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02精一杯の努力は「仇」になってしまった【公開】

08(X1年11月)

 自宅マンションに到着する。キレイに整えられた植栽の間を抜けて、マンションのエントランスへ。エレベーターから同じ階の住人が降りてきたので挨拶をするが一切無視される。40代くらいの身なりだけは良い男性なのだが、いつ挨拶をしても無視される。

 たまたま出勤のタイミングが一緒になった時も、私や他の住人の姿を認めるとエレベーターに乗らずに階段で降りてゆく。1年くらい前に引っ越してきた人なのだが、古くからのマンション住人の評判も悪い。

 管理人さんに聞いた話によると、とある有名企業勤務の方で単身赴任だそうだ。会社が分譲賃貸(定期)で契約した部屋らしく、「長居するつもりがないから住人と上手くやるつもりが無いのでは」というのが管理人さんの見立て。

 実際、この男性による身勝手なクレームが多いらしく、この男性が当マンションに住むようになってから、今まで見たことがないような注意書きがマンション掲示板に貼られるようになった。

  • マンション廊下の手すりを傘の先で叩かないで下さい。

  • エントランス部で立ち話をしないで下さい。

  • マンション内の廊下で子供を遊ばせないで下さい。

  • 音を立てて廊下を歩かないで下さい。

  • キャリーケースなどのキャスターが煩いとのクレームがありました。出来る限り音を立てないようにして下さい。

 22年に渡って暮らしているマンションで、今まで、特に子供が出す音に対して、クレームなど発生する事は無かった。そもそもがファミリーが一斉に入居したマンションだった事もあり、皆子供には寛容だった。

 この、感じの悪い男性が引っ越してきてから、やたら具体的で神経質な張り紙は増えるは、濡れた傘を共有部に置かないようにだの、子供の自転車を共有部に置かないようにだの、新たなルールがどんどん増えていった。

 だが、肝心のこの男性。夜中にギターを引き、誰よりも迷惑な騒音を発生させている。

 一度、管理人さんが注意したらしいのだが、「規約に楽器可と書いてありました」と言い張り、「常識で考えて下さい」と言っても一切言う事を聞かなかったそうだ。

 仕方なく、管理組合の方で楽器を弾いて良い時間帯を規約集に追記し、規約集を突きつけた所、「後から付け加えた規則は法律では認められませんよ」などと散々抵抗しながらも、一応は従うようになったらしいのだが、最近も「温かい日に玄関を開けっぱなしにする家があり室内の音が漏れてきて煩い」などとクレームを入れてるらしい。 

 私はこやつに関しては一度成敗しようと考えている。


09

 自宅の号室に到着し扉を開けると、息子の雄大が玄関まで走って来た。抱っこして頬ずりをすると、すぐに走ってリビングに戻っていった。リビングに戻っていく雄大と入れ替わるようにエプロン姿の妻麻子が玄関までやってくる。

「おかえり」
「ただいま」

 二言三言交わすと、麻子もキッチンへと戻っていった。

 そのまま玄関スグ脇にある自身の部屋に入り荷物を置き、着替えを済ませると洗面所へ移動する。シャツや靴下などを洗濯かごに入れ、そのままバスルームに入る。柿渋石鹸を手に取り、足の裏から指の間までキレイに洗い、ついでに顔や手も洗うと、タオルで顔、手、足の順に水滴を拭きバスルームを出てリビングへと移動する。(仕事柄、長時間の立ち仕事に加え、一応は力仕事で汗を多量に掻くので、臭いがキツくなる)

 12畳程のリビングダイニングにカウンタータイプのキッチン、リビングには8畳と約5畳の部屋が接続している。8畳の部屋は麻子と雄大の寝室となっており、約5畳の部屋は収納兼雨天時などに洗濯物を干す部屋となっており、今年の梅雨に購入したばかりの家庭用の除湿乾燥機が置かれている。  

