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 ボクが通った高校は上野にあったので、アメ横、御徒町、秋葉原辺りはいつも遊ぶ場所だったし、服を買いに行くのもまたこの辺りだった。不思議な縁で、そんな上野は最近はタイにおける日本旅行ブームの中で人気の場所になっていた。浅草の方が人気がありそうな気もするが、タイ人の日本観光の大きな目的はショッピングなので、アメ横、そしてその周辺のホテルが人気になる。

 しかし今はご存知の通りの状況であり、タイは外国人観光客を一切受け入れていない(今月から徐々に緩和が始まっているが)。フライトがカーゴ以外は基本ないという状況なので、逆に言えば日本に観光に行くタイ人もいない。日本国内では例のウィルスを押さえ込んでいることに成功しているニュアンスで報道され、対策も進んでいるように見えているが、海外、特に東南アジア各国は日本の状況を危険視している。こうなれば、自由に行き来ができると言われたところでフライトがあっても行く人は少ないだろう。

 いずれにしても、アメ横も外国人観光客の買いもので成り立っていた業者もあろう。一体いつになったらタイ人を始めとした外国人が戻ってくるのだろう。

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 一時期の上野のタイ人の数はすごかった。聞こえてくる外国語の大半がタイ語で、特にシューズを探している人が多い印象だった。2015年前後かそれ以前のころ、タイでニューバランスとオニツカタイガーが大流行した。タイにも輸入され専門ショップもあったが、タイ人の小金持ち以上の層が、これらのブランドは日本だとタイにないものがあるとこぞってアメ横などに来て探したのだ。

 実際、アメ横のアメカジの店で話を聞いたことがある。2016年に日本国内の免税制度が改正されたことで外国人観光客を対象にする一般的な服飾店も免税店登録をするようになった。そのアメカジの店もそうで、どういった事情で免税店にしたのか聞いたのだ。ボクが中学生のころからある店なので、理由を知りたかった。

 すると、その店はフィリピン人が多いとのことだった。ジーンズやバッグなどが人気で、同じブランドの正規店がフィリピンにあるにも関わらず、ブランドによっては日本にしかないモデルもあって、そういったものを着ることがひとつのステータスになっているため、外国人客が増えていると言った。

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 あるタイ人はゲームやアニメオタクだと言っていた。彼は秋葉原を中心に歩き回り、そのときは彼女を連れて日本に来たので、服を探しにアメ横を案内しているところだった。何度も東京に遊びに来ていて、買いものはアメ横、御徒町の多慶屋、秋葉原でしかしないので、泊まりは上野なのだと言っていた。ゲームもたとえばプレイステーションの本体がタイにはないバージョンがあるのだとか。

 ボクの高校時代の同級生の幼なじみが上野の東口でホテルを経営している。

 この上野NEW伊豆ホテルはタイの口コミサイトから広まり、タイ人観光客から支持されるホテルだ。駅から徒歩5分、ホテルの下にはコンビニと、あまり金をかけられない若い旅行者にはうってつけの立地条件が揃い、タイ人から絶賛されている。

 こういったホテルが上野などにたくさんあるなど、東京には日本人よりもタイ人に人気の宿泊施設が少なくない。しかし、そういったタイ人に人気だったホテルは今厳しい。なにせそんなタイ人たちが外に出られないのだから。

 かといって、タイ人の日本旅行ブームが終わったわけではない。この騒動が収まったら行きたい外国に日本を挙げる人が少なくない。日本旅行ブームに水を差されてしまったが、熱まで冷めたわけではないのだ。

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 そんなアメ横もだいぶ変わったなと、日本を歩くたびにボクは思う。ボクが高校生の時代、あるいは中学生時代だから90年代前半である。もう30年も前なので変わるのは当たり前だけれども、ざっと見て思うのは、服屋が減って、飲食店が増えた印象だ。

 アメ横センター辺りは狭く場面を切り取るとまるで中国かのような雰囲気を醸している。確かに以前から外国の食材を扱う店がこのビルの下には多かったような気がするが、線路側はより怪しくなっているし、不忍池側はケバブを売る変な中東人ばかりだし。

