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11もう妨害者に構っている暇は無い【公開】

49(X2年6月)

 一旦は収まった退職ドミノだったが、2週間もしない内に再発した。ここに至って過労からダウンするスタッフが続出したのだ。加えて派遣社員のドロン(突然来なくなる)も重なり、またもやヘルプ地獄に突入した。

 今週は吉祥寺店に張り付きっぱなしだった。店舗マネージャーが過労で倒れて入院したのが原因だ。何でも仕事中にお腹の辺りに激痛が走り病院に運ばれ検査したら結石に過労と診断されたそうだ。(肝臓の数値が異常だったらしい)。 

 ほぼ同じ時期、配属後1ヶ月も経たずに派遣スタッフ2人がドロン。(後ほど売上金をくすねていた事が判明する) さらに不幸な事に、吉祥寺店に配属されている正社員がクソやる気が無い上に使えない奴で、殆ど私が店舗マネージャーみたいな立場で指揮する羽目になったのだ。

 それも、このクソやる気の無いスタッフがミスを頻発。ミスを頻発する癖に反省もしないし謝りもしないしサボる。あまりに舐めた奴だったので、営業終了後にぶち切れたところエリアマネージャーに告げ口。 エリアマネージャーは話が分かる奴だったので特に問題にはならなかったが、このクソやる気の無いスタッフを現場から外してもらったところ、尚更現場が手薄になってしまったのだ。にも関わらず、その後のフォローが一切無し。

 担当のエリアマネージャーも随分と本部に掛け合ったみたいだが、結局そのエリアマネージャーと、昨年寿退社したエリアマネージャーの奥さん(元リラクゼーション事業部のスタッフだった人)がフォローする羽目になる。

 そのエリアマネージャーは24時間営業の他店の深夜時間をフォローしている事もあって、もう見るからに過労で疲弊しているのが分かる状態。一度、過労と不眠のせいで、お客さんにマッサージしたまま気を失い膝から崩れ落ちるという事態が発生。まあ、要は仕事中に寝落ちしてしまった訳だが、その同情して然るべき失態を、本部から咎められたという話を聞き、流石に頭に来て本部に電話してブチ切れたのだ。

 アホ専務派ではない本部のスタッフが対応してくれたものの、人員補充の要請への対応が遅い上に言い訳に終始。あまりに腹が立ったので、翌日、直接本部に怒鳴り込んだ。もう、どうせ辞めるので、幾らでも強気になれた。
 アホ専務派の本部スタッフと言い合いになり、掴み合い寸前の所で、別のフロアから山田さんとかつての上司金子さんがやって来て仲裁。最終的には山田さんと金子さんに両脇を抱えられ本部の外へと連れ出された。連れ出される間も、アホ専務派の本部スタッフに「テメー覚えておけコラー!」「ぶち殺してやるかな」と叫んでいた。
 諸悪の根源のクセに高圧的な態度を取りやがったものだから許せなかったのだ。

 事務所の外へ連れ出された後も怒りが収まらない私を、金子さんが眉毛をハの字にしながら宥めていた。一方、山田さんは「やるなお前! 次はアホ専務のところに直接突っ込むか! ガハハハ」と面白がっている。

 しばらくして、怒りも収まると、金子さんに「ご迷惑掛けてすいません」と謝った。金子さんからは「川尻、本部には殴り込まないでな~。頼むよ~」と哀願された。

 一騒動終わると、山田さんに「丁度良い、川尻飯行くぞ!」と誘われ、近くの定食屋に出掛けた。
 定食屋で飯を食いながら、不満をぶちまけた。山田さんは「今に始まったことじゃないだろ。ガハハハ」と笑っている。不満をぶちまけるだけぶちまけると、その勢いのまま、「来月か再来月には退職する」と伝えた。

 一応、1ヶ月前に電話で、「今年中に辞める予定です」と伝えておいたので、山田さんも驚いた様子は無かった。だが山田さんにしては静かな声で、「そうなのか。でもそれまでは頼むな。俺は頼りにしているからな」と言って少し寂しそうにしていた。

 その後、社長命令で山田さんがリラクゼーション本部に介入。
 全店の2割くらいある、24時間営業、深夜営業をやめにし、アホ専務一味が無駄に広げた店舗を撤退させ、やっと一段落。ヘルプの回数も、あっという間に週に1回、多くても2回程度にまで減った。

 後日、担当エリアマネージャーから電話があった。当時は、本当に倒れる寸前だったそうだ。「川尻さんのお陰で助かりました」、「ブラックからダークグレーに戻り大分楽になりました」と感謝されたので、本当に限界だったのだろう。

