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【黄金の国ジパング】古代の植物や生物から考える当時の地形や文化~上巻~

~ かって我々の住む国日本は「黄金に輝く美しい稲穂が地平線まで続く」美しい国だったようだ~

 古事記の記述によると、日本は「豊葦原の瑞穂の国 (とよあしはらのみずほのくに)」とされている。意味は、豊かな広々とした葦原のように、瑞々しく美しい稲穂が実る国とい意味だろう。
 当時の地形と現代の地形では、かなりの違いがあると思われるが、現代の沖積平野のほとんどが、氾濫河川敷や葦原の低湿地だったと考えられる。その条件からも美しい瑞穂(みずみずしく美しい稲穂)の国だったのである。

【稲も大切だけど葦(あし)も大切】

 それでは、上に出てくる葦ってなんだろう?時代の流れで神話とかで聞いた事有るけど・・・・ん~???という人も今時は多いかもしれません。蘆という植物を見分けられる人もたまにしかいないんじゃないかしら?多摩川の河川敷に私は自生している場所を見つけましたが、現代では注意してみる人も余りいないのでは?と思うんですよね。
 しかし、この葦という植物は非常に米作と密接な関わりがあったようでした。
【葦原の広がる低湿地は、栄養豊富な止水域である。】
   ( 'ω'o[ なんで葦原は栄養満点なの? ]o
 
栄養豊富な理由は葦という植物を深く知ると理解できます。それじゃあ葦って何?という話をして行きたいと思います。

あし【葦・蘆・葭】
①イネ科の多年草。世界の温帯および暖帯に広く分布し、水辺に群生する。根茎は地中を長くはい、茎は中空の円柱形で直立し、高さ二~三メートル!!に達する。

Wikipediaより参照

※これは蘆農家の方が葦を刈っている実際の様子だそうです。人間とどれだけ高さが違うか?よくわかる画像ですね
葉は長さ約五〇センチメートルの線形で縁がざらついており、互生する。秋、茎頂に多数の小花からなる穂をつける。穂は初め紫色で、のち褐色にかわる。
温帯から熱帯にかけての湿地帯に分布する。
 
主として河川の下流域から汽水域上部、あるいは干潟の陸側に広大な茂み(ヨシ原)を作り、場合によってはそれは最高100haに及ぶ。根本は水につかるが、水から出ることもあり、特に干潟では干潮時には干上がる。水流の少ないところに育ち、多数の茎が水中に並び立つことから、その根本には泥が溜まりやすい。このように多くの泥が集まり蓄積する区域は、分解が多く行われる場所でもある。

【栄養豊富の答えはこの泥に有り!!】

その茎は多くの動物(鳥等)の住みかや隠れ場としても利用される。泥の表面には巻き貝やカニなどが多数生息。アシハラガニはこの環境からその名をもらっている。
※アシハラガニって私実物見た事ないですが、結講大きいみたいですね。動きも小さいカニより緩慢ならしいので、捕まえ易そうですし、子供とが喜びそうな生物です♡

大阪市立自然史博物館友の会様より引用写真

 このように、多くの分解が行われ、多くの水生動物のよりどころとなる芦原は、自然の浄化作用の上で重要な場所であり、野生動物と環境保護に重要な植物群落であると言える。また、このことから釣りのポイントの一つでもあるマコモダケと葦は近親種です。マコモにも同じように水質浄化がありましたね。

近年ヨシ原は、浅い水辺の埋め立てや河川改修などにより失われることが多くなり、その面積を大きく減らしている。なのでヨシ原を取り戻そうという動きもありますが、マコモダケも同じように見直され、頑張って増やそうと試みている団体も有るようですね。
古来から、日本では、マコモダケから採取した黒穂菌の胞子 をマコモズミと呼び、●お歯黒●眉墨●漆器の顔料などに用いられてきた。古くは『万葉集』『古事記』にその名を残している