 ファッション系の店も日本語ができない黒人が急増した。たぶんアフリカ系だ。原宿の竹下通りもやたら黒人が多かったころもあったが、アメ横がそんな雰囲気になりつつある。あれは外国人客向けなのか、黒人が売っていればお洒落に見えるだろうと思ってのことなのか。

 怪しい外国人が多いのはアメ横の昔ながらの姿でもあるけれども。ボクが高校生のころはイラン人が大盛況の時代だった。年代的なこともあってか、なぜか彼らはケミカルウォッシュのジーパンにMA-1のジャケットを羽織っていた。2000年代前半にバンコクのカオサン通りで日本語ができるイラン人と話したら、90年代に上野でぶらぶらしていて、竹ノ塚に住んでいたと言っていた。

 このイラン人たちは上野でなにをしていたのか。犯罪絡みのことをしていた不法滞在者も少なくない。その中で一番知られていたのは偽造テレフォンカードだ。懐かしいな、テレフォンカードという響き。

 若い人はもう知らないでしょう。テレフォンカードは公衆電話で使うもので、残高の部分に針で穴が開けられるのだけれども、そこを金色の磁気テープかなにかで埋めて再利用したもの。もちろん違法に、である。テレフォンカードは500円と1000円があって、500円分の偽造カードを何枚か束で安く売っていた。

 ボクなんかは年齢的にも公衆電話を使ってまで電話をかける相手なんかいなかったから買ったことはなかったが、今考えると誰があんなの使っていたのだろう。

 ボクの通っていた高校は制服がなかったので足がつかないという事情もあり、ときどきイラン人をからかって逃げるという遊びをしていた。結構本気で追いかけてくるのでスリルのある遊びというか、幸い捕まらなかったからよかったものの、捕まったらどうなっていたことか。

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 タイ人もファッションに興味がある。と言っても、アメ横であってもやはりタイ人ウケするものでなければならない。だから、アメ横で飲食店が増えてしまったとしても、まあその方がほかの国の人も含めてわかりやすいのかな。気に入っていた服屋が、立ち飲み屋になっていたのはちょっとショックだった。

 この、ミリタリーグッズのショップとしては日本で一番有名な中田商店なんかはボクにとっては思い出がありまくりの店だが、タイ人にはウケない。タイは徴兵制度があるし、中高でも軍事教練があるくらいなので、ミリタリーは微妙なラインになるからだ。

 ボクも中田商店でミリタリーパンツはもちろん、バイクに乗っていたころは金を貯めてB3フライトジャケットを買った。アヴィレックスとかが高かったのかな、確か。10万円を超えていて。だから無名のブランドのを買った。それでも5万円以上したと思う。ボクは歳を重ねるごとに年収が減るという、普通とは逆の道を歩んでいるので、懐かしい思い出である。

 B3はさすがにタイでは着られないが、実家にはまだあるんじゃないかな。タイにあったところで、そこそこに細かったときに買ったものだから、今は着られないだろうが。

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 この御徒町に向かう道はあまり変わっていないかな。でも、中国人向けの海鮮丼屋がやたら増えたかな。菓子問屋は前からあったと思う。裏手の飲み屋も昔と変わらず。

 この通り沿いに毎日閉店セールをしている店がある。革の財布やバッグを一律3000円くらいで売っていたはず。ボクの妻が気に入って何度か行った。2019年も確か元気に閉店セールをしていたが、ボクが知る限りでは2010年ごろからやっている。もし記憶違いでなければ高校時代も見たような気もするから、そうだとしたら90年代からやっているのかもしれない。

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 変化するアメ横だが、こういう変化しない店もある。案外、ガード下にある、時代遅れの店は全然変わっていなかったり。オジサンファッションや不変のデザイン的な革財布だとか、そういう店はなぜか長生きしている。だからアメ横はおもしろいのかもしれない。

 こういう状況なのでタイ人はまだしばらくは戻らないだろうな。現状のニュースでは日本人のビジネス関係者を優先して出入国させる話になっているようだが、タイから日本に遊びに行く人はまだまだ出ないと見られる。年内に行き来が再開するのかどうか。そんなところだと思う。

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