 後日、大井町接骨院宛てに、奥さんから「国定忠治の焼き饅頭」が一箱届けられてきた。添えられていたお礼の手紙の追伸に「私も内部事情を知るだけに、主人には転職を進めてます。もし宜しければ相談に乗って上げてください」と書かれていた。


50(X2年6月)

 山田さんに「来月か再来月で退職します」と伝えて以後、起業準備を進める事にした。退職届けを書き封筒に収めると、いつでも出せるようにと鞄に入れた。

 次に、インターネットで貸事務所を検索した。そこそこ良いビルに事務所を構えるとなると、結構な額が必要になる。特に、渋谷や新宿や恵比寿といった好立地の場合、1ルーム部屋くらいの広さでも、2LDKの家賃くらい必要になる。

 雑居ビルであれば、中には月10万を切るような貸事務所もあるが、構えという意味ではしょぼい。まあ、最初は雑居ビルの1室からスタートするしか無いのかもしれないが、どうせスグに成功軌道に乗るならば、二度手間を省く為にも、最初からそこそこ良い物件を借りた方が安く済むような気もする。とは言っても無い袖は振れない。

 東京は高すぎるので横浜を調べてみる。横浜だと月20万くらいで、関内や桜木町で、そこそこ良い物件が結構出てくる。それも、トイレや給湯も別になっており、中には大手企業の営業所が入ってるようなビルにも拘わらず、月20万を下回る値段で借りる事が出来る。

 横浜に事務所を構えるのもありだなと思った。

 その後は、インターネットで応接セットを眺めたり、内装工事業者のサイトでオフィスレイアウトの事例を見たり、オフィス向けの棚やデスクなども調べてみた。もちろん、最初から、大きく始めるのは無理な事くらいは分かっている。でも、こうやって経営が軌道に乗った後をイメージする事でモチベーションが上がるし、いよいよ未来に向けて大きな一歩を踏み出すのだと思うとワクワクする。

 だが、すぐに「あれ、俺どんなビジネスするんだっけ?」という疑問が浮上してきた。何しろ接骨院をやるつもりは無い。一応はコンサルっぽい事をしようかと思っているのだが、そもそもコンサルって何をすれば良いのだろう? 
 まあ良い。それは板東先生や板東塾のOBに相談すれば良い。今は、とにかく前へ前へ進もう、そう自分に言い聞かせた。

 翌日には戸田に紹介してもらった税理士さんに電話で相談した。

 最初から法人を立ち上げる方針で準備を進める事に決まった。資金調達についてのアドバイスを受け、自治体の融資を受ける方向性で決まる。が、「その前に事業内容を明確にして下さい」と言われた。相談後に、事業内容について考えてはみるのだが、どうも良いアイデアが思い浮かばない。

 暇な時間に事業アイデアを絞り出してはみるのだが、コンサル、マーケティング、付加価値ビジネス、などといった抽象的なワードは幾らでも思い浮かぶのだが、具体的なビジネスモデルとなると、考えている内に結局、トレーナーとか整体院の経営といった、今の延長、それもすぐそこにあるイメージしか思い浮かばない。

 少し頑張って頭を働かせて、コンサル的な仕事の具体例なども捻り出し、色々ノートに書き出してみるものの、事業として実現可能かどうか、そもそも自分に出来る事なのかが分からない。

 最後に残るのは、接骨院か整体院の開業計画。やっぱり最初は出来る事からスタートした方が良いのだろうか? 

 一応、その線でも考えてみる。

 接骨院は「保険診療で儲からない」から却下。となると残りは整体院なのだが、よくよく計算してみると、整体院も大して儲からない。大体、相場は1時間5千円程度。1日10時間働くとしても(10時間は働きたくないが)5万円。5万円×週6日で30万円。30万円×4週間で120万円。そこから諸経費を引くとして……。 
 どう考えても年収1億どころか、1千万円すら厳しそうだ。一体、戸田はどうやって稼いでいるのだろうか? そういえば、「経営者だから、何も店舗だけで稼ぐ必要は無い」みたいな事を言ってたような気がする。となると、やっぱりコンサルみたいな事をしているのだろうか? でも、戸田がコンサルなど出来るのだろうか?