【古の日本人と葦の関係】
葦は古来から親しまれた植物である事から色々な文献にもその関係は記録されいます。例えば・・・・如というお坊さんの伝説にも出てきます。
【植物までにも愛された男】
残念な事に吉崎御坊を立ち去ることに決めた蓮如が吉崎を退出した日の夜の出来事です。村人は船着場の岸辺に集まって、小舟に向かって手を合わせ、一目、蓮如さまのお顔を拝みたいと背伸びしました。岸辺には大量の蘆が生い茂り全く蓮如の顔が見えなかったんです。

絵:たかちほ

すると、不思議にも、さらさらっと葦の葉が片方によって、お顔をよく拝むことができました。

絵:たかちほ

 現代人と比較しても二~三メートルって・・・すごいですよね。そりゃあ吉崎を出発した蓮如は、隠れて皆から見えなくなってしまう筈です。
 
前述の様に日本書紀では日本の国は『豊葦原(とよあしはら)の国』と表現しています。
 更級日記で関東平野の光景を「武蔵野の名花と聞くムラサキも咲いておらず、アシやオギが馬上の人が隠れるほどに生い茂っている」と書き残したように、平安時代までは西では「アシ」と呼ばれていた。
 
しかしその後「アシ」が「悪し」を連想させ、縁起が悪いとして「ヨシ」となった。そのため「アシ」「ヨシ」の呼び方の違いは地域により変わるのではなく、新旧の違いでしか無い。 標準和名としては、ヨシが用いられる。~以上~

そして、当然ですが蘆やマコモダケが生い茂る湿地帯が多い日本の国土は米作に向きます。

 その為、弥生時代になって低地に定住して米作りを始めると、河川の氾濫平原や湿地は、もっとも米作りに適した土地として、豊かさを象徴する存在になったに違いないと容易に想定される訳です。
 日本という国が狭いのにこれだけ自然環境が素晴らしいのは、昔の日本は湿地帯が多く、沢山のマコモや蘆、そして稲など・・・・

『稲穂の絨毯が広大に広がる黄金の絨毯みたいな土地だったからなのでしょう』

 先に述べた葦は自生しても現代では見分かる事が出来ない程になっていますが、実は身近に存在します。

小学館『日本国語大辞典』第二版より引用

①簾(すだれ):葦の茎で作ったすだれは葦簀(よしず)と呼ばれる。

②茅葺き民家の屋根の材料:屋根の素材としては最適だそうです。茅葺民家の葺き替えに現在でも使われている。

③神社の儀式の「たいまつ」:ヒデ(松の木の芯)とヨシを一緒に束ねたものを使用する場合が一般的である。
④楽器:葦の茎は竹同様に中空なので笛として加工するにもよく、葦笛というのがある。西洋のパンフルートは長さの異なる葦笛を並べたものである
※古代中国における楽器、簫(しょう)も同じ系統である。
⑤紙:製紙原料のヨシパルプについては、中国湖南省の洞庭湖周辺や上海市の崇明島などで実用化され、トイレットペーパーや紙コップなどに加工されている他、旧ソ連やルーマニアで製造工場が稼動していたことがあり、日本国内においても、滋賀県の琵琶湖産のものなどが名刺やハガキ用に少量生産されている。
⑥肥料、燃料、食料、生薬原料、漁具、
⑦食用;若芽は食用
※これについては調べましたが、現在では食されていないようで、どこまで本当かはわかりませんがネット上の情報では、ほろ苦く天ぷらにすると美味だと書いてありました。
⑧漢方薬としての役割:根茎は漢方で蘆根(ろこん)といい、煎汁(せんじゆう)は利尿、止血、解毒などのほか、嘔吐を改善
~以上~
 
 
そして上記にて巻貝、そしてアシガニを取り上げましたが、実は、非常に面白いスーパースターが葦の茂みに隠れていたんです!
さて・・・・葦から登場するスーパースターとは?

