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算数のテストの「ゼロ除算」

先日、小学校の算数テストで「18÷0=」という問題が出されたという話題をみかけた。

よく算数で「掛け算の順序」で紛糾することはあるけど、こちらの方は「りんご18個を0人で割るってなんだよ」ともいえるし、「電卓もExcelもエラーを返す」という「常識」があれば議論の価値すらなかったりする。

最初に説明されるのは高校数学にはなるけれども、そこまでの高尚さも要らないんだよね。その説明を相応に理解できる数学のセンスの持ち主は、算数の問題でゼロで割らせようとはしないと思うんだ。まして「18÷0=0」を答えとすることはない。

私もゼロで割ってはいけない理由の記憶はすっぽり抜けていて、素朴に「常識」としての「解なし」だけが残ってしまったし、自力だったら「りんごを0人で〜」とか言っちゃう人ではある…。
(これに対して「検算しろ」といった人がいて、スマートだと思いました。)

この件で思ったのは、我々の「がっこうのせんせい」に対する期待値って、教員免許に必要な学力よりずっと上にあるのかなと。

教育現場から全く遠い場所で駄目っぷりに虚空を見つめてつぶやいている私はまだ恥ずかしいだけで済むけれど、これが現場側の人だったら問題になるだろう。(学校に長くいる人の方が記憶に残っているだろうけど…)

例えば地頭の良い小学生なら、「0.001、0.0001、0.0001…」で割らせていくという「極限」ネタを教えたら理解できそうだが(とはいえ、ゼロ除算の答えを「無限大」とするのも間違いらしい)、そもそも「÷0の答えは0になる」と覚えてしまったらそこに至らない。
こういう数学の面白さにかかりそうなネタから数学の興味が始まるかもしれないのだから、教員にかかる「賢くあれ」という基準は結構高いと思う。

担任としての業務は、純粋な「教育学」の範疇にみえる。その範囲においては彼らはプロだろう。
それに対して、教科書の内容を教えるのはまた別の種類のプロの仕事にみえるし、特に小学生は6学年分、ひらがなを書く練習から一般常識レベルまでの知識を教えるのだから、大変さとしては相当なものだろう。

そのためのテキストとして、学習指導要領だったり、テストの問題の元ネタになる問題集なんかがあるのだろう。
さすがに学習指導要領では、ゼロ除算は算数の対象外にしているそうだ。でも、もし問題集などに「18÷0=」のようなものが混ざってきた場合はどうなるのか。結局「この問題を出してはいけない」という余計な判断もしなければならないし、そこには教師の学力も必要なら、問題集の作り手のレベルの低さも問題にすべきという話になる。

教員の仕事が激務ということが世の中に知られてきている。激務過ぎて学習指導の研究も進まないほど大変と聞くが、そういう教員に苦手科目がある時、深く考えることができず誤った教材を掴んでしまう可能性は十分あると思う。

教員自体の問題もあるけれど、彼らが誤った認識に誘導されてしまう環境があるなら、それだってなんとかしなければならないだろう。

…ところで、私は「教育学部の小学校課程は国公立大のみ」と思い込んでいたけれど、少し気になって調べてみたところ、小学校教諭の免許は私大でも取れるんだね。
幼稚園教諭や保育士だったら、「教育学」をしっかり修めていれば問題はないだろうが…。

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