 しかし、具体的な事を考えると、考えが整理出来てないせいもあるのだろうが、どうもモチベーションが下がる。でも、具体的な事を考えもしない内に退職に独立……?
 まあ、いい。退職後に考えよう。今、考えても仕方ない。実際に動いてみなければ分からないものだ。


51

 そろそろ麻子も説得せねばならない。来月、再来月に退職すると決まった以上、それまでに何とか説得せねばならない。少しずつ説得に向けて行動に移すのだが、これが中々手子摺りそうだ。最初に「起業しか選択肢が残らなそうだ」と遠回しな言い方をして様子を見るつもりだったが、初っ端から激しい抵抗を受けてしまった。

 上司や本部に「真意を訪ねて見た方が良い」だの、「山田さんにもう一度掛け合ってみた方が良い」だの、今までと給与が変わらないのだから「クビ宣告とは限らない」だのと反論され、こちらの狙い通りに進みそうにない。

 ここ最近のヘルプ地獄は会社から「早く辞めろの合図」だと伝えるが、それも「上に確認した方が良い」だの、他部署のヘルプに駆り出されるのは「普通は頼りにされてる証拠じゃないの?」だの、前もヘルプ地獄で他の店舗に行ってた事があったが「その時はそんな事言ってなかったでしょ」だの、と抵抗され、「勝手に決めつけない方がいいよ」などと偉そうにアドバイスしてくる。

 仕方なく、「心配するといけないから言わなかったけど、実はもう退職に向けての話し合いが進められちゃってるんだよ」と伝えるが、「それは向こうが言ってきたの?それともあなたから言い出したの?」と中々痛いところを突いてくる。

「双方話し合いの上で決まった」と伝えるが、「だったらあなたが拒否すればいいんじゃないの」と私の気持ちなど無視して社畜を続けろと言ってくる。

 終いには、「軽々しく決めない方がいいよ。最近知り合った変な人じゃなくて、昔からあなたの事よく知ってる人に相談した方がいいんじゃないの」と上から目線で言われる。私も「何どういう事だよ。何が言いたいんだよ。ハッキリ言えよ」と強めに返す。いつもなら、これで引くはずの麻子だが、「私変な事言った? ごく普通の事でしょ」と平然と返される。

 イラッとして、荒い言葉が出掛けたが、ぐっと飲み込み、「そうだね。そうか。そうだね。もちろん、まだ選択肢の1つであって決まった訳ではないから、もし決まった時はちゃんと相談するから」と適当に流そうとしたが、「決まる前に相談してね」と釘を刺される。
 「OK!」と笑顔を作り、その場を去り、自分の部屋へと戻るのだが、「決まる前に相談してね」と言った時の、不安と反抗が混ざったような目つきからして、間違いなく反対するつもりだろう。

 所詮、あいつも妨害者。

 これだけ理不尽な目に遭い、やっと自分の進むべき道を見つけたにも拘わらず、一番そばに居る人間が妨害者。もちろん、不安なのは仕方ない。でも理解に努めるつもりすら無い。身勝手にも会社と和解しろみたいな事を遠回しに言う。
 こうなったら仕方ない。一旦、既成事実化して押し切ってしまおう。その上で、後から指導すれば良い。あいつもバカではないはず。キチッと教育すれば、理解も追いつくだろう。それに、どうせ私が成功すれば、結局は過去に反抗したことなど忘れて、何事も無かったかのように擦り寄ってくるだろう。

 そうだ、援軍を作っておこう。うってつけな人が居る。高山先輩だ。高山先輩ならばコンサルやってるような人だし、独立にも理解があるはず。高山先輩が説得すれば、多分あいつも理解するはず。


52(X2年6月)

 高山先輩に連絡し、後日相談に乗ってもらう事になった。

 高山先輩は都倉経営というコンサル会社に所属。社内でも優秀な人で30代にして役職に就いている。私からすると、小さい頃から本当によく遊んでもらっていた単なる幼なじみの近所のお兄ちゃんで身近な人なのだが、本なども出版している為、世間的には先生という扱いになっている。

 先輩とは小学校のサッカークラブ、中学校のサッカー部(1年半だけ)も一緒で、最も仲が良い先輩だった。私が騒動を起こしサッカー部をクビになるまでは、それこそ、毎日一緒に居たような間柄だったのだ。と、ここで騒動から、私が柔道部に移るまでの経緯を簡単に説明しておこう。

 私は元々、小学生の頃から、高山先輩と一緒の地元のサッカークラブに入っていた。中学ではサッカー部に入部し、1年生の頃からレギュラーで、一応は上手な部類に入る選手だった。しかし、代替わり直後の中学2年生の秋。対外試合でヤンキー校と揉め、帰り道で待ち伏せされ絡まれるという事件が発生。空威張りヤンキー8人を仲間3人と共に仕留め、大乱闘に勝利し武勇を轟かせたものの、顧問、担任、学年主任、各学年の体育教師に、通称体罰部屋に呼び出されビンタ7発喰らった挙げ句に主犯格という烙印を押され私だけ強制退部の憂き目に。

