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選択に困った時に立ち戻る「何故」の位置

生きていればいろんな選択を迫られる時がありますね。

さして重要なものでない限り、じっくり時間をかけて選択するんですが、どうしても選択できない場合に立ち戻る場所が「何故」の位置。

何故、迷っているのか。

自分の優先順位づけを、感情に流された判断でしないように「そもそも」の位置に戻る。

例えば、理不尽なことがあった時

最近はそういうことが起きないのですが、例えば、理不尽なことがあった時「言い返そうか、黙っていようか。」って迷った時にどうするか。

長く付き合いたいなら、タイミングと言葉を選んで相手に伝える。(言い返すというような攻撃的なものでなく)そして、いっときの上辺の付き合いなら黙ってる。

ただ、感情的に反応して言い返してしまうと、長く付き合おうとしてもいないのに余計なエネルギーを使って疲弊してしまう。

昔はこのパターンが発動する時があったので、今では反省して感情に流されない工夫をしています。

正論は正義でなく刃物

正義なんて時代や立場が変われば複数存在するように、正論もそれに近いと思っています。そして、正論は刃物同然なので伝え方に気をつけないと相手を斬ってしまう。

賛同発言者が多いほどその破壊力は強くなる。

自分も正論を発して人を傷つけてしまった経験がないわけではないし、これからも気をつけないと傷つけてしまうかもしれない。

なので、それを言うにしても「何故」に戻って言葉やタイミングを選ばないと、いくら正論でも相手は受け入れられないし、課題は肥大化してしまう。

困った時、選択に困った時は、「何故」「なんのために」を明確にして、相手に受け取ってもらうような交渉ができない限り、やたらと正論を相手にぶつけるのは良くないことだなって感じています。







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