。それも、あれだけ結果を出したにも拘わらず「お前は逸脱する」などと言われ掃き溜めに飛ばされる。

 結局、そういう事。世の中は言い訳の達人共の方が圧倒的に人数が多いのだから、連中が有利になるように出来ている。社畜のままで居るとは、彼等の論理の世界で耐えて耐えて耐えて過ごすという事。

 本当によく分かった。そもそも居るべきではない場所に居たのが問題だった。30代になるまで、そんな事にすら気付かなかった私に非があるのだ。でも、逆に言えば、30代前半で気付いて良かった。もし、気付くのが40代だったら……。
 
3つ目のテーマは妨害者との闘い方についてだった。いちいち心に響いた。先生は4段階で対応する方法を教えてくれた。

 第一段階は指摘だけする。指摘するだけで変われる人は選ばれた人間に属する人。第二段階では指導を試みる。指導して変われる人は、選ばれた人間側の素質を持っている人。第三段階では距離を置くこと。彼等には大事な話はしてはいけないし、必要以上に近づいてはいけない。距離を置いた上で、妨害行為をしてこないのであれば、特に問題は無い。

 しかし、距離を置いたにも関わらず、いちいち妨害行為をしてくる連中が居る。第四段階では縁を切る。そういう連中に割く時間は無駄でしかない上に、彼等は人を苛つかせる達人だから、存在そのものが有害。

 先生は、「恐らく、今皆さんの周りに居る人達の8割は第四段階になると思いますが、こういう連中と縁を切る事こそが、成功者の仲間入りをする条件だと思って下さい」と説明したが、私の場合、恐らく9割以上が第四段階になりそうだ。

 いつもより早めに塾が終わると、1人1人に名札が配られた。司会の安西さんの「それでは皆さん懇親会の会場に移動して下さい」という合図で、一斉に塾生が立ち上がる。約10分の距離を、先導するスタッフを見失わないよう、100名以上の塾生がキュッとまとまってついてゆく。 私は大塚さんやマグワイヤー君と共に先導するスタッフのすぐ後ろからついていった。

<続く>

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全29巻のビジネス系物語(ライトノベル)です。1巻~15巻まで公開(試し読み)してます。気楽に読めるようベタな作りにしました。是非読んでね!

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