 ただ、私の武勇を耳にした柔道部の主将から熱烈に誘われ柔道部に入部。ここから私の柔道人生が始まる。
 一方、高山先輩は大学まで体育会サッカー部。大学時は強豪校で主将を務めていたようなリーダシップのある人なのだ。私と高山先輩は、ただ仲が良いというだけでなく、私と麻子が結婚する際に仲人役をお願いした縁もある。そんな先輩を味方につければ、麻子の考えも変わるに違いない。
 そもそも、過去にも何度かあるのだが、全く同じ意見であっても、私が言うと素直に聞き入れないのに、高山先輩が言うとすんなり聞く。私としては、麻子の人によって態度を変える辺りが、どうも気に食わないというのもあるのだが、この場合は仕方ない。その、人を選ぶ性格を逆に利用させてもらうとしよう。


53

 久しぶりの休日。高山先輩とは横浜駅の改札前で集合した。
 そのままデパートのレストラン街にあるカフェへと移動。やたら混雑するカフェで、身なりの良いマダムで店内はいっぱいになっていた。コーヒーとパスタを注文し、しばらくは共通の知人の話で盛り上がり、先輩の「何か相談があるんだろ」という一言で本題へと移った。

 私は、会社で事実上の解雇宣言を喰らった事(実際は違うのだが)、独立を決意した事、既に準備を進めている事などを熱を込めて話した。話の途中から高山先輩の目つきが鋭くなり、話し終えると「幾つか質問していいか?」と言われたので「はい」と答えた。

 以後、先輩から、かなり意地悪な質問を浴びせられる。
「独立して何やるんだ?」
「それは、これから決めるところです」
「えっ、何をやるか決まってないのに起業ってどういう事?」
 私は、現段階では何をやるかは明確には決めず、退職後に色々勉強した上でどんなビジネスをやるかを決めると伝えた。
「いや、あのな、決意は誰でも出来るんだけどな、何をやるか決まってないのに準備を進めてどうするんだ?」
「もちろん、大凡の方向性は決まってます――」
 私は、会社での実績を元にコンサルタントとして活動する方向性で考えていると説明した。

 高山先輩から、「実績って?」と質問されたので、私は自分がマネージャーを務めてきた店舗を1.6倍~1.8倍の売り上げにした事、その努力の過程で得られたノウハウがあると説明した。「でも、立地は渋谷とか品川とか新橋だろ、お前の能力だけで1.8倍では無いだろ」 私は反論した。が、高山先輩に詳細に質問され、店舗のリニューアルでベッド数が増えたこと、営業時間が長くなった事などを伝えると、「それはお前の力じゃないだろ」と否定されてしまった

「雄輔、あのな、片岡メディカルのビジネスモデルはな、ターゲット層がターゲット層だから、マネージャーの努力だけで、そんなに差が出るようなモデルじゃない。余程酷ければ別だけどな」 
 私は反論した。
「いや、でも、それだったら他のマネージャーだって、自分と同じように結果が出てないとおかしいじゃないですか」
「もちろん。だからお前の貢献はゼロだなんて言ってないだろ」
「あ~、なるほど」
「それに、ビジネスモデルを作ったのはお前じゃないだろ。作るのと管理するのとは全く別能力だぞ。まあどこかのFCにでも加盟してやるなら話は別だけどな」

 結局、最後まで私の実績について認めようとしなかった。

 続いて高山先輩は「麻子ちゃんは賛成なの?」と質問してきた。私は麻子は「賛成はしてない」と答えた。が、高山先輩からは「それは今の状況だと反対って事か?」と聞かれたので、私は「はい。あいつは実家の父親が独立して失敗してるから過剰に恐れている」と答えた。

 高山先輩が眉間にしわを寄せ首を傾げる。以後、質問というより追究が厳しくなった。

「でも、いずれ開業がゴールになるような仕事だから賛成してるって、随分前に言ってなかったか? 何で今回だけ過剰に恐れてるんだ?」
「あいつ最近おかしいんですよ。妙に臆病になったんですよね。何を言っても反対から入るんですよ」
「何で臆病になったんだ。心当たりは無いのか? その理由をしっかり聞いた方が良いんじゃないか? 家族が反対してるのに独立なんてしたら、精神的にキツいぞ」
「いや何かちゃんとした反対の理由があるわけじゃ無いんですよ。ただただ反対なんですよ」
「麻子ちゃんは結構賢いからな、そんな事ないだろ。何か理由があるだろ。それを聞いてみたらどうだ?」
「いや、もう聞く耳を持ってないんですよ――」
 麻子が、起業という特殊な世界について全く知識も経験も無い事。一般常識に囚われてしまっており自分の理解の範囲を超える事に対して過度に怯えている、などと説明する。