 左側にはカウンターキッチンに接続するようにダイニングテーブルが配置されており、右側にはテレビ、テレビの前には市松模様のジョイントマット(畳み様)が敷かれている。

 つい最近まで革張りのソファーも置かれていたのだが、革張りの沈み込みが大きいソファーだと雄大の姿勢が悪くなるという理由で私が知らないうちに粗大ゴミ行き。私としてはお気に入りのソファーだっただけに腹を立てたのだが、「相談したら絶対ダメって言うでしょ」と返され、その時は仕方なく諦めた。(ちなみに麻子は最近布製のソファーをあちこち見に行ってる)

 除湿乾燥機の時もそうだった。「必要無い」と言ったにも関わらず、麻子の母親が私に何の許可もなく勝手に購入してきたのだ。この時も麻子に注意したのだが、「お母さんが買ってきたんだから仕方ないでしょ」とかわされた。

 今日も、その除湿乾燥機が引き戸の向こうでゴーっと騒音を上げている。

 テレビには深刻そうな顔を作り、わざとらしい前傾姿勢でニュースを伝える男性アナウンサーが映っている。
 その役者なアナウンサーの映るテレビの前に敷かれている市松模様のジョイントマットの上で雄大が遊んでいる、

 おもちゃのロボを駆使してヒーローごっこをしているのだが、雄大が操るヒーローはとにかく弱い。見た目は強そうなはずのロボ型のヒーローさえも、一度も敵に勝った事が無い。ボコボコに殴られ踏み潰され突っ伏した後で必ず助っ人が登場し、その助っ人が圧倒的強さで敵をやっつける。

 敵をやっつけると、ヒーローに対して説教を始める。そしてヒーローが謝罪する。すると、雄大本人が登場し「しっかりしなさいよ」「もっと努力しなさいよ」などと言いながらヒーローを慰める。なぜこんな独特のヒーロー世界を構築するようになったのか不思議で仕方が無い。今日もファッション誌の表紙の女性を助っ人に見立てて、圧倒的な強さで敵をやっつけている。

 いつも通り雄大がヒーローに説教を終えると、丁度夕食の準備が整う。麻子の呼びかけで皆ダイニングテーブルに座った。


10

 妻麻子との出会いから結婚の経緯に関して簡単に説明しておこう。

 麻子は高校時代の同級生で当時は大変仲が良かった。が、仲が良いというだけで特に付き合っていた訳では無い。ただ一度私と麻子が付き合っているのでは?、と噂になった事があった。当時は、そのことを私の所属する柔道部の仲間達に弄られるのが嫌で、頑なに否定していたのだが、今思えば当時から麻子の事が気になっていたのは間違いない。

 麻子の友達や柔道部仲間の画策で、修学旅行で広島に訪れた際に2人きりにされ、凄く良い雰囲気になった事もあったのだが、そんな時に限って訳の分からない地元ヤンキーに絡まれてしまい雰囲気台無し。さらに側の建物で隠れて見ていた柔道部仲間達が助っ人に駆けつけた結果、殴り合い、投げ合い、取っ組み合いの大喧嘩に発展。

 喧嘩では圧倒したものの、その日の内に地元横浜に帰され謹慎処分。向こうが一方的に絡んできたという理由で、停学だけは避ける事が出来たものの決まっていた大学のスポーツ推薦はパーになってしまった。

 麻子との関係性も、卒業後は一旦疎遠となる。麻子は都内の大学に進学。

 私は大学は諦め接骨院の開業資格でもある柔道整復師という国家資格を取得する為に医療系専門学校に進学。進学後は研修という形ではあるものの専門学校に通いながら接骨院で働き始めてしまった為、遊びに誘われても断り続ける羽目になり、気付くと、電話だけでなくメールも途絶えてしまった。