【トンボ】
湿地帯である、この瑞穂の国にはたくさんのトンボが群れていたはずで、トンボは豊かな実りの象徴となっていたようです

( 'ω'o[ 何と銅鐸にトンボが描かれている!]o

参考文献:銅鐸を読み解く。国立歴史博物館編 構成 佐原真 より引用

( 'ω'o[ 弥生銅鐸のトンボに対する豆知識 ]o
 
トンボを研究家の三重県の石田氏によると「トンボは「田の神」だったから特別視するとのことである。ヤゴの時は田んぼでボウフラを食べ、成虫になるとウンカ・ヨコバイなど食べて豊作に貢献する」として、
 古代、畿内は秋津洲(あきつしま)と呼ばれたことがある。神武天皇は山々の連なりを見てトンボの交尾を思い、雄略天皇はアブに刺されかかられる時、トンボに助けられることが日本書紀には記されるが、トンボは本来、「田の神」であるという共通認識が基礎にあるから成り立つとのことである~以上~

すでに弥生時代の銅鐸にもトンボの姿が見られ、豊作を祈願する信仰であった事がわかります。現代でも、稲刈りの終わった頃、秋晴れの空にたくさんのアキアカネが乱舞しています。
それが、古代でも同じく見られたという事なのです。
 
実はこの瑞穂の国のトンボは非常に問題が有るんです。
まず、今回のお話の中で、トンボはキーポイントになる訳ですが、それには生態を良く知らないとという事で解説していきます。昆虫好きでないとトンボについてここまで考えないと思うのです。しかし、そのトンボの中にこそまさにヒントがあるんです。

【トンボが暮らしやすい環境】

 葦原の広がる低湿地は、栄養豊富な止水域である。トンボはご存知のように幼虫時代、ヤゴと称して水中生活をしている。水辺から離れられない存在である。ですので、当然湿地帯の多い米作に向く葦原瑞穂の国で有った日本にはトンボは沢山居たことでしょう。

【水辺の種類によって発生するトンボは違います】
 
同じ水辺と一口に言っても、低湿地の止水域(これが瑞穂の国に多くあった環境です)、河川、中山間の池、河川、渓流、高山池などがあります。各々に適したトンボがそれぞれ生息しているんです。
 つまり、瑞穂の国の人々に最もなじんだ葦原のトンボは、低湿地帯で生育するトンボが多く生息していた。
 現代では湿地自体がなくなり、水は農薬等の影響で生物が棲めなくなっているケースが多い。それぞれの環境に適したトンボが分布しているが、高山池や渓流は、廻りも昔のままのところが多く、トンボも昔のままである可能性はたかい。ちなみに日本に生息するトンボ約200種類の中で、系統的にみて古いことで知られているムカシトンボやムカシヤンマは、いずれもかなりの山中のトンボである。
日本にはムカシってつく古代からのトンボは二種類です。

①ムカシヤンマ

一寸の虫にも五分の魂様、虫けら屋さんの採集写真参照

日本の固有種であり分布も局地的なので、見た事ない方も多いのでは?数がムカシトンボ同様数が少ないので心配ですね。オニヤンマ同様大型種で色はオニヤンマより地味です。

②ムカシトンボ

体長|約50~60ミリ 成虫の出現期|4月-6月頃 渓流域を飛び回る現在では水のきれいな渓流域が森林の伐採や開発などにより各地で消失しているため、ムカシトンボの生息域は各都道府県に数箇ほどの割合となっている。 関東近郊だと高尾山にはいる様子です。写真は高尾山HPより

 ムカシヤンマの幼虫は山間の水の染み出た崖のミズゴケの中に棲んでいる。つまり山に行かないと見られないかもしれません。日本の大切な古代からの特徴を残すトンボとしてご紹介しましたが、今回の話でもっと重要なのは、ムカシトンボです。配色はムカシヤンマに似ていますが大きさは全く違います。

日本は稲作が出た時012年5月このトンボについて非常に興味深い事がわかったんです。

北海道大学などで構成される研究グループは、生きた化石とも呼ばれる日本を代表する昆虫である「ムカシトンボ」の遺伝子を解析した結果、これまでに分布が知られる全ての地域(日本、中国、ネパールヒマラヤ)において遺伝的差異はごくわずかで、同一種内の変異に相当することが明らかになったと発表した。