 しかし、高山先輩からは厳しい反論を喰らった。
「あのさ、お前も起業については初心者だよな」
「いや、でも自分は勉強しています」
「勉強すれば成功出来る世界なのか?」
「はい、すぐに成功出来ると思います」
 高山先輩が眉間にしわを寄せ先ほどよりも大きく首を傾げた。
「いや~。俺が見る限り、今のお前だと厳しいぞ」

 納得がいかなかった。私は起業塾の中でも自分が優秀な部類に入る事、能力的にはごく平凡な友人の戸田ですら成功者になっている事などを挙げる。
「その戸田君ってのは何の商売やってるの」
「戸田は接骨院とかサロン?とかを経営しているって聞きました。他にも色々やってるみたいですけど、多分ですけど戸田よりかは経営能力はあると思います」
「あれ、だってお前コンサルで起業するんじゃないのか? 戸田君の事業とは求められる能力が違うだろ」
「ええと、あ、もちろん、敢えて比較したらって話ですよ」
「敢えて比較ってどういう事?」

 意地悪な質問だ。わざと答えにくい質問をしてくる。私が、「あ~」と言いながら回答に困っていると、先輩が次の質問を投げてきた。
「大体、コンサルって何を教えるんだ? そんなノウハウあるのか?」
「はい。あります」
「どんな?」
「塾からノウハウをもらえます」
「ふーん」
「それに自分の場合、会社での経験もプラス出来るから、むしろ向いていると思いますよ」
「それは、他のコンサルも同じだよな。皆自分が得意な業界に進出するからね」
「あの~、まあただ、自分の場合は実績があります」
「業界上がり系のコンサルは皆そうだぞ。言っとくけど、そんな甘い世界じゃないぞ。もう少し自分を磨いてからの方が良いんじゃないか? お前の場合、余計なものを削ぎ落とした方が良いかもな。物事に対する姿勢がそんな感じだとコンサルなんて出来ないぞ」
「まあ、それはこれから勉強します」
「勉強しても身につかなかったら?」
「それは塾でちゃんとフォローしてもらえるので」
「塾に通った奴は皆身についてるのか?」
「いや、それは……」
「お前だけは絶対に大丈夫そうなのか?」
「まあ、自信はあります。正直、周囲の奴等はそんな大したこと無いんで……。はい」
「ふーん」
「まあ、でもコンサルだと無理そうだった場合は、整体院経営とか接骨院経営とか違う取り組み方もあるので、そこは臨機応変にやろうと思ってます」

 先輩が、訝るような表情を浮かべながら、先ほどよりもさらに大きく首を傾げた。
「ん~。まあ分かった。相談って言われたから敢えて少し厳しく質問してみたけど、よく考えた方がいいぞ」
「あ~、はい」
「じゃあ、相談は終わり」

 その後は、起業とは関係無い話で時間を潰し先輩と別れた。

 完全に目論見が外れてしまった。

 高山先輩だったら理解して応援してくれると思ったが、かなり意地の悪い質問をされた。そもそも、これから参入するのだから、事前に何をやるかなど分かっているはずがない。板東先生だって、セミナーや著書で「ビジネスモデルなど、その時々に儲かりそうな対象にチャレンジしてみて、試行錯誤しながら見つけるものです」と仰ってたし、「臆病者に限って事前の計画に時間を費やす」と仰ってた。そもそも、そういうものだろう。

 先輩も、以前だったら、あんなネガティブな意見は言わなかったと思う。結局、大手のぬるま湯で過ごしている内に、組織の力学に妥協し続けている内に、社畜思考に染まってしまったのだろう。環境は本当に大事である。どれだけ優秀な人物であっても、身を置く環境が駄目ならば、結局は駄目な方に染まってしまう。本当に今気付いて良かったと思う。私だって、この会社に居続けたら、妥協し続けたら、間違いなく駄目になってしまう。

 急ごう。もう時間が無い。どんどん進めて行こう。さっさと成功すれば良い。その自信はある。もう、ああいう妨害者に構ってる暇は無い。もう32歳。躊躇している内に時間はどんどん過ぎていく。そして、気付くと手遅れになってしまう。

 もう、強引に推し進めていこう。 改めて、そう決意した。

<続く>

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全29巻のビジネス系物語(ライトノベル)です。1巻~15巻まで公開(試し読み)してます。気楽に読めるようベタな作りにしました。是非読んでね!

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