 だが、医療専門学校卒業後、社会人になってから麻子と再会する。

 現会社(片岡メディカル)に所属し私が新橋店でマネージャーとして勤務していた頃。常連のお客さんで、いつも私を指名してくれていた智美さんが、何と麻子の小中学生時代の同級生であると同時に親友だったのだ。(常連になってから半年後くらい後に発覚する)

 智美さんの引き合わせで麻子と再会し、そのまま交際に至り約2年後に結婚した。

 結婚後、2人の関係性自体は良好だったと思う。時々、麻子が勝手な事や、おかしな事をやらかすので、私が一方的にあれこれ叱ったり注意したりすることはあるものの、大きな喧嘩に発展した事は無い。


11

 夕食を終えると雄大が目をこすり始めた。録画した旅行番組を一緒に見ている内に、大きな欠伸をしたので、そのまま寝室に連れて行く。キッチンでの作業を終えた麻子がやってきて雄大を寝かしつけると、あっという間にだらーっと力が抜けて眠りについた。

 寝室の扉を静かに途中まで閉める。5畳の部屋へ移動する麻子の後ろから付いていき、今日の悲劇について一応伝えておいた。

「麻子、ちょっと話しがあるんだけど」
「うん、何?」
「実はさ、今日内示があったんだよ」
「うんうん。あっ、ちょっと扉閉めて」
「分かった」
 静かに扉を閉める。麻子は洗濯ハンガーから衣類を外しながら話を聞いている。
「俺さ、左遷だって」
「えっ、どういう事」
「降格された上に、掃き溜めに飛ばされる事になっちった」。
「えっ」
 麻子の手が止まる。
「えっ、どういうこと? なんで?」
「恐らく報復人事だね」

 私は日頃から会社に対する不平不満を麻子にもぶちまけていたので、報復人事というキーワードだけで、麻子の口から「上の人と揉めたの?」と返ってきた。

「そう。ていうか揉めたのはアホ専務派の連中だね。まあ、年柄年中揉めてるんだけど、多分その報復だと思うんだよね」
 麻子が心配そうな顔をする。
「えっ、大丈夫なの?」
「大丈夫! 大丈夫!」

 私は、私が社内でもトップクラスの成績を上げていること、同期の田尾も報復人事を喰らったが、社長派に救出された事などを説明し、しばらくしたら社長が力を入れている部署に戻れると思うと伝えた。

「そうなの? 本当に大丈夫なの?」
「平気だよ。別にクビになっても、俺だったら転職先幾らでもあるし、心配しなくて大丈夫。ただ、しばらくは我慢の時期が続くだろうから、一応伝えておいたの」

 まだまだ色々質問したさそうな麻子を宥め部屋に戻ったのだが、部屋に戻る私の後ろから麻子が付いてきた。

「ね~、本当に大丈夫なの? あの~、声の大きいラガーマンの上司の人、名前なんだっけ?」
「山田さん?」
「そうそう、山田さんに相談した方が良いんじゃない?」

 山田さんは社内で私が唯一尊敬する人。群を抜いて優秀な人なのに社長の右腕という冠を被せられた上で、社内の下らない内々の問題を片付ける為にその能力を浪費させられている人で、年柄年中揉め事の片付けに奔走している。

「あ~、なるほどね。そうだね。山田さんに連絡しておくよ」
「うん、そうしなよ」
 と心配そうな顔で一言残すと、麻子はリビングへと戻っていった。

 玄関脇の自分の部屋に戻った。

 麻子と雄大の寝る部屋からは、扉3枚を隔てた場所にあるこの部屋。この部屋に入り扉を閉めると家庭の音が聞こえなくなり、同じ住戸内に居るにも拘わらず違う空気が流れているような気がする。出産後、約1年間ほど麻子は実家で子育てをしており、その後、このマンションで暮らす事になるのだが、一緒に暮らし始めて1週間で私の部屋が玄関脇のこの部屋になった。