同成果は、独ゲッティンゲン大学のThomas Hornschemeyer氏、Sebastian Busse氏、Philipp von Grumbkow氏、Susanne Hummel氏、独ゼンケンベルグ自然史博物館のDeep Narayan Shah氏、Sonja Wedmann氏、ネパールベントス協会のRam Devi Tachamo Shah氏、ラオスのJingke Li氏、ハルピン師範大学のXueping Zhang氏、、北海道大学の吉澤和徳氏らによるもので、米国Public Library of Scienceのオンライン雑誌「PLoS ONE」に掲載された。

これが何を意味するか?もうわかった方は居るかもしれませんね。YAP遺伝子の事をコメント下さった方がいらっしゃいましたが、だいぶ前に私もその事について書きましたが、人間について書く人は多くても、トンボにツッコミをここまで入れるサイトもないでしょうから皆様にご紹介したいと思いました。そうなんですこの遺伝子の調査の結果は

「大陸が一つに繋がっていた事を示すものです」

パンゲアとか・・・日本古来の神社の口伝は科学的に見ても正しいのではないでしょうか・・・?現代では、余り子供達からも注目されているような昆虫とは言えないムカシトンボですが、実は日本では昔から・・・・というようなネタが有るんです。
【一般には知られていない様ですが、実は代表選手です】
 皆様はトンボと言えば赤トンボ、シオカラトンボ。昆虫採集で見かけて興奮するのはオニヤンマではないでしょうか
 しかし・・・・前回でご紹介した『ムカシトンボ』は、近年、中国東北部から報告されるまで、ムカシトンボ類は世界中で日本とヒマラヤ地域という離れ、かつ限られた場所でしか棲息が知られていなかった。

(出典:発表論文) より

左は現在の地形とムカシトンボの分布域(左:黒線、星印)右は、ウルム氷期時の地形と推定されたムカシトンボの分布域(右:黒線以南  

という理由でオリジナリティーが有ると判断されたのでしょう。ですので、なんと・・・・日本を代表する昆虫の一種と分類されいています。実際に、日本昆虫学会のシンボルマークとしても採用されているんです!
【これが実際のマークです!】

生きた化石と言われる所以】

ムカシトンボ類は現生のトンボ目の中で最も原始的な特徴を残しており、絶滅した化石トンボ類との類縁関係も示唆されることから、ジュラ紀(約1億9960万年前~1億4550万年前)の残存種と考えられている。

【研究が始められた経緯】

これまでは、このように起源の古いトンボが、遠く離れたごく一部の地域にのみ分布している理由として、ジュラ紀には広く分布していたムカシトンボの祖先が、日本、中国東北部およびヒマラヤのごく限られた地域でのみ、長期間隔離されて生き残ってきたためと考えられてきたが、科学的な調査を元にしたものではなかったことから、今回研究グループは分子系統学的手法を用い、トンボ類の系統関係解析を行うことで、解明をはかった


【分析の結果】

※難しい人は青字を読んでね。ニュアンスだけは伝わるようにしてあります

 これまでに分布が知られる全ての地域(日本、中国、ネパールヒマラヤ)のムカシトンボ類を解析に加えて行った。ちなみに、これらの遺伝子のうち、ミトコンドリアCOIIと、核のITS1、ITS2は塩基の置換速度が速く、近縁な種や地域集団間の解析に適したマーカーとなっている。

解析の結果、日本、中国、ネパールのムカシトンボの間に、遺伝的な差異はほとんど見られなかった。この程度の遺伝的差異は、他のトンボの近縁種間の変異よりも明らかに小さく、むしろ同一種内の地域的な差異と同等程度と確認されたという。

※つまり、同じ品種なんだけど、地域によってちょっと差が出来たという事。

【つまり日本もヒマラヤも同じトンボがいた事になる。】

日本、中国、ヒマラヤのムカシトンボは、現在ではそれぞれ別々の種とされているが、今回の結果からは、各地域間のムカシトンボの違いが同一種内の地域変異レベルであることが示されることから、古い時代(ジュラ紀)に広く棲息していたムカシトンボの祖先が、それぞれの地域で長期間隔離されて生き残ってきたとする従来の説では、地域間のわずかな遺伝的差異が説明出来なくなることが示された。

