高千穂交易の社長ってどんな人?【仕事編】
高千穂交易は、技術商社として世界の先端商品をいち早く日本市場に紹介し、新たな価値を生み出してきました。お客様の課題を解決する高い「技術力」と世界の先端商品を発掘する「目利き力」を強みとしています。そんな高千穂交易の理念である "創造" を誰よりも体現しているのが、代表取締役社長の井出です。
今回は井出の人柄を知るために、学生時代から社長になるまでに歩んだキャリアについて聞きました!
【学生時代】大学在学中に学んだこと
ーー 大学在学中に学んだことを教えてください。
大学では、主に経営工学とビジネスマネジメントを学びました。
〈経営工学〉
経営工学は、経営に関する問題を工学的アプローチによって解決し、効率的で合理的な経営システムを構築しようとする学問。当時はまだマイナーな学問でしたが、機械・数理工学より興味があったので専攻しました。
〈ビジネスマネジメント〉
アメリカ留学中に学んだのはビジネスマネジメント。留学中は単位を取るために、人生で一番勉強しました(笑)。
英語でマーケティングやアントレプレナーシップ(起業家精神)について学びましたが、覚えることがたくさんあって大変でした。また、スピーチの授業では、ネイティブの学生と比較されるので、かなり努力して上達を図りました。
ーー 留学をしようと思ったきっかけを教えてください。
大学3年生の冬にオーストラリアに旅行したことがきっかけです。旅行中は、ホテルの水道が使えなかったり、タクシーで伝えた目的地とは別の場所に連れていかれたり、コアラに会いに行く際にはバスに乗り間違えるなど、さまざまなトラブルに見舞われました。その時の言葉が通じず苦労した経験から英語を学ぶことを決意し、旅行から半年後にはアメリカに留学していました(笑)。
【就職活動】入社の決め手は「やりたいことができそう!」と思ったから
ーー 高千穂交易に入社を決めた理由は?
大学在学中に学んだことを活かしたいと思い、専門商社に絞って就職活動をしました。数社内定をもらい、その中から高千穂交易を選んだ理由はいくつかあります。
一番の決め手は「やりたいことに挑戦できる、チャレンジングな社風」があったことです。当時の採用担当者が丁寧な対応で、社風をしっかりと教えてもらったことが印象に残っています。
また、支店があるサンフランシスコは好きな都市でしたので、機会があればその地で仕事をしてみたいと思っていました。
名古屋支店のオフィス見学の際に感じたアットホームな雰囲気も、高千穂交易を選んだ理由の一つです。
【新入社員】ネットワークの設計や障害対応に奮闘
ーー 配属先や仕事内容について教えてください。
入社当時の1994年頃は、インターネットが普及し始めた時代。
配属先は、当時まだ新しかった情報ネットワーク事業部(現カスタマーサクセス事業部)で、部員数100名超と一番大きな事業部でした。
私は技術スタッフとして配属され、ネットワーク製品の設計や設置、障害対応等を行いました。海外製品の説明書を解読する際は、大学で磨いた英語スキルを活用できました。
ーー やりがいを感じた仕事は?
印象に残っているのは、某企業の100~150拠点を担当していたときのこと。
終業後、夜中にお客様のシステムが故障したことがありました。大企業のシステムが長時間ストップしていることは、新人だった私にとって大きなプレッシャーでした。すぐにお客様のマシーンルームに行って暗闇の中で作業しました。対応が完了し、システム起動のLEDランプが次々に点灯したときは、無事に復旧した達成感がありましたね。お客様から「ありがとう」と言われ信用されるようになったときは嬉しかったです。
【海外駐在】最先端技術に触れる
ーー アメリカ駐在時代のことについて、教えてください。
アメリカに駐在することになったのは、28歳のときで3年間駐在しました。
当時はスタートアップ企業であった「google」や「Cisco」などの企業がどんどん大きくなってく過程や、日本よりも進んでいる先端技術を見られたことが、自分の中では大きかったです。
また、高千穂交易の会長で創業メンバーである栃本さんと一緒に仕事をする機会があり、とても勉強になりました。
ーー 創業メンバーの栃本さんとは、どのような仕事をしていましたか?
栃本さんがアメリカにいるときは、私は運転手でした(笑)。
朝、栃本さんのアメリカの自宅に車で迎えに行って、鞄をもって、車の扉を開けて、乗車を確認したら閉めて・・というのを毎日。
ーー 大変でしたね。辛くはなかったのですか?
辛いこともありましたが、それよりも勉強になることが多かったです。
栃本さんは、朝と昼に食事をしながら打合せを行うので、そこに同席して議事録をとっていました。打合せの相手は、ベンチャーキャピタルやコンサルティングの方、弁護士など様々。当然英語ですし、はじめは緊張して全然ご飯を食べられなかったですね(笑)。
ーー 打ち合わせではどのような話をするのですか?
新しい製品やスタートアップなどの話です。情報をいち早く収集していました。集めた情報を精査し、日本に展開すべきものか目利きをした上で代理店権を取るというのが、当時のビジネスモデルでした。
【プロジェクトの成功体験】リソースを集中して成長させる
ーー 日本に戻ってきた後の仕事内容を教えてください。
帰国後は事業開発室、現リテールソリューション事業部(当時セキュリティ事業部)、現カスタマーサクセス事業部(当時カストマサポート事業部)などを経て、ビジネスソリューション事業部事業部長になり、Cisco Meraki(当時Meraki)事業のプロジェクトを組成しました。
Cisco Meraki は、クラウド管理型のネットワーク製品で、当社が日本で初めて取り扱いました。プロジェクトを成功させるために、当時の社長にかけあってリソースを集中させてもらいました。その結果、Cisco Meraki のプロジェクトは成功し、部門売上は2.5倍になりました。
成功するまではいくつか大きな壁がありましたが、最後まで諦めない姿勢や、やり遂げる意志が共有され浸透することで、事業部が大きく成長しました。
自分が手掛けた戦略やプロダクトがうまくいったこと、みんなが理解して動いてくれたことが嬉しかったです。当時の仲間は今でも信用しています。
【社長になった今】人を大切にする会社に
ーー 社長になった今、大切にしていることは?
人的資本が大切だと思っています。当社は商社で、モノを作るインフラや工場をもたないので、価値を創造しているのは 「人」です。
社長としての喜びの一つは、若い社員が、目標ややりがいをもって働き成長していく姿をみること。どうすれば社員がモチベーション高く仕事をして、変革に向けてチャレンジしていけるのかを考え、取り組みを実行していきたいと思っています。
次回予告
社長インタビューの仕事編では、社長のキャリアについてお伝えしました。
学生時代や新入社員時代に学んだこと、海外駐在時の経験、事業部長時代の成功体験が全て今につながっていると感じました。
次回は、プライベート編ということで、社長の休日の過ごし方や好きな本など、内容盛りだくさんでお届けします。
次回の投稿もぜひご覧ください!