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感謝について

今まで私が皆様にお知らせしている内容も、主神の神様よりのご意思を何段階もの神々様を経て私の手口によってこの世に表しているのです。
お伝え頂く神々様は 「自らに感謝をされなくとも宜しい」 と必ず申されますが、もし私が、お伝えされる何段階もの神々様に対して感謝の思いを疎かにして、主神の神様だけに感謝されすれば良いと思うならば、働きは全く出ずに到底御用は務まらないのです。

これは基本的な精神の持ち方であり「私に対して感謝しなさい」と言いたいのでは御座いませんが、これは言われずともこの精神を常に持たねばならないのは当たり前の事なのです。

また、これは例えですが、
日々の食事の際に、神様に感謝申し上げると思いますが、神様だけの感謝ではいけないのです。

「食事を頂ける事に対して」や「空腹を満たす事」に神様には感謝する事でしょう。
しかし食事(料理)には、お米、野菜、魚、調味料など全てにおいて様々な何段階もの人の手間ひまやご苦労を経て口にする事が出来るのです。
これらを知らずに本当の感謝が生まれるものなのでしょうか?
さらに植物や魚などに対しても感謝しているのでしょうか?

また、中にはこれら人のご苦労(労働)に対し対価(代金)を支払っているから、または商売だから当たり前であるので、神様に感謝すればそれで良い。 などという開き直った方々も居られますが、このような精神では到底感謝の心は磨かれる事はありません。
このような精神の方々は、既にお金に飲まれて洗脳されている状態なのです。

また、もし奥深き山にただ一人置き去りとなった時、神様を信じて感謝していれば生きて行けるのでしょうか?
大半は食べる事も、寒さをしのぐ事もできず生きて行けないはずです。
そこで初めて満たされた環境の有難さを知る事となるのですが、
皆さんは、既にさまざまな神と人の恩恵を受けているのにそれが当たり前になっていて麻痺しているのです。
決して疎かにしてはいけない、この精神を培う事なのです。

様々なご苦労を知っているからこそ人も物も大事に丁寧に扱うものです。
このような事は言われなくとも、気が付き、分からねばそもそもが御魂を磨く修行者とは言えないのです。

また、心からの深く強い感謝の精神があれば、人に対し   「威張ったり、自慢したり、人に威圧的にしたり、バカにしたり、ひけらかしたり、年齢関係なく見下したり 」などの慢心は絶対に出ない筈です。 

今ここに居る皆様は、この霊学の世界では、道も内容も全て用意された温室育ちの状態なのです。
温室育ちは「外敵、病気、気候、場所」は気にせずとも、皆が同じように成長し実を付ける事が出来ますが、
自然の中で様々な経験をして外敵にも対応しながら成長し実を結んだ者とは、一見同じように実を結んだように見えますが中身は全く異なります。
これは温室育ちの者が外部に解き放たれた時に様々な対応が簡単に出来ると思いますでしょうか?また、この状態で御魂が磨かれていると思いますでしょうか?
この状態で、他の人より理解している、出来ていると思う事こそが、「そもそもの慢心」なのです。

これは、圧倒的に中身の実践の経験値が異なるので仕方ないのですが、経験では悟れないのですから、せめて目に見えない今の自身の周りや人々の大変さやご苦労や手間暇を汲み取り探る事が「感性を磨く」という事であり、真心の御魂を磨くという事なのです

神様に感謝さえすれば良いと思われている方、確かに感謝はしているのでしょう、ですがこの感謝にも、口先だけの表面的な感謝や、浅い感謝、真心からの感謝などの「深さと強さやどのように」などの度合いの違いがあるのです。
これは、初詣に行きお願いをされている事に神様を信じていると自分では思っていたり言っている事などの程度の違いがあるのです。
同じように拝礼時の感謝においても、「深さと強さやどのように」などの各々の格差の違いがあるのです。

厳瑞


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