※前は、同じムカシトンボの仲間でも違う種別だと思われていましたが、同じものがちょっとだけ、地域に合わせて変化しただけだと限定された。つまりヒマラヤのムカシトンボも日本のムカシトンボも同種という事。

( 'ω'o[ これらの事で何が言えるか?大注目です! ]o

ムカシトンボは寒冷地に適応したトンボで、特に幼虫は水温の低い渓流(夏期16-17℃以下)でしか棲息出来ず、現在の分布もこの条件に合致した地域に限られる。
 一方、氷期には、現在では熱帯域にあたるより南の低地に、ムカシトンボの棲息に適した環境が広がっていたと考えられるほか、海水面の低下も起こっていたことから、大陸と日本列島は陸続きになっていたと考えられているため、今回の研究で判明したムカシトンボの地域間の遺伝的差異の小ささは、隔離分布の成立がはるかに新しいことを示したものとなると研究グループでは指摘している。
 
つまりムカシトンボは、約2万年前にピークを迎えた最終氷期(ウルム氷期)には、南アジアから東アジア地域にかけて広く分布する1つの集団を形成しており、そして氷期が終わり地球が温暖になるのに伴い、熱帯や温帯の多くの地域で絶滅し、日本の山地や北の地域、中国東北部、ヒマラヤ山地といった寒冷な地域に隔離され、現在の分布が形成されたと考えられるという結論に至ったと研究グループでは説明している。

※遺伝子の情報からは、各地域の遺伝子の差が地域的差程度のほんの僅かなので、しかもその差が出来たのはは、進化の歴史から考えるとほんのわずかな期間。つまり二万年前程度だという事です。うちの読者様あたりですと、いやが上にも、洪水で沈んだ地底都市を思い出しませんか?たかちほが思うに芦原瑞穂の国って、沈んだその部分も含まれていると思うのですが、どうでしょうか?いずれにせよ沖縄の海底遺跡も一万年前なのでにおう所ですね。しかし、このトンボの研究からも分かる事は・・・・・・大陸が別れたのは洪水が原因!って事です!実際のデータを調べたんですが、例えば四国は結講水浸しだったんですよ。今の方が海抜が低いんです!

【生きた化石!恐竜と共に居たなんて!】

 ムカシトンボのあらましを聞くと、是非見てみたい!って思った方も居らっしゃると思うんです。たかちほは見てみたいですから・・・・・
実はムカシトンボは全国域に居るんです。東京近郊にもいます。
 しかし、どうして見る機会が少ないかは・・・・

【涼しい所が大好き】
ムカシトンボは寒冷地に適応したトンボで、特に幼虫はムカシトンボの幼虫(ヤゴ)は冷涼な清流水温の低い渓流(夏期16-17℃以下)でしか棲息出来ず、現在の分布もこの条件に合致した地域に限られる。
【川の流れが停滞しては駄目って事です】 
そのため河川の改修やダム建設などの影響を受けやすい。
【地域によっては絶滅の危険性も!】
 
実際ムカシトンボは、宮城県、三重県、長崎県では絶滅危惧種として扱われており、その他の多くの都道府県でも、準絶滅危惧や要注意種として扱われているため、地球の気候変動が進行すれば、生息環境への影響も懸念され、保全に十分考慮することが求められるともしている。
( 'ω'o[ しかし!このトンボの不思議な所は人間との共生で栄えていた部分も有るんです! ]o
 豊かな日本の自然を象徴するムカシトンボですが、北海道から鹿児島県まで、ほぼ日本全国の渓流に生息しています。そして幸か不幸か、平地の少ない高知県はムカシトンボが生息する渓流が多い上、山深い場所にまで耕作地が整備されていたことから、全国的にもムカシトンボを見つけやすい地域なのです。
 ただ、山間部の人口減少を受け放置林が拡大し続ける昨今、沢涸れや日照不足に陥る渓流が続出、ムカシトンボも各地でその数を減じ続けています。日照不足による産卵植物の消失や藻類減少に伴うヒラタカゲロウ類など幼虫の食餌減少、流水量減少に加え、水中に落下した落ち葉や木本類のヘドロ化など有機物腐敗に伴う溶存酸素量の減少、さらには未熟成虫のエサ場となっていた山田の放棄など、ムカシトンボを取り巻く環境は厳しさを増すばかり。
 四万十川流域では、多くのトンボ類が乱開発によって姿を消しているのに対し、ムカシトンボの減少は人工の手が入らなくなったことが最大の原因という、皮肉な状況となっているのです。
【じゃあどこに行けば見られるんだ?】
 