 今の仕事は夜が遅くなるし朝早い時もある。雄大を起こさないようにと自ら入口脇の部屋に移動したのだが、まるで遠ざけられたかのような気分になる事がある。深夜に帰宅した日などはリビングの扉の向こうに足を踏み入れる事もなく、この部屋と洗面所とトイレの往復だけで全てを済ませ寝る。

 家には帰ってきているのだが、家庭には足を踏み入れてない。翌日が早朝出勤の日、そのまま部屋と洗面所とトイレだけを行き来して、そのまま家を出るから尚更だ。

 部屋に戻ると携帯電話が点滅していた。山田さんからメールが来ていた。スグに返信する。30秒もしない内に次のメール。決算期のため今月は忙しいらしく、来月飲みに行く事になった。


12

 掃き溜めへの異動が決まって以後、スタッフ指導を強化した。サブマネ以下全員のシフトを半日増やし、増やした分を個別指導に費やした。何しろ次の店舗マネージャーは大林。そもそもマネージャーになる資格が無いようなクソみたいな奴が、アホ専務の子飼いというだけで店舗のトップになる。有害でしか無い人物がトップに座る以上、そのマイナスを他のスタッフで補うしかない。

 しかし、改めて考えてみると明らかに理不尽だ。あれだけ結果を出してきたにも拘わらず、なぜ掃き溜めに飛ばされるのだ。幾ら、アホ専務一味の報復とは言え、田尾みたいに社長派が別の事業部に即座に掬い上げれば良いのではないか。なぜ、一旦掃き溜めを経由しなければならない。

 自慢じゃないが、私は圧倒的に結果を出してきた。最初にマネージャーを務めた品川店の売り上げを1.5倍にしたし、次にマネージャーを務めた新橋店だって1.6倍にした。今の渋谷店だってそうだ。売り上げベースでは1.8倍にしたし、全国の売り上げランキングでも常にトップ5位内に位置してきた。それも24時間営業じゃないにも拘わらずだ。(7時~23時営業)

 お客さんアンケートでも高評価だった。東日本で最もクレームが少ない店舗だったし、お客さんのリピート率も常にトップ3。1ヶ月辺りのリピート回数でも常にトップ3。これだけ結果を出してきたにも拘わらず、何でこんな目に遭わなければならない。創業家の兄弟喧嘩に、なぜ私まで巻き込まれなければならないのだ。納得がいかない。片岡メディカルという会社はそもそも理不尽な会社なのだが、今回に関しては理不尽にも程があるのではないか?

 と、ここで片岡メディカルの経営についても、少し説明を加えておこう。

 今から3年前、現会長が社長職を退くに伴い、長男が社長に就任した。社長は元々外資系コンサルティング会社勤務を経て6年前にやって来た人物だ。会長は堅物で有名で、社内ではカタブツ野郎と渾名されていたのだが、この外資系出身の社長はカタカナ野郎と揶揄されている。就任時のコメントがいかにも外資系コンサルが好みそうな横文字ばかりを並べていたのが原因なのだが。

 このカタカナ野郎が、一応勤務歴では上の次男のアホ専務を飛び超して社長になったものだから、次男のアホ専務がぶち切れて、その後社内抗争に突入した。

 昔ながらの体育会気質(というより実際は武闘派気質)の連中達がアホ専務を担ぎ上げるようにして、リラクゼーション事業部の乗っ取りを企み始めると、もはや組織が組織として機能しなくなり、権限を巡る闘いに発展していった。

 アホ専務一味が論外なのは言うまでも無いが、この外資系出身の社長も社長で、会長の意味不明なカタブツさを別方向に反転させたような四角四面な人物で、「血液青色ですか?」と突っ込みたくなるようなドライというよりは冷徹さを発揮している。だから、私もこの社長はどうかと思うし、現場レベルでは社長を気に食わないと感じている人は多い。正直、私が所属する会社、片岡メディカルみたいないい加減な会社にはふさわしくない人物なのだ。

 12月初旬になると渋谷店次期マネージャーの大林が、引き継ぎのためやってくるようになった。引き継ぎと言っても、やることは殆ど無い。部下を紹介する程度で、顧客情報などはサブマネの成瀬君が把握しているので、私がいちいち伝える必要も無い。でも、昔からの慣例という事もあり、一応は1週間に渡って引き継ぎを行う。

 この碌でもないナンパ、セクハラ、無能野郎が、手塩に掛けて育て上げた渋谷店スタッフの上に立つと考えるだけで腹が立つ。その腹立ちを厳しさに変えて引き継ぎというより指導を行うのだが、大林も大林で「あれ、川尻さんは次はどの部署っすか? それとも転職っすか?」などと嫌味を返してくる。

 いや、嫌味どころではない。もはや、掃き溜め行きの人間など怖くないと言わんばかりに、時折タメ語で話しかけてきたり、私の指導に口答えする。私が怒りの表情を浮かべると、「冗談ですよ」と舐めた態度で返してくる。

 嫌な1週間だった。

 本当は会社慣例では引き継ぎ終了後も月末までは元の店舗に顔を出すのが通例なのだが、私はその慣例を無視する事にした。


13(X1年12月)

 引き継ぎを終えて以後、掃き溜め勤務がスタートするまでの間、抗議の意味も込めてサボるつもりだったが、アホ専務の横暴により退職者が相次ぎ、人手が足りなくなったらしく、結局はヘルプという形で千葉、川口、中野、小田原、横須賀、恵比寿、大崎、幕張といった店舗に出勤していた。

 13日連続ヘルプという、半ば労基法違反の助っ人勤務が終わる当日、山田さんと飲みに行く事になり、13日目の幕張店のヘルプを終えると待ち合わせの場所である品川駅へ向かった。 

 JR品川駅の改札を出てスグの柱の前でメールを打っていると、「坊主危ないぞ! 前向いて歩け!」と、とてつもなく大きい声と一斉に声の主に振り向く群衆の姿が周辺視野に入ってきた。

 その聞き覚えのある声に釣られるように顔を上げると山田さんだった。

 大声を浴びた坊主は、どうやら携帯ゲームか何かに夢中のまま、構内の黄色い点字ブロック上を白い杖をつきながら歩いていた男性の真ん前を突っ切った様子。大声を浴びた坊主もキョトンとしているが、白い杖の男性も急な大声に驚いたみたいで「オー」の口をしたまま胸を撫でている。

 間もなく、坊主が何度も頭を下げながら逃げるように改札に走り出し、男性も口を動かしながら軽く頭を下げた。恐らく「ありがとうございます」と言ったのだろう。山田さんは周囲を見渡し、大声に気付きやって来た駅員さんに「この方を向こうまで案内して上げて」とお願いし、「頼むよガハハハ」と笑いながら、改札へと歩き始めた。

 改札を出るとスグに私に気付き、山田さんにしては随分と小さい声で「お~川尻待ったかー」と声を掛けてきた。

「いえ、今到着した所です」
「そっか! じゃあ行くか!」

 二人で品川駅港南口の方へと歩き出した。

 山田さんはとにかく声が大きい。本人も自覚があるので普段は気を遣い小さい声を意識しているのだが(といっても普通の人より遙かに大きい声量なのだが)、ふと意識が外れると大型バイクをふかした時のエンジン音のような凄い声を発する。今はそのエンジン音だけで無く周囲の冷たい視線にも慣れたが、最初はあまりの声量に驚いたものだ。

 元ラガーマンらしいガッシリした体格に、稲荷ずしの角を丸めた四角とも丸とも呼べる楕円顔に、艶々なオールバックの髪型。異様に目立つごん太の眉毛、パッチリした目、たぷたぷの顎。