住んでいる場所が、山地の渓流だからでしょう。関東近辺の人は春に高尾山の渓流域に行けば見られるのではないかと思います。それでは、どうやって見分けるのか?圧倒的に他のトンボと全く違う特徴が有るんです。
ぶら~ん・・・・と枝にぶら下がって止まります

羽を閉じて【ぶら下がって止まる】のが最大の特徴です


トンボの多くはこの様に羽を広げています
羽を閉じるトンボは他にも居ますが、ぶら下がらず平行に止まっています

黄色と黒の縞模様だけはオニヤンマと似ていますが
体の大きさが圧倒的に違う】
●オニヤンマ:
成虫の腹長はオス70mm・メス80mm、後翅長はオス55mm・メス65mmほど。頭部から腹の先端までは9-11cmほどに達する。メスはオスより大きく、尾部に産卵弁が突き出る。
●ムカシトンボ:全長50mm前後
複眼が圧倒的に違う】
ヤンマ科は

複眼が一点で接しています
ムカシトンボ科は 目が離れています


【森羅万象全ての物に神宿る】

~私達は良い時だけでなく悪い時も有る。しかしそれが人生そのものだ~

田の神(たのかみ)は、日本の農耕民の間で、稲作の豊凶を見守り、あるいは、稲作の豊穣をもたらすと信じられてきた神である。農神百姓神と呼ばれることもある。

以下の神と同一視される事も有る

穀霊神(穀物に宿るとされる精霊)

水神(水神(すいじん、みずがみ)は、水(主に淡水)に関する神の総称である。)

守護神(何かを守るのが役目の神)

の諸神の性格も併せもつが、とくに山の神信仰や祖霊信仰との深い関連で知られる農耕神である。


【日本各地の農耕神をまつる習俗について】

日本では古来、農耕神をまつる習俗のあったことが知られており、『日本書紀』や『古事記』にも稲霊(いなだま)すなわち「倉稲魂」(うかのみたま)、「豊受媛神」(とようけびめのかみ)、穀霊神の大歳神(おおとしのかみ)の名がみえる。

民間では、こうした農耕神を一般に田の神と呼称してきたが、地方によって色々な名前で同じものを読んでいる。

また、起源の異なる他の信仰と結びついて、東日本ではえびす、西日本では大黒を田の神と考える地方が多く、さらに土地の神(地神)や稲荷神と同一視されることもあり、その一方で漁業神や福徳神とは明確に区別される神である。

※私は「ひるこちゃんの謎」というシリーズでエビスと大黒って同一の場合も、違うケースも有るから不思議と書きましたが、今でははっきりわかります。

こんなに色々入り混じっていては、後世では謎になってしまう訳ですね。


ここまで、細かい事を言いましたので眠くなって来た方もおられるかと思うので(笑)

簡単にただ一言

「つまり・・・・日本は古来。田んぼや山や水。自然あらゆるものに神が宿ると考えられていて、そして各々がお互いに繋がりの有る働きをしているために、複数で一つの神とする考えも有った」

という事・・・・

つまり、かいつまんで言うと・・・・

( 'ω'o[ 古来の日本は自然身の回り全ての物に神が宿ると信じていたという事です。 ]o

そしてそれが古代日本の信仰そのもので有ったという事です。

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