 社長が、外資系のコンサル会社勤務時代に協力関係にあった会社で山田さんは若くして課長を務めていたそうで、その山田さんに惚れ込んだ社長がコンサル会社勤務時代から「私が実家の会社に戻るときは君も一緒に来て欲しい」と誘い続け、山田さんがその心意気に打たれ今に至る。
 漫画にでも登場してきそうな豪放磊落キャラを地でいってるような人で、にも拘わらず高学歴エリートなのだから人は見た目に寄らない。

 目的のもつ煮込み屋(筑後屋さん)に到着する。40階くらいある高層ビル内で営業する飲食店だが、田舎の古民家風をイメージした内装に、入口の脇にはシンボルとなる木製の水車が電源で回っている。店主だかオーナーだかが福岡の田舎出身で、地元が水車で有名な町だったらしく、この水車だけはどうしても設置したかったのだという話を以前聞いた事がある。それにしても、コンセントの電源で回る水車という、実用から離れた(むしろ逆転した存在になった)水車から一体私達は何を感じれば良いのだろうか? アート? オブジェ? 

 来店する度に、どうも気になって仕方が無い。丘の上の海賊?じゃないが、存在意義を剥奪されてしまうと、どうも滑稽に見えてくる。

 電源で回る水車の横を通り過ぎ店内に入ると、店員さんの元気な挨拶を浴びながら、そのまま一番奥の4人掛けの席に通された。席に座るや否や山田さんはメニュー表を開き、目を細めにしてZの文字を描くように視線を移動させ、すぐに視線を上げるとメニューを閉じ店員さんを呼んだ。

「すいません!」

 板張りの天井に声が反響したのか、キーンという残響音がする。醤油を入れる作業をしていた店員さんが、背中をビクッとさせ驚いた顔でこちらを見る。山田さんが右手を挙げながら「お~い」と呼びかけと、その店員さんが首をすくめ「あ」の口にしながら小走りでやってきた。

「どうかしましたか?」
「注文お願い!」
「あ~、注文ですか」

 どうやら、粗相でもしたかと勘違いしていたようだ。ただの注文と知るとすくめた首が伸び、「あ」の口が端の上がった「い」の口になった。

「少々お待ちください」と言い残し小走りで去って行く。どうやらオーダー端末を忘れたようだ。
「何だ、新入りか?」

 年柄年中飲みに行く店なので、古くから居るスタッフさんは山田さんの大声には慣れている。しばらくすると、顔見知りの店員さんがオーダー端末片手にやってきた。

「いつもありがとうございます」
「彼は新入りさんか?」
「そうなんです。先週から入った子なんです」

 注文をし終えると、山田さんが新入りの店員さんに絡み始めた。最初に志望動機を質問し、次に筑後屋の売りを質問。新入りさんがまごつきながらも、何とかそれっぽい回答を捻り出すと拍手をしながら「君いいね」と誉めていた。


14

 ビールで乾杯をすると、山田さんの奥さんがトレーニングジムに通い始めてからヒップラインが魅力的になったという話。12歳と9歳の娘さんが、声が大きくて恥ずかしいからと、あんまり一緒に出掛けてくれなくなった話。アホ専務の下っ端をおちょくった話。などなど、いつも通り歓談からスタートする。

 歓談が段々アホ専務への愚痴に変わり、山田さんの焼酎が日本酒に変わると、急に声の調子が変わった。

「なあ川尻」
「はい」 
 山田さんにしては珍しく静かな声で腹に響くような声だった。
「お前ヤバいぞ」
「えっ、何がですか」
「お前が掃き溜めに飛ばされた理由だ」
 というと、山田さんが鞄からメモ帳を取り出した。
「いいか、真面目な話だ。よく聞け」
「はい」

 メモ帳を捲りながら山田さんにしては静かな声のまま今回の事実上の降格の理由について説明し始めた。

「お前の所だけ離職率が異様に高い。スタッフからのクレームが異様に多い。配属先を変えて欲しいと希望するスタッフが多い」
「いや、でも……」
「待て待て最後まで聞け」
「あ~、分かりました」
「先輩や後輩からの評判が悪い。もちろん慕っている人も居るが概ね悪い。お前の下には配属しないで欲しいと訴えるスタッフもいる。退職する際にお前に虐げられたと訴えるスタッフもいる。休みの日までお前の一存で出勤させられたという訴えもあった」

 確かに少しは心当たりがあるもものの、納得が行かない部分も多い。

「山田さん、それどうせ、しょうもないスタッフの言い分でしょ。被害妄想ですよ。だって僕のお陰で一人前になれたって感謝しているスタッフもいるでしょ」
「もちろん、全部がダメだとは言ってない」
 グラスを置き姿勢を正すと私は反論した。
「そもそも、本部が使えない奴を配属してくるのが問題じゃないですか。別に僕の下じゃなくてもどうせ辞めるわけだし、それは仕方無いじゃないですか」
「もちろん。普通に辞める分には問題無い。でもわざわざお前に対する恨み節を吐き出しに来るんだぞ」
「そんな事いったらアホ専務派のマネージャーだって同じでしょ」
「だから、アホ専務派のマネージャーで問題を起こしている奴は、現場から外れているだろ」

 確かにその通りだ。でも、彼等はマイナスしか無い。一方私の場合はプラス部分が相当大きい。だって圧倒的に結果を出しているのだから。

「山田さん。僕の指導の結果、出来るようになったスタッフだって多いですよね。それに仲良し小好しのサークルじゃないんですから」
 山田さんが首を横に振る。
「これは仕事ですよ。実力不足のスタッフを居残りでトレーニングさせるのは当たり前です。だって、頂いている給料分すらも貢献してない奴らなんですから」
「お前みたいなスパルタで教育する必要性は無い」
「いやいや、それで成長しますか? 大体、仕事に対する姿勢が舐めている奴に厳しくするのも、叱るのも、説教するのも当たり前でしょ。そもそも使えない奴ばかり採用する本部に問題があるでしょ」
「違うな。だってお前以外のマネージャーは、それでもそれなりに結果を出しているぞ。お前みたいなスパルタ指導なんてしなくても、ちゃんと一人前に育ててるぞ」
 私も首を横に振る。
「いやいや、それは違います。僕は現場で指導しているから分かりますけど、一人前の奴なんて希にしかいないですよ。それに大体ちょっとキツくしたくらいで根を上げるような奴ならば、どうせ将来性が無い奴なのだから辞めさせてあげた方が親切じゃないですか」
 山田さんが首を横に振る。が私は続ける。
「甘くすれば、結局質が落ちる。質が落ちれば客が減り商売が成り立たなくなる。それで苦しむのは誰ですか?」

 山田さんが大きく溜息をつきながら姿勢を正した。

「あのな川尻。お前が個人で経営する院ならばお前のやり方でも構わない」
 諭すような口調になった。
「もちろん、お前が優秀なのは俺だって認めている」
 私は無言で頷いた。
「だけどな。リラクゼーション事業部のビジネスモデルの場合、フリーペーパーを見て応募してくるような全くの初心者であってもだ、2週間~1ヶ月の研修で回るような仕組みじゃないと駄目なんだよ。ビジネスとして成り立たない」
「あ~、まあ」
「お前のレベルを基準にビジネスモデルを組んだら、年柄年中人材不足に苦しむ事になるだろ」
「ええ、まあ確かに……」
「いいか、エリアマネージャーに求められる資質も、お前の考える優秀さとは違う。内のエリマネの仕事はな与えられた役割に対して60点~70点をコンスタントに出すことが大事なんだ」
「ええ」
「お前は逸脱する。逸脱は全体としては困る。勝手にチラシを作って撒くとか、勝手に付加サービスをつけるとか、ああいうのは店舗間のバランスを崩す」
 一瞬反論しようと思ったが、黙って頷いた。
「いいか、内のマネージャー職に求められる資質はそういう事では無い」
「……」
「これがお前が掃き溜めに飛ばされた理由だ。だが辞めろと言ってる訳では無い」

 会社では掃き溜めに飛ばされる=辞めろという合図だとされているのだが、山田さんは副院長にしたのはそういう合図では無いという意味だと説明してくれた。

「ちゃんと勉強し直して戻ってこい。そういう意味だと思ってもらって良い」
「……」

 その後、山田さんの励ましと落ち込んだ私と濃い焼酎と途切れ途切れの無駄話で時間が過ぎていった。筑後屋さんを出て品川駅に向かう途中も、私は落ち込んだままだった。

 別れ際、山田さんに「お前なら大丈夫だ。改めるべき点を改めれば良いだけなんだから、お前だったら出来るだろ」と励まされ「ありがとうございます」と頭を下げたものの、頭の中で走る言葉を前向きな言葉に切り替えるだけの気合いは無かった。

 理不尽な人事の理由は、アホ専務一味の仕業ではなく、どうやら私自身の問題だったようだ。ショックだった。自分は求められている人材では無かった。

 山田さんとの会食を終えた帰リ道。品川から渋谷へ出てTK線に乗った。時間は夜の10時過ぎ。まだまだ立っている人が多い車内。扉の前に立ち、窓ガラスに映る色々な顔を見ていた。9割方が疲れ切った顔をしている。以前は、こういう顔を見下していた。折角貴重な時間を仕事に充てているのだから、なんでもっと前向きになれないものかと。でも今、窓ガラス部分に映る私の顔も同じように疲れている。というより無表情。

 精一杯の努力は報われないどころか仇となってしまった。


15

 自宅のある梅ヶ丘駅で降りる。改札を出て自宅マンション方面へと歩き出す。夜の11時前。妙に寂しい町並みだった。

 自宅に到着すると、音を立てないよう細心の注意を払い玄関の鍵を開ける。同じく音を立てないよう扉を開閉し、こっそり家に入る。雄大はもう3歳で寝付きも良い方だから、小さい頃と違って、そこまで意識する必要は無い気もするが、もはや、この【こっそり】が習慣になってしまった。(ただ一度起こしてしまうと中々寝ない傾向はある)

 リビングはもう暗くなっていた。荷物を置き、足音を立てないよう注意して移動する。なるべく音を立てないようシャワーを浴びる。何か飲みたいと思いキッチンへ向かうが、廊下とリビングを隔てる扉の前で引き返した。

 そのまま玄関でサンダルを履き、音を立てないように玄関扉を閉めて外に出る。マンションを出てスグにある自販機で炭酸飲料と缶コーヒーを買った。

 玄関入口脇の、外からも家庭からも隔絶された自分の部屋でゆっくり飲む。溜息が止まらない。胸の辺りがモヤモヤとする。こみ上げてくるモヤモヤが溜息に変わらないよう、炭酸飲料でモヤモヤを押し流す。何か考えているような顔つきをしているが何も考えてない。

 ただボーッとしている。

 いや、正確には言葉にならないだけで、ネガティブな感情の素みたいな物が錯綜しているからか、ボーッとしているはずなのに頭の中は渋谷の雑踏のように賑やかだ。恐らく、言葉に変えると怒りとか悲しみとかのやり切れない感情に変わってしまうから敢えてボーッとしようとしているのだと思う。

 炭酸飲料を飲み干すとベッドに仰向けになり、天井を見つめる。
 突然、尿意で目が覚めた。知らないうちに寝落ちしていた。時計を見ると、まだ2時だった。その後、2時間置きに目が覚め、いつもの朝になった。
 引き継ぎを終えたので店舗に出る必要は無い。いや、社内の慣行的には出る必要はあるのだが、もはやそんなものはどうでも良い。

 また寝ることにした。

<続く>

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全29巻のビジネス系物語(ライトノベル)です。1巻~15巻まで公開(試し読み)してます。気楽に読めるようベタな作りにしました。是非読